再会、綺羅星のごとく

 テレビをつけたら、交流戦の始球式に知っている奴が二人も出ていた。
 キャッチャーボックスでミットを構える男が御幸一也。言わずと知れた青道高校の野球部元キャプテン、世代ナンバー1捕手。三年間苦楽を共にしてきた、まあ、友人、みたいなやつ。卒業後、ドラフト1位指名でプロ入りを果たした彼は、勢いそのまま一軍入り、三年目となった今年の交流戦では初戦でマスクを被るに至った。超実力派イケメン捕手、なんてテレビで特集も組まれていたくらいだから、女子人気も相当だろう。
 その彼が構えるミットめがけてボールを投げ込むべく、マウンドに立つ女にも見覚えがあった。苗字名前。こちらも、高校時代の同級生。東京の大学に進学した彼女は、入学式の直後に街で有名な芸能事務所からスカウトされたらしい。高校生の頃も何度もスカウトされているという噂は聞いていたから、そこまでなら驚きはなかった。意外だったのは、彼女がスカウトを受け、芸能界入りを果たしたことだ。あとになって、高校時代は「部活に集中したい」と断っており、大学では新しいことに挑戦したいと、その世界に飛び込んだことを知った。
 苗字は舞台をいくつか経験した後、そのルックスと演技力を見込まれて、先月はついにドラマの主演に抜擢されていた。何気なくつけたテレビで見知った顔がドアップで写るもんだから、飲んでいた水を噴き出しそうになったものだ。
 しんとした球場で大勢に見つめられる中、苗字が投球モーションに入る。綺麗なフォームだ。
 放たれたボールはまっすぐに伸びて、御幸が構えるミットの中へと吸い込まれた。球場がどよめく。拍手に包まれる。

「うーん、これは、ハハハ」
「これは、いい球です。ワンバンなし! かなりしっかり投げ込んでくれましたね。ストライクじゃないですか」
「前情報では、野球は観る専門、とのことでしたが」
「そうですね。相当練習したんでしょうか」
「人気急上昇中、若手女優。すばらしい投球をみせてくださいました!」

 なんて、アナウンサーがうきうきと発している。
 捕った瞬間は多少驚いていたであろう御幸は、高めに降って空振りをした打者と一緒に笑っていた。一礼して、手を振りながらマウンドを去る苗字は、すれ違いざまに御幸と一言二言、言葉を交わす。「いい球投げるじゃん」とか、そんなことを話しているのだろうか。

 高校時代の苗字名前の印象は、とにかく綺麗、だった。
 流行りのメイクをして流行りのファッションを着こなす生徒、丁寧にヘアアレンジをした生徒、あざとく男子に話しかける生徒……、「きれい」とか「かわいい」とか称される女子生徒は多くいたけれど、苗字は郡を抜いていた。ぱっちりした目、すっと伸びた鼻筋、桜色の小さな唇、項がしっかり見えるほどのショートヘアが似合ってしまう容姿はもとより、凛とした立ち振る舞いが誰よりも目を惹いた。特に、部活中。弓道場でまっすぐ弓を引くその姿に、人生ではじめて、「美しいってこういうことか」と納得したくらいだった。
 苗字とは、二年と三年のクラスが同じだった。1クラス四十人、男女ごちゃ混ぜで席替えをしていたわりには、かなりの確率で隣同士になっていた気がする。休み時間は基本、御幸の席で野球の話をしてばかりだったけれど、他人に興味のない御幸にすら「お前と苗字さん、また席隣じゃん」なんて言われたくらいだった。
 懐かしい記憶が、溢れるように思い出される。
 苗字は弓道部の誰より遅くまで練習を頑張っていたけれど、その反動で授業中にぐーすか寝る、なんてことは全くなかった。一度か二度、うつらうつらとしているところを見かけて、(珍しいこともあんな)と感心したくらいだ。一方の俺は(降谷や沢村のアホほどではないにしろ)意識を手放してばかりで、そんな状態で教師から当てられそうになる度に、彼女に名前を呼ばれ起こされていた。

