俺と一緒にここで死ね


非公式・無節操・全年齢向け二次創作作文置き場
管理人:中野かたく(連絡)

そっちのみちはまっくらやみ


2022年夏のTwitterタグ企画『#N市寺生まれのHさん』のお焚き上げです。
波羅夷空却くんがモブとおしゃべりする話です。

 通学路の途中にあるトンネルは、小さく、細く、短くて、その上昼でも夜でも薄暗く、端的に言うと事故が絶えなかった。中は狭いからと控えられていたものの、入口と出口にはくどいくらい交通ルールの案内が貼りたくられ、常になんらかのお供えがされていて、それぞれ違う目撃者募集の看板が立っている。
 人ふたりが並んだらぎちぎちになるようなものをどうして作ったのか、と文句を言うものの誰も調べはしなかったし、誰かがこれこれこういうことらしい、と言ってもすぐ忘れてしまった。さんざん事故が起きたせいもあって、近隣の住民はあのトンネルを通るときのルールを物心ついたときから叩き込まれたし、新しく越してきた人にも町内会から説明がされている。
 越して早々にされる面倒くさい説明に最初は気乗りしない顔をしていた人も、出入口に常に新しく綺麗な花やお菓子、おもちゃが備えられているのを見ると居住まいを正す。何度も補修と補強を繰り返された切実な願いのこもった看板には、一つ前の元号の変わったばかりの頃の数字が書かれているからだ。
 ルールと言っても出入り口にも貼られている普通の交通ルールでしかない。大人も子供も譲り合って利用する、自転車は必ず降りて通る……幼稚園児でも教わるような当たり前のことだが、厳守してくれ、と念を押されるのだけが違う。多くの人は実際にトンネルを見ると納得してくれる、が――
「まあ守らんバカはいるわな」
 赤毛の、到底僧侶とは思い難い格好の人がいつもよりなお薄暗いトンネルを先導して歩く。それも近くに何やら白い影を連れて。

 どうしてこうなった? 普通に帰っていただけなのに。夏休みの終わり、明日から学校がはじまるという最後の夕日を惜しんでいたらすっかり日が落ち、友達もみんないなくなっていた。明日は朝寝坊できないからだろう。慌てて駆け出したらおかしなことに巻き込まれた。
 最初は急いでいたから気づかなかったけれど、いつもならばとっくに抜けているはずのトンネルから出られなくなっていたのだ。ゆっくり歩いたって数分の距離、まして走りなんてすれば十数秒で外に出る。それなのに今日は息が上がるまで走っても出られない。
 薄暗いトンネルはほとんど街灯のついた外とかわらないから気のせいかと思って走り続けた。けれども等間隔に壁についたぼんやりとしたオレンジの灯り――今日は出口側になる方の一番近く――の唯一ヒビが入ったものが何度も視界の隅を横切って、さすがに足を止めた。
 ちょうど真ん中あたりにいたから前後の距離感を目算するも、いつものトンネルと変わりない。短い、走れば十数秒で抜けられるはずの長さ。入ったときと同じ街灯に照らされた出入り口は羽虫がばたばたと舞っている。おかしなものは何もないのに、自分はトンネルの中に閉じ込められていた。
 一度気づいてしまえば冷静ではいられない。ただでさえぼんやりとした灯りはいつもよりさらに弱々しく感じるし、そっけないコンクリートの壁の汚れが顔に思えて目が泳ぐ。さっきまで走っていた道だって、こころなしか足をひっぱるようで無闇に足踏みをしてしまう。
 なにより、自分以外に誰かいるような気がするのだ。気配、足音、息遣い……見渡す限り自分しかいないのに、あさっての方向からカシャン、と音がして、ぼそぼそと話し声がする。人が動いたときのように空気が動きもした。絶対、見えない誰かが、何かがいる。
 鏡も何もないけれど自分が真っ青なのがわかる。全身から冷や汗が吹き出て止まらず、日が落ちてなお蒸し暑いのに背筋に寒気が走ってぶるりとふるえた。落ち着こうとしても心臓がばくばくと脈打ち、指先がかちんこちんに固まって動かない。トンネルを抜ければすぐ家なのに。トンネルさえ抜ければ。それなのに、どうしよう、どうしたら――はぁ、はぁ、と呼吸が速くなり、喉から細い息がひゅうひゅうと鳴り出した瞬間。
「破ぁ!!」
 という大きな声がして、ばちん! と背中を強く叩かれた。
 あんまりにも突然で容赦のない痛みと驚きに悲鳴すら上げられず、恐怖も不安もどっかに行ってしまう。
 さっきまでとは違う理由で飛び出しそうな心臓を押さえながら振り返ると、見たこともない赤毛の不良が立っていた。

