04
光と音楽と騒めきが洪水のようだった。カラフルなライトが乱反射するステージの前では男女が大声で歌っており、少し離れたところではカクテルグラスを傾けながら身を寄せる男女がいる。人の多さに酔いそうな上、音という音に押し潰されそうだ。堪らず耳を塞ごうとした名前の手を、南雲が即座に絡めとる。
「ヒッ、ちょ」
「だーめ。露骨に嫌がってる感じは出さないで」
無茶言うなと名前は泣きたくなったが、南雲の言うことは一理ある。ここに来る者たちは皆、クラブという賑やかな場を求めている訳で。そんな中、眉を顰めて耳を塞ぐなど、場違いで浮いてしまう。
警備でもしているのか、スーツにグサランをかけた威圧感のある男が時折横を通り過ぎていく。なるべく平静を装いながら、名前は南雲の腕に寄った。はぐれたりしたら、この世界から無事に帰れる自信がない。
いい子だね、と頭上から柔らかい声が降ってくる。続けて、「そのまま何されても抵抗しないでね」それはここに来る前にも言われた言葉だった。見上げた名前の目に映る南雲の笑みは嫌になるくらい綺麗だ。どこかのモデルだと言われても納得する。
肩に力が入りっぱなしの名前を抱き寄せるようにして、南雲は人混みの中をするすると抜けた。建物の中二階といえばいいのか、一段高くなった通路の奥に写真に映っていた例の黒塗りの扉があって、VIPという文字が金色の装飾で飾り付けられている。当然のように、警備の男が巡回していた。
一段と強張る名前に「大丈夫だよ」と囁いて、南雲は通路にいたスーツの男に声をかける。「――」それから、その耳元で何かを囁いた。男がじっと南雲を見つめ、次いで名前に視線を送る。これは、どういう対応が正解なのだろう。南雲は相変わらずにっこりと笑っているけれど。そんなことを思いながら瞬きをひとつしている間に、男は扉前に控えていたもうひとりの人物へ目線を送る。扉の前の彼が頷き、通路を塞いでいた男が道を譲るように動いた。
「ありがと〜」
南雲がひらりと手を振って、尚のこと名前の腰を寄せる。
扉の前に立っていたもうひとりの男にも何かを伝えると、頷いた彼が黒塗りの扉を開けた。
閑散とした空間だった。真ん中に長机とえらく高級そうなソファーがあって、警備の男はそのソファーに座っているように指示をした。
南雲はゆったりと腰を下ろし、長い足を組む。その横の名前は浅く腰を掛けた。ソファーはふかふかしていて、思ったよりも体が沈む。
それから暫くして、奥の扉が開き、40代半ばと思しき男が現れた。よく手入れされた髭が、妙に紳士的な雰囲気を醸し出している。
「ようこそお越しくださいました。私、アサダと申します」
男は至極丁寧な言葉で告げ、柔和に笑ってみせた。低すぎない渋い声が、不思議と耳に馴染む。
失礼、と一言断りを入れてから、彼は南雲たちの正面にある机を挟んでソファーに腰を下ろす。姿を見せた時から一貫して、粗のない所作だった。高級ホテルにいそうな雰囲気で、悪い人には思えない――無論、それが仮初の姿だということは、流石に名前も理解しているが。
南雲は男と一言二言交わした後、抱えていた大きなケースを机の上に置いた。ぱかり、と開けたケースの中には、札束がぎっしりと詰まっていて、名前は卒倒しそうになるのをなんとか耐える。一体いくらになるのかなど、考えたくもない。
アサダはその一束を手に取り、本物かどうかを確かめるように一枚一枚弾いている。やがてにっこりと笑うと、「どうぞ、ご案内いたします」そう言って、深くお辞儀をした。
前金に札束をいくつか差し出した南雲がケースを閉じて立ち上がり、名前もそれに続く。
奥の扉の向こうは下り階段になっていた。降りていくと、段々と喧騒が大きくなり、紫煙が宙を漂ってくる。その煙の向こうにやたらと密着した男女の姿が見え、更に別のところでは明らかに怪しい葉巻を吸っては笑い続ける男がいる。時折聞こえる女性の泣き声は情事特有の喘ぎ声。
海外の映画にあるドラッグパーティを彷彿とさせる様子に、名前は呆然として、思わずたじろいだ。案内を務めるアサダはそれにめざとく気づき、「お連れ様が困惑されていますよ」少しだけ固い声で言う。疑われる、と顔を強ばらせた名前の腰に南雲は腕を回して、「まあ、詳しいこと伝えずに来ちゃったので」にっこりと笑った。
アサダは呆れて、「確かにそういう方もたくさんいらっしゃいますからね」と告げた。「そうでしょうね〜」にこにこと同意する南雲の考えが名前には全く分からない。抵抗するなと言われていたものの、最早名前自身の意思でどうにかできる状況ではなかった。完全に固まってしまった彼女へ、南雲は至極穏やかに、
「大丈夫だよ。あっちには連れてかないから。ですよね?」
「ええ。特別に個室のご用意ですよ」
「ほら、おいで」
笑顔の裏に有無を言わさない圧をかけられ、名前は引き摺られるようにして部屋に押し込められた。
「それでは、何かありましたらお申し付けください。例のモノは、ベッド脇の棚に……」
「どうも〜〜」
恭しくお辞儀をした男は、名前に冷ややかな、或いは憐れむような視線を向けて。それから、扉をゆっくりと閉めた。