「倉持。起きて、倉持。次、当たるよ」

 重たい瞼をなんとか持ち上げる俺に、おはよ、と彼女はふわりと微笑む。そのあたたかさに、言いようのない感情を抱いたことまで蘇ってきてしまった。
 ふと、床に転がしていたスマートフォンが震える。高校の同窓会用のグループラインに通知が入っていた。全員がお酒を飲める年になったからと、体育祭で応援団長を務めていた者たちが幹事となって予定を立ててくれたのだ。トーク画面には参加者の名簿が添付されていた。PDFファイルを開いて、上から順に確認し、程なくしてぴたりと手を止めた。
 苗字の名前があった。

(……当日は大騒ぎだろーな。御幸も来るみたいだし)

 他人事のようにそんなことを考えて、アプリを閉じる。
 倉持、と頭の中で声が響いた。それに、聞こえないフリをする。話す機会があるなんて期待しない方がいい。今じゃ、隣で授業を受けていたことが信じられないくらい、手の届かない存在になってるのだから。



 同窓会の会場に着くと、「倉持、こっちや!」とよく通る関西弁が届いた。「声デケェよ」うんざりしたというように眉を寄せながらも、知り合いがいることに内心ホッとして、そそくさとゾノの元まで向かう。ノリに白洲、ナベ、麻生、小野、三村、木島……、野球部員はけっこう集まっている。

「ちゃんと来たな」
「最後まで渋ってたから、もしかしたら来ないかもって言ってたんだよね」
「ぅるせっ。さすがに黙ってバックレねーよ。つーか御幸は? あいつこそ来ねえ可能性高いだろ」
「遅れてくるって既に連絡があったらしいぞ」
「というか、来ること自体意外だよな」
「ヒャハ、どーせゾノがしつこかったんだろ。俺もそうだったし」

 他愛もない話をしながら、ぞろぞろとホールへと足を踏み入れる。
 名簿を見た限り、学年全体の半分も集まっていなかったが、そもそもがマンモス校、さすがに人数が多い。
 「あっ、倉持じゃーん」気安く話しかけてくる女子の顔と名前が一致しない。助けてくれというようにナベを見たけれど、彼も困惑したように眉を下げるだけだった。ナベがクラスメイトを忘れることはないだろうから、ナベとはクラスが一度も同じになったことがなくて、多分、俺と同じクラスだった女子。……いや、分かるか。それに女子って、大学いったらすげー変わるって、誰かが言ってたし。高校時代とは別人で、ナベですら認識できていない可能性もある。
 曖昧な返事をしていたら、「あたしのこと分かってないでしょ」と彼女はからからと笑った。「サトウだよ。一年のころ同じクラスだった」と言われて、「ああ……」と、これまた曖昧な返答になる。たしかにそんな女子がいた気はするが、こうも気安く話しかけてくる仲ではなかったはず。同窓会ってそういうとこあるよな、とぼんやり思いながらしばらく会話を続けていたら、彼女は野球部員たちをちらちら見ながら、「御幸くんは一緒じゃないんだね」と言った。
 何気なく零したつもりだろうが、俺は瞬時に理解する。御幸が有名になったことで、ワンチャンを狙う奴は多くいた。そういう奴は大抵、御幸と直接話すことは難しいからと、一旦俺を挟んで御幸と繋がろうとしてくる。ハナから御幸の名前を出しただけ、このサトウという女子はマシな方だ。大学二年の頃なんか、付き合っていた彼女が御幸にアタックしていたと聞いて、マジで蹴り飛ばしてやろうかと思った。さすがに女を蹴り飛ばすのはマズいから、「お前、今の彼女とは別れたほうがいい」と馬鹿正直に話してきた御幸のケツを「忠告どうもな」って蹴ってやった。御幸は不服そうにしていたけど、後日「別れた」と一応報告してやったら、心底安堵した顔をしていたので、まあ、アイツなりに俺のことを本気で心配していたんだろう。その後、「お前、女見る目ねえなぁ」なんて揶揄いに腹が立ち、もう一発蹴りをいれてしまったんだけど。