 ひぇ……っと今度こそ悲鳴を上げると、ご挨拶じゃねえかと笑われた。に、と鋭い犬歯を覗かせるのに後ずさったものの、自分以外の誰かという存在に安心したのか涙があふれ出す。おかしいといえばトンネルに入る少し前からだ。いつもならもう少し人通りがあるはずなのに、誰もいなかった。もしかしたらトンネルに入る前からはじまっていたのかもしれない。わからない。不良でもいい、殴られてもカツアゲされてもいい。このトンネルから出られるならそれで。
「男がぴーぴー泣くんじゃねえよ……鼻水まで垂らしやがって」
 眉間のシワを深めて、スカジャンのポケットから取り出したぐしゃぐしゃのティッシュを押しつけられる。おそるおそる広げると未使用だから安心しな、と一緒に出したらしいガムを食べはじめた。もたもたと涙をふき、鼻をかむ間にぷぅ、とガムを膨らませた不良は顔面の体裁が整ったのを確認すると、こともなげにじゃあ出るか、とのしのし歩き出す。
 有無を言わさぬ言動に逆らえぬまま後ろについていくと、トンネルに負けず劣らず恐ろしいことに気づいてしまった。
 不良の背後に白い影がくっついているのだ。しかもときおり何かを話している。うるせえバカ、と親しげな雰囲気で会話しているらしいのがより恐ろしく、戸惑って足が止まってしまう。言われるがまま、流されるままについてきたものの、相手はどう見ても不良だ。ティッシュをくれたし頼もしく見えるけれど、よく見たら両耳にびっしりピアスをしている。怖い。トンネルも怖いけれど、平気でおばけと話す不良も怖い。
「……拙僧は僧侶だ。この近くにあんだろでっけえ寺。そこのお坊さんだよ」
 トンネルの中は音が響く。足音がしなくなったのに気づいたのか振り返った自称お坊さんは、申し訳ないけれどとてもそうは見えなかった。

