意識を取り戻してすぐ、見慣れた畳が目に入った。
本丸内、わたしの、審神者の部屋だ。天井も、襖も、文机も、ランプも。いつもと全く同じ。それなのに、限りない違和感がある。だって、不気味なほどに音がしない。
体を起こそうとして、両腕と両足が縛られていることに気がついた。思い出すのは、うつくしい真白の神様の言葉。
『……絶対に渡さない。だから事が終わるまで、隠れて待っていてくれ』
近侍であった鶴丸はそう言ってわたしを抱きすくめて、直後にわたしの意識はぷつりと途切れた。彼に気絶させられたのは間違いない。そこでようやく、この空間が隔離されていることに思い至った。集中すれば、部屋の四方には確かに術が施されている。おそらく外部から霊力を探知できない仕組みのはずだ。
(政府の人間に歯向かうなんて、馬鹿なことを……!)
畳を這うように移動しながら叫ぶ。「鶴丸!鶴丸国永!」すると、目前の襖が音もなく開いた。目線だけを向けると、怒ったような、或いは泣きそうな、形容しがたい表情の歌仙兼定がこちらを見下ろしている。拘束をほどいてほいいと頼むより先に、歌仙はその場で膝をついた。
「ああ……、目を覚ましてしまったか」
「歌仙……」
何かを諦めたような声音だった。こちらが何か言うより先に、歌仙は「失礼するよ」と動いた。わたしの手足を結んでいた手拭いを解いてくれるらしい。簡単に解けないような高速のくせに、麻縄などではないところが鶴丸らしいと思った。彼は別に、わたしを傷つけたいわけではない。
拘束を解かれてすぐ立ち上がった。が、立ち眩みを覚えて体がふらつく。すぐに歌仙が体を支えてくれて、彼はそのまま腕に力を込めた。
「……鶴丸から、ここを出さないように言われている」
「……そうだと思った。ほかのみんなは」
「同意しているよ。全員戦っている」
「うん」
瞼を伏せる。小さく息をする。「歌仙」こんな状況には似つかわしくない、努めて穏やかな声音で彼の名前を呼ぶ。拘束が緩んだ。わたしは歌仙と向き合って、もう一度その名前を呼ぶ。彼の深い水縹色の瞳は、風に撫でられた湖畔のようにゆらりと揺れた。
ああ、彼はきっと、わたしが何を言おうとしているか、何を為そうとしているか分かっている。わたしがまだ碌に喋ることもできなかった幼い頃から面倒を見続けてくれた、この本丸のはじまりの刀。
「……きみが目覚めなければいいと、どれだけ願ったことか」
独り言のように歌仙が呟く。わたしは薄く笑って、「頑丈でごめんね」なんて冗談を言った。彼も少しだけ笑みを浮かべる。「全くだ。まあ、それはきみの美徳でもあるのかもしれないけれど」その目には何が映っていたのか。もしかしたら過去のわたしが、本丸の果樹を内緒で取ろうと梯子をよじ登ってひっくり返ったことかもしれないし、ふざけて鶴丸と作った穴に自分で落っこちたことかもしれないし、見晴らしの良さを求めてよじ登った本丸の屋根から転がり落ちたことだったかもしれない。頑丈が故にどれも大怪我には至っていないし、大人になって随分落ち着いたものの、歌仙にはかなりの迷惑をかけてしまった。
少しの間の後、歌仙は瞼に力を込める。
「主。きみはきっと、もう決めているんだろうね」
何のことかを聞く必要はなかった。
もちろん、とわたしは答える。
歌仙はその眼に少しだけ寂しさを滲ませたけれど、「ならば」と恭しくわたしの手を取った。
「僕は、きみの想いに答えよう」
言葉と同時に、部屋の四方を囲っていた結界が消えていく。それと同時に、辺りの喧騒が耳をつんざく。刀と刀がぶつかり合う音、建物が崩れる音、誰かの怒声、それらがひっきりなしに湧き上がっている。
襖に手をかけ、部屋を開け放つ。硝煙が目に痛い。刀を打ち合う音は四方八方から聞こえてきて、一瞬たじろいだ。けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
「主。こちらへ」
もう迷いのない声で、瞳で、歌仙が先導してくれる。
「戦闘が激化しているのは本丸東部だ。鶴丸もそこにいる」
広間の前を抜けつつ、歌仙が説明をしてくれた。純粋に審神者部屋の距離が近いところを狙ったのだろう。当たり前だがそこには多くの刀剣男士が待機していて、現在最も過激な戦闘を繰り広げている。