「遅れてくるらしーぜ。すげー囲まれるだろうけど、話せたらいーな」

 適当に言って、まだ何か言いたげなサトウを残してその場を離れる。野球部の元に戻れば、「いいんか」とゾノが聞いてきた。こいつ、なんか勘違いしてんな。

「いーんだよ。御幸狙いだったわ」
「……そ、やったんか……」
「なに気まずそうにしてんだよ。つーかお前も気ぃつけろよ、鈍感なんだから」
「誰が鈍感や!」
「御幸、有名になったからな。正直狙う奴はいっぱいいるだろ」
「今日もすごい囲まれるんだろうなぁ」
「有名と言えば、苗字さんもだろ」
「あ、俺、こないだのドラマ見てたわ。元々綺麗だったけど、また綺麗になってんな。なんかもう神々しい」
「だって高校時代って、メイクなしであれだったんだろ。そりゃ余計に綺麗になるよな」

 何気ない会話に苗字の名前が飛び出て、どきりとする。そんなこちらの気も知らず、ゾノは「倉持と御幸と同じクラスやったよな」と零した。

「おー。席も何度か隣だったわ」
「マジか。サイン頼んでくれ」
「んな仲じゃねーわ」

 こちらの台詞に被せる勢いでアホな頼み事をしてきた麻生の肩を小突く。
 そのうち、関や山口も集まり、結局、野球部のメンツで固まる羽目になってしまう。麻生は元カノとなんとか話したい、みたいなことを言っていたけれど、他のグループで楽しそうにしている彼女に声をかける勇気はあるんだろうか。
 ホールの真ん中にあるステージに幹事の男が立ち、マイクをかまえた。「皆様、お集まりいただき、ありがとうございます!」体育祭の頃にも見せていた明るい笑顔と、不思議と人を鼓舞する声で、彼は乾杯の音頭を取った。

「何人か遅れてくる人もいますが、まずはひとまず。乾杯!」
「かんぱーい!」

 近くにいた者たちとグラスを合わせ、とりあえずビールを流し込んだ。
 ホールの後方に食事がバイキング形式で並べられている。懐かしい音楽がかかる中、人混みを抜けて食事を取に向かう。サラダとか肉とか、けっこう種類豊富だ。ホールも豪華だし、高い会費を払っただけはある。
 野球部で固まって料理を食べていたら、案の定、御幸狙いの女たちがわらわらと寄ってきた。本人が来てたら全員押し付けるのに。どんくらい遅れてくるつもりだ、御幸のやつ。
 そう思ってしばらく、ホールの入り口がにわかに騒がしくなった。全員の視線が自然と集中する。「悪い、遅くなった」と幹部に謝罪するのは御幸で、その隣には。

「ごめん、思った以上に遅れちゃって」

 鈴のような声で告げる苗字がいた。ゴツい御幸の隣に並ぶと、華奢な身体だとか白い肌が余計に際立っている。
 誰からともなく、「話題の二人だ」という声が上がった。「苗字さん、ドラマ見たよ」「CMもめちゃくちゃいいね」「御幸くん、こないだの試合かっこよかった!」「え、ていうか二人で来たの?」
 あっという間に囲まれた御幸が、助けを求めるようにこちらに視線を寄越す。
 知らん、がんばれ。
 野球部一同が念を送り、御幸の顔が渋くなるので、なんだかおもしろくてちょっとスカッとした。あんなに有名になって、いろんな女から囲まれても、やっぱり御幸は御幸のまま、野球にしか興味がない、社交性のないような男で。

「めちゃくちゃ助け求めてない?」
「知るか知るか」

 けらけらと笑いながらその様子を眺め、ビールを流し込む。「あっちすごい人気だねぇ」話題の二人の元に行かなかった男女たちとなんとなく一緒になって喋っていたら、

「倉持くん」
「は?」

 懐かしい声がして、反射的に威嚇するような声が出た。周りにいる奴らがポカンとしているけれど、俺だって理解が追いつかない。人だかりを抜け出してこちらまでやってきたのは、紛れもなく苗字だった。
 シンプルな黒いワンピースは彼女が着ると不思議と華やかだ。体のラインが綺麗からか、と考えて、変態くせぇと雑念を振り払う。控えめに覗く鎖骨部分で、小さなダイヤのネックレスが光っていた。
 「何飲んでるの?」と、彼女は自然に距離を詰めてくる。周りの視線がちょっと痛い。特に、野球部の。席が隣だっただけじゃねーのかよ、何でお前に話しかけんだよ、みたいな圧がすごい。