 このナリだから疑われンのは慣れっこだ、信じなくてもいい。ただここで会ったも何かの縁、こっから出るのを手伝ってやる。通りすがりのお坊さんにまかせな――そう言うやいなや、背後の白い影をすぱん、とはたき倒した。
「コレが悪さすんじゃねえか〜って思ってんだろ? もしなんかしたらご覧のとおりだ。こんなん無視してついてきな」
 ヒャッハッハ、と愉快そうに笑う姿はお坊さんというよりむしろ大魔王とかそういうものに見えたけれど、言ったら自分もはたかれそうでとても言えない。はは……と空笑いを返すと、しかし、といくらか同情した声でどうしてこんなことになってしまったかを話してくれた。
 ここで最初の近隣住民には染みついた、新規住民には面倒くさいルールが関係してくる。
 なんでもこのトンネルは度重なる事故であまりよろしくない状態らしい。決して過去にすまいという遺族の意志と、無念の被害者の意志が呼応し、事故の原因になったようなルール違反を重ねると今のように閉じ込められてしまうという。重ねると、なのは仏の顔も三度までって言うだろとのことだった。
 同情気味だったのは、自分がルール違反者に巻き込まれた被害者だからで、背後の白い影が犯人なのだという。だから折りに触れてすぱんすぱんとはたいているのか。
 そして人間だろうとなかろうといたましい事故の原因となるものには平等に発動する罰の後始末をするのが不良……お坊さんの仕事だそうで、さっきの破ぁ!! というのが巻き込まれた者への解除の呪文……らしい。これから飯だったのにこのクソバカのせいで、とまた影をはたいた。
 そう言われるとお腹が減ってくる。ずっと飲まず食わずでこの中に閉じ込められて、トンネルを抜ければすぐなのに。夏休み最後の日、から揚げを作ってあげると言われて急いでいたのに巻き込まれて。
「腹減ってんのにバカのせいで迷惑かけたな」
 もうすぐ出れるぞ、と言われて前を向くと見慣れた出口の景色がすぐそこにあった。横を見ればヒビの入った灯りもあるから間違いない。やっとだ。安心すると街灯がいつもよりまぶしく見える。トンネルとは逆だ。
 ほっとして足を踏み出すと、そこはちゃんとトンネルの外だった。少し怖くて街灯の真下を狙った着地は大成功で、慣れた感触の少しでこぼことした地面を蹴って走り出す。そうするとすぐにから揚げの匂いがして、家の灯りが見えた。やった、よかった、と脱力して、もうひと走り、と構えて、そういえばちゃんとお礼を言っていない、と気づいた。
 あんな恐ろしい体験、一生出られないんじゃないかと思って泣き出しそうな――実際泣いてしまった――ことなんて初めてで、ありがとうくらい言わねばと踵を返そうとする、と――
「絶対振り返るな」
 トンネルからはもうずいぶん離れたはずなのに、すぐ近くから声がした。ひどく緊張した、厳しい声が。
 真後ろと言っていい。ほんの少しでも首を、体をひねったらあの赤毛が見えるくらい近くから。
 近づく足音も何もしなかった。気配も。
 思い出すのはあの白い影。
 自分を巻き込んだ、あの――
「……大丈夫だよ。さっさと帰って飯食って風呂入ってクソして寝な」
 再び恐怖で固まり、にっちもさっちもいかなくなっていると優しく宥められた。
 どっからどう見てもお坊さんには見えない不良がたしかにお坊さんなのだと信じられたのはその時で、さっさと行け、と駄目押しされて駆け出す。
 よくわからないけれど、あのお坊さんが言うなら大丈夫。絶対大丈夫だと信じられる。見慣れた灯りとからあげの匂いが近くなった。もうすぐ家だ。みんながいる。帰って母さんと父さん、オカルト好きの姉さんと怖がりの弟にも話すのだ。近所のお寺、空厳寺のお坊さんはすごい、と。





「で、てめえは反省してんのか?」
 物見遊山に来やがってこのバカが、とさっきからずっと口汚く罵るわ殴るわこの坊主は全くとんでもない。こんなにボコボコにされては反省も何もあったもんじゃないだろう。
 あまりにもぎゃあぎゃあうるさくて生返事をすると、がん! とげんこつを振り下ろされた。

 一部のオカルトマニアには有名な霊障スポットに突撃してすぐその現象は起きた。来たときには数分と経たずに出られたトンネルが、歩けど走れどスキップすれど……どうやっても出られない。壁にチョークでつけたスマイルマークの目印もくり返しくり返し横を流れていく。
 ちょっと通行人の邪魔をするだけで味わえるとは思えない立派な心霊体験に、撮影ができないことが惜しい。これは電子機器が使えなくなるからではなく、近隣住民に止められる――最悪警察を呼ばれる――からだ。警察はまずい。家族に連絡をされてこっぴどく叱られた知り合いがいるし、実際に危ないから肝試しなんかやめて帰りなさいと言われたこともある。
 今も弔われ、多くの人が悼む場をおもちゃにするなんて、というのはごもっともだが、こんなにも容易く超常現象を味わえる場所は他にない。科学的に検証されたっていいはずだ。もったいないことをする。文化的学術的損失と言ってもいい。
 異常が発生してから数十分。現場には自分しかいないように調整した。誰にも迷惑はかけていない。ならばいいだろう、とポケットからスマホを出した瞬間。
「オイコラ罰当たり」
 隠しもしない不快感丸出しの声とともに、背後からスマホを叩き落とされた。この日のために買った高性能カメラ搭載の最新モデルは角から嫌な音を立てて地面とぶつかり、くるくると回りながら両面にヒビが入ったことをアピールしてぱたんと倒れた。
 まだまだ分割払いの残る真新しいスマホの惨状に叫びながら拾い上げ、弁償しろと振り返る。せっかくこの怪現象の解明に一役買おうとしたのに、修理代はもちろん残る分割の支払いもしてもらわないと割りに合わない。幽霊だとしても容赦しない、と薄暗がりに目をこらした。
「だぁれが払うかっつうの! ったく……こっちはこれから飯だったっていうのに……夏はお前みたいなバカが多すぎんだわ」
 はぁぁ……とこちらがつきたい深いため息と、ぐきゅぅ……という大きな腹の音を同時に立てた器物破損犯にぎろりと睨まれる。犯人――頭一つ分くらい小さな少年は、髪は真っ赤、目は金色、ピアスだらけの両耳、派手な服装という、どこからどう見ても柄の悪い不良だった。
 見た目を裏切らず躊躇いもなく人のスマホを破壊するような相手に怯んで後ずさると、逆にぐっと距離を詰められた。近くで見るとよくわかる、カラコンではない天然の金の目が怒りに燃え、ボランティアさせてるクセに弁償だぁ? と恫喝しながら胸ぐらを掴む。殴られる、と守るように頭を両手で隠すと、舌打ちをしてぽいっと放られた。
「いいか、てめぇらみてぇなバカはみぃんな口を揃えてダレニモメイワクカケテマセ〜ンって言うけどな、かかってんだよ! 拙僧と! あいつに!」
 拙僧……はこの少年だろう。マンガのキャラみたいな一人称に気が抜ける。だけどあいつ? 他に誰かいただろうか。まさか近隣住民が隠れているのか。それはまずい。通報されて警察沙汰になるのはさけたい。
 弁解しようと憤怒する眼差しの指す方を見ると、そこには誰もいなかった。少なくとも『人間』は。
 黒い影。人の形をした……似た、黒い影が同じ場所をぐるぐるぐるぐるさまよっている。ときおり何かをボソボソとつぶやき、人によく似た形になるが、決して人間ではない。
 これまたすごい。怪奇現象にとどまらず幽霊……? 怪異……? まで……。この小さなトンネルはすごい場所だ。絶対もっと広めて研究すべきだ。壊れかけのスマホでもいいから記録せねば――興奮と期待でわくわくとしながらかまえようとすると、ばちん! と手を叩かれた。
「おっまえ……まだわかんねえのか? 迷惑してんだって言ってんだろ!」
 ただ帰りたいだけのガキがお前のせいで閉じ込められてんだ、と言うと、不良は黒い影の方へと向かっていく。何をするのかと見ていると、破ぁ!! とネットで見た怪談みたいな掛け声と共に黒い影を叩いた。