「ビール。苗字もビールだろ、それ」

 無視するのも会話をぶつ切りにするのも変なので、それらしい問いかけを返した。「うん」頷いた彼女が続ける。「あんま強くないんだけど」「へぇ」
 ん、と彼女がグラスをそっと掲げた。呼応するように差し出して、グラス同士を軽くぶつける。へらりとした彼女の微笑みが高校生のころと全く変わっていなくて、胸の奥がざわついた。そんな感情を誤魔化すようにビールを勢いよく呷ったら、「御幸といなくていーのかよ」なんて言葉が思わず飛び出した。

「えっ、なんで?」
「……べつに。一緒に来たんじゃねぇの」
「あ、違うの。一緒に入っちゃったけど、ほんとに偶然で。一階のエレベーター前で鉢合わせただけだから」

 その御幸はまだ人だかりから抜け出せていない。
 苗字と話したそうにそわそわしている奴は何人かいて、それほど鈍くない彼女は気づいてもおかしくないはずなのに、俺との会話をやめようとしなかった。

「でも、御幸くんまたおっきくなったね。こないだ始球式でも会ったんだけど」
「あー。それ、俺も見たぜ」
「うそ、球場来てたの?」
「いや、テレビだけど。お前、いいボール投げてたな」
「えへ、嬉しい。練習したから」

 思っていた以上に会話が続くし、正直楽しいというか、切り上げるのがもったいねぇな、なんて思ってしまう。けれど、痺れを切らした周りが「苗字さん、こないだのドラマ見たよ」とか「名前ちゃん、始球式にも出てたよね。ネットニュースになってた!」とか明るく話しかけてしまえば、それ以上二人だけで話すわけにもいかず。結局、幹事が締めの挨拶をするまでの間、苗字と話す機会は巡ってこなかったから、そんなもんだよなぁ、と思っていた、のだけど。
 ビンゴゲームの間中、「倉持、何の話してたんだよ」「仲良いんじゃねぇか」とぐちぐち言ってきていた野球部連中と「二次会どーする」なんて話をしていた時、近くを通りがかった苗字とばっちりと目が合ってしまい、照れたように笑った彼女はもう一度俺を呼んだ。

「倉持くん。二次会行くの?」

 彼女の隣には、当時弓道部だった女子が数名集まっている。

「野球部の連中とどーするか話してるところ。たぶん行くかな」
「そっか」
「まー、クラスの方行ったり女子と飲むやつもいるみてぇだけど……」

 言いながら、苗字の様子が少しおかしいことに気づく。これは、どういうアレだ。少し思案した後、「誰か飲みたい奴でもいた?」と問いかけたら、彼女は焦ったように目を見開いた。「なんか気にしてるだろ」と畳みかける。
 そういえば苗字は、たまに野球部の練習を見に来ていたような気がする。「苗字さんだ」「こっち見てねぇ?」なんて、部の連中が浮ついて、監督に喝を入れられていたっけ。自分の大会や練習がない時は試合の応援にも駆けつけて楽しそうにしていたから、誰かに気があるなんて思いたくもなかった男子高校生たちは「ただ野球が好きなんだろ」という結論を半ば強引に出していたけど。
 ……やっぱアレ、誰か見てたとか、そーいうのかよ。
 じゃあ誰を見てたんだ、と考えたら、普通に浮かぶのはひとりだけ。

「御幸は帰るぜ、たぶん」

 ちょっと冷たい言い方になってしまったけれど、嘘ではない。同窓会の半ばごろ、ようやく人だかりから解放された彼は、げっそりした顔で俺たちに「助けろよ」と文句を述べた後、「明日も自主練の予定だけどお前らに誘われたから来たのに」なんてぼやいていた。
 苗字の表情がちょっと引き攣って、「御幸くん、というか」たどたどしく紡がれる。彼女の隣にいた友人たちがその背中を小突いた。それに押されるように、苗字は口を開く。

「その、く、倉持くんと……、飲みに、行きたい」
「……は?」

 いや、は? 俺と? 飲みに? それは、二人でってことか?
 苗字の言葉が、真意が理解できない。何だこれ、ドッキリか、嫌がらせか。
 彼女の表情に揶揄いとかは浮かんでいないけれど、いや待て、苗字は今や超実力派の女優、こんくらいの演技、朝飯前だろ。つーか、えっと、そう、こいつは女優なんだし。

「……いや、マズイだろ。デマ書かれて叩かれんぞ」

 思ったよりも冷静な指摘が飛び出て、我ながら驚く。苗字はというと、(それを言われたら終わり)と言わんばかりに肩を落とす。申し訳なさが募るけど撤回するわけにもいかなくて、どうしたものかと焦っていたら。

「ノリ〜! おまえ、野球部と飲みに行くの?」

 気まずい空気をかき消すみたいに、明るい声が響いた。「ホンダ」と、ノリがその名前を呼ぶ。
 記憶を辿って、思い出す。弓道部の部長だ。苗字と一緒に弓道の全国大会にも出ていたような奴なのに、日常生活には全く落ち着きがないし、勉強では野球部連中と下位争いを繰り広げていたから、直接の関わりはほとんどないにも関わらず、意外と覚えていた。そういえば、ノリと同じクラスだ。

「どうしようか話してるとこ。あんまり人集まりそうにないし。……というか、野球部とはたまに行くから、新鮮味もないんだけど」
「ほーん。じゃあこの辺全員で行く?」

 ホンダが長い指をぐるりとして指し示す。それはつまり、野球部と弓道部まとめて、ということか。
 みんなお酒が入っていたのと、ホンダのアホみたいな明るさに当てられたのもあって、結局、彼の提案に乗ることになった。
 ホンダが予約を取ってくれた居酒屋で、野球部と弓道部がごちゃ混ぜに並ぶ。ホンダの性格のおかげが、二次会は思っていた以上に盛り上がった。ナベは「実は……」なんて弓道部側でやってきていた彼女まで紹介してくれたし(中学時代の同級生でもあって、成人式で再会して付き合いが始まったらしい)。

「倉持くん、大学でも野球やってるんだよね。写真とかある?」

 いつのまにか隣に来ていた苗字に尋ねられる。
 近くねぇか、なんかいい匂いすんだけど、勘弁してくれ、とは思うだけ。
 彼女の距離の近さは果たして、酒に酔っているせいなのか、芸能界で過ごした歳月が関係しているのか。真剣に考えるほど虚しくなりそうで、思考を止める。

「まー、ある程度は」
「え、見たい見たい」

 無邪気にはしゃぐ苗字が、机の上のスマートフォンを覗き込む。

(――だから近ぇって!)

 叫びたい気持ちをぐっと堪える。
 高校時代より長くなって緩くウェーブのかかった髪が肩に触れて、くすぐったかった。

「あ、この写真いいな」
「それ、先輩くれたやつ」

 苗字が指したのは、試合が開始してすぐ、グラウンドへと選手が駆けだした瞬間の写真だった。ちょうど俺が真ん中にいて、何かおもしろいことでもあったのかめちゃくちゃ笑っている。
 かっこいいね、と笑う彼女は、「これほしい」なんて続けた。

「ヒャハ、こんなんもらってどーすんだよ」

 冗談だと思ったから、揶揄うように返したのに、彼女は存外真剣な声音で「待ち受けにする」と答えた。

「酔ってんな、冗談でもやめろ」
「わたしの写真もいる?」
「バカか」

 軽い調子で小突こうとしたら、紅い頰を向けられていて思わず手が止まった。どこかぽわんとした表情で、彼女は「じゃあ、待ち受けにはしないから。写真だけちょうだい」と呟く。酔ってきているのか、いつもと比べると呂律がまわっておらず、ふわふわした声になっている。

「……だから、俺の写真なんかもってどーすんだって」
「……見たら元気出るもん……」

 ぐ、と言葉に詰まる。
 「もん」ってなんだ、「もん」って。あざとい、つーか、かわいい。記憶の中の彼女はもうちょっとしっかり者のイメージがあったけれど、この幼さはやっぱり酒のせいだろうか。
 そんな状態で、駄目? と見つめられては、「……駄目じゃねえけど」と返すことしかできなかった。緑のアイコンをタップしてアプリを開き、もうずっと使っていなかった彼女の連絡先を見つけだす。送られた写真を確認した彼女は心底嬉しそうな顔をすると「今度、試合の応援にも行くからね」なんて約束まで取りつけて微笑んだ。頬が紅く染まっている。酒の席での戯れだろうなと思いつつもドキリとしてしまったのが悔しくて、「そうかよ」と素っ気ない返事をするので精いっぱいだった。

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