 とたんにざぁ、と黒い影が消えて、うっすらともやのかかった中学生くらいの男の子が出てきた。黒い影の本体の、幽霊……だろうか。すごい。リアル寺生まれってすごいってやつだ。そういえば拙僧なんて言っていたじゃないか。え、え、今日はなんて日だ。ものすごくツイてる。スマホが割れたのは痛いけれど、これまで行ったどの心霊スポットよりもすごい。感動していると二人の間でコミュニケーションまで成立しているらしい。ティッシュを差し出したり話しをしたりすると、こちらに声もかけずに幽霊を引き連れて歩き出した。置いていくなんてひどい。絶対この後も面白いじゃないか。
 幽霊が出ると言われて行ったら廃墟に住み着いた浮浪者だったこともあれば、ヤクザがあやしい取引をしていたこともある。かと思えばそれすらないただ暗くて汚いだけの建物のこともあった。今まで苦労して行ったのに徒労に終わったのはなんだったのか。なんとなく思い立ってぶらりと寄っただけでこんなすごいなんてズルい。
 つい興奮して、うぉぉ、と呻くとうるせえバカ、と叩かれた。初対面なのに人をなんだと思っているのか。しかも中学生くらいの幽霊にはこの不良しかちゃんと見えていないらしく、こちらをチラッと見ては恐ろしげに目をそらす。普通に見えていたら間違いなく不良よりも頼られる自信があるが、見えていないなら仕方がない。けれどもやはり純朴そうな中学生に派手派手しい不良は強烈なのだろう。不安そうに足を止めた幽霊に、バカだのクソだのと罵倒したのと同じとは思えない優しい声と顔で「拙僧は僧侶だ」と言って宥めていた。
 この近くでデカい寺と言えば五百年続くという、これまたオカルトマニアには有名な寺しかない。霊験あらたかな巨大な龍の幻が見れるという噂があるが、まさかこの不良、本当の本当に寺生まれのなんちゃらさんなのか。思わずヤベェ……とつぶやくと、なんだキモチわりぃと叩かれた。すぐ手も口も出すが本当の寺生まれなら頼りになる。というか現に頼りになる様を見てきた。話のネタにもなるし、一連の暴言と暴力行為を寺にクレームを出してもいい。ともかく一部始終を見届けてトンネルから出るまでの辛抱だ。
 その後も道すがら、すぱんすぱんと叩かれ続けた。なんでもこの現象は人でも霊でも起こせるし巻き込むらしい。口ぶりからすると人が起こすことの方が多いようだが、こんな簡単に体験可能な心霊現象は早々ないから仕方ないだろう。しかも不良とはいえこうして助けに来てくれるのだ。もはや下手なテーマパークのアトラクションよりも楽しめるし安全と言える。
 一体何が不満なのか。いっそ金でもとってきちんと心霊ツアーガイドをしたらいい。さっきの破ぁ!! なんてみんな大喜びするに違いない。トンネルを出たら提案してみようかと思っていると、さっきまではどうやってもたどり着かなかった出口が目の前にあった。この不良、どうやら本当に本物だ。せっかくだから幽霊とを話をしたり、せめて写真だけでも撮りたかったが難しいだろう。簡単な割に貴重な体験だったが終わりがあるから楽しい思い出になる。噛み締めながら最後の一歩を踏み出そうとすると、不良にひときわ強く叩いて止められた。
 何かと思えば、もやもやとしていた中学生の幽霊がぱあ、と明るく輝き、光の玉のようになって跳ねながら一目散にトンネルから飛び出した。夜の闇を照らす明るさは近くの家々の灯りに似ていて、なぜか懐かしい。そのまま行ってしまうのかと思ったら、ふ、と止まりこちらに戻ろうとして見える。何事かと不良の方を見ると、今までで一番おっかない顔をして「絶対振り返るな」と玉となった中学生に呼びかけた。耳だけでない、全身を貫いて響く声は、怯えて硬直する玉に、うってかわって宥めるように語りかける。言葉そのものは乱暴で下品だったものの、不思議と今までで一番坊主っぽい声に玉も安心したのか、何度か明滅すると再びまっすぐ跳ねだし、やがてきらきらとした残像を残して消えていった。
 完全に消えるまで見送り終えると、じぃんとした余韻を味わう間も無く出ていい、いや出ていけ、と不良にトンネルから蹴り出される。たしかにあの幽霊が閉じこめられた原因になったかもしれないが、あっさり解決したし、やっぱりそんなに悪いことをしたと思えない。反省しているのかと言われても、破ぁ!! でなんとかなったならいいだろう。自分が面倒なだけじゃないかこの不良坊主、と思っているのがバレたのか、がん! とげんこつが脳天に直撃した。
「さっきのあいつはお前みたいなバカに狭い道なのに邪魔だって殴られて死んだんだよ」
 ほんの数年前の今日。夏休み最後の部活の帰り道。明日も会うはずの友達と妙に離れ難くて、いつまでも学校に残っていた。また明日、と疑いもせずに手を振りあって別れて、それっきり。幸いと言えるのか犯人は捕まっているが、むしゃくしゃしてちょっと叩いただけなのに死ぬなんて、と証言したという。最後になるとわかっていたのかしら、と遠くを見ながら語る母親は、今も同じ家で一緒に食べるはずだった、弁当にも詰めてやるはずだったから揚げを八月の終わりに揚げては供えているのだ――と、人を容赦なく叩く不良らしくない神妙な顔で語る。
 言われてみれば玉が消えた方からいい匂いがする、と鼻を鳴らすと再びがん! とげんこつが降ってきた。
「はぁ……本当のホンットに救いようがねえバカじゃねえか……。拙僧は導くしかできねぇが、あんまりバカでそれもできそうにねえ」
 つぅかしたくねぇなぁ、とぼやくとスマホをいじり出す。何やら電話をしているらしい。繋がるなり、よぉ儲かってるか? と大声で話しはじめた。今すぐ来い、お前向きのどえらいおおたわけがいる、とケタケタ笑う声は柄が悪いなんてものではない。鬼か悪魔か、と頭の中で罵ったのが聞こえたかのように、ちょうど電話を終えた不良が目も口も三日月形に歪めて嘲笑った。
「お前みたいな輩、なんでか警察呼ばれんのすっげぇ嫌がるよな」
 人様に迷惑かけといて何様なんだか知らねえけど、拙僧はヤサシイから呼ばねえ。代わりにもっと嫌なやつを呼んでやる。もうすぐ来るから楽しみにしてな――ヒャハハハハ、と大口を開けて笑う様は絶対に僧侶ではない。たまらず鬼! 悪魔! と叫ぶと、すぅ、と目を細めて耳元で静かにささやかれた。
「……拙僧はやろうと思えばあのトンネルの中にてめぇを残せたんだが……」
 言外に意味がわかるだろうと示されて血の気が引く。そうだ、この不良は本物の寺生まれのなんちゃらさんなのだ。そのうえ普通に喧嘩も強い。やり返そうとしても隙がなかった。頭一つ分小さいはずの相手に超能力どころか物理も敵わない。今だって少しでも気が変わったらどうなるかわからないのだ。
 今日、初めて恐怖でふるえて腰が抜ける。間近で見ると筋肉のついたたくましい足に縋りつこうとするも、ぺ、と蹴り飛ばされた。これから来るというやつだって何が来るかわからない。人間ならいいけれど、この様子だと人間ではない可能性すらある。自分はこれからどうなってしまうのか。トンネルの中ではついぞ感じなかった恐れに、ひぃひぃふぅふぅと呼吸が乱れ、冷や汗とふるえが止まらない。
「あいつもそんなふうになってたんだぜ? しかもお前のせいで真っ黒く変わりかけちまって……家に帰るどころか地獄に落ちるとこだったんだからな」
 トンネルからは出られたはずなのに、明るすぎる街灯がくっきりと影を作るのに、まるで先が見えない。
 急に目の前で閉ざされた家路。どれほど恐ろしかったことか。そんなこと、いまさら気づいてももう遅い。
「そう怖がりなさんな。"まだ"生きてるから閻魔様じゃなくて人間様が裁いてくれるわ」
 とうぶんスマホの買い替えはできんだろうがな! と悪魔のような僧侶が心底愉快そうに笑った。
 寺生まれはすごい、じゃない。こわい。
 みっともなく泣きわめいて視界がにじむ中、から揚げの匂いがただよう。さっきまで美味そうと思ったその匂いが、今は線香のようでただただ恐ろしかった。

2022/9/1
2022/09/01/作文/


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