俺と一緒にここで死ね


非公式・無節操・全年齢向け二次創作作文置き場
管理人:中野かたく(連絡)

日、廻りてまた此処で


2023年夏のTwitterタグ企画『#世にも奇特な空厳寺』に参加し損ねたお焚き上げです。
波羅夷空却くんがモブのお願いを聞いてあげる話です。

 暦の上ならば秋の未だ厳しい残暑。帽子だけはかぶって寺の庭へと飛び出した坊主の視界の端に、折れそうなほど細い俯いた妙齢の女が入り込んだ。
 自分ですら最低限の対策をしているのに、と視線をやれば細いだけでなく色艶がひどく悪い。ぱさぱさの髪は乾いて痛んでいるし、見えている肌もかさかさと荒れている。身につけているものだって何年も着たきりかと疑うほど色褪せ擦り切れていて、骨の浮かんだ腕や、ほつれて破けそうになびく裾からわずかに覗く足に、袖なしのワンピースを着ているらしいと推測するしかない。
 駆け込み寺という言葉があるように、ときおり寺に助けを求めて逃げ込むものがいる。自分の意志ではなく置き去りにされたり捨てられたりするものもいるが、今回は年齢からすると前者だろう。見えている部分に怪我はなさそうだが、目に見えない傷などザラにある。
 なんであれ、不躾にじい、と見つめても俯いたまま目の合わない女が何を望んでいるかは話してみないとわからない。ここまでの全部が考えすぎで、着の身着のまま、ただなんとなくぼんやり来てしまったなんてものもいるのだ。
「どうしたんだよ」
 人二人分くらいあった距離を一人分まで縮め、坊主がそのままだとぶっ倒れるぞ、と乱暴に声をかければ、返事をしたようなのだが小さくぼそぼそとしていて聞こえない。見るからに弱りきった風貌だから仕方ないか、とさらに近寄って様子を伺うと、負けじとなのか女もぐったりと頭を下げた。
 初対面の人間にあるまじき距離になってなお、汗をかいた気配すらない、干上がったと言った方が正しい有様の女に、まずい、と坊主がすだれのように垂れ下がった髪をかき分ける。立ったまま気絶か何かしてやいないか、という心配はしかし、触れたら抜け落ちそうに傷んだ髪の毛の奥を覗き込んだ時に吹き飛んでしまった。
 びっしりと。顔が、顔の部位があるべき場所の全てに、びっしりと小さな黒い尖った粒が埋まっていた。眉を、目を、鼻を、口を、自分や周囲の人間の顔にあるのと同じものを探せども、ぶつぶつとした真っ黒く鋭利な塊以外は見当たらない。
 覗くな、と言わんばかりに急な熱風が吹くと、弱々しい髪がさわさわと力なく揺れ、顔の表面を覆い尽くす黒い粒も擦れ合い、いくつかが地面に落下した。音も無く落ちたそれらも髪や肌と同じに乾ききっていて、何もしなくともからからと転がるほど軽い。落ちてはじめて平たい卵のような形なのだなと思ったが、気づいた先から次の粒が降ってくる。風が吹くたびにぽとぽとと落ち続ける粒は、刈り揃えられた芝生の上では嫌でも目を引いた。
 一方で坊主は覗き込んだ先に合う目がないとわかるや、仕方なしにぱらぱらと散る小さな塊と女をじいぃ、と見つめていた。ただでさえ大きな金色の目を見開き、獣に似た瞳孔を尖らせ、何かを探るように。
 黒い粒が抜け落ちるたび、真っ黒に埋め尽くされていた顔が穴だらけになっていく。それを受け止める芝生はどんどん黒くなっていくが、女の顔も穴も暗く、人間の顔にあるようなものが生える気配はない。ぼろぼろ、ころころ、いつまでもずっと落ち続ける粒を坊主はじぃっと見続け、芝生の緑が見えなくなるころ、ようやく最後の一つになった。
 穴だらけの顔に人間のような部位が収まっていたならちょうど眉間の真ん中になるあたり、ぽつん、と黒い粒が一つきり鎮座している。風が吹けど、揺れれど、どうあっても落ちる様子のない粒に、坊主はようやく得心がいったと破顔した。
「安心しな、あとは拙僧がやってやるよ」
 そう言って、坊主がまさに穴が開くほど見つめた顔へと手を伸ばす。無遠慮に差し出された指先は、一点。残った粒へと向かい、それ以外は触れた瞬間からぼろぼろと崩れ落ちた。黒々とした芝生の上、人の顔の皮の残骸に似た何かがかさかさと積もっていく。
 数瞬前までは女の眉間に、今は坊主の手のひらにおさまる小さな黒い粒は、乾き、傷み、痩せ細った女の全てを吸い尽くしたように瑞々しく、艶めき、まるまるとして見えた。女もこうなることが望みだったのだろう。坊主の言葉に安心したのか髪も体も何もかもがすっかり消え失せてしまっていた。

 心配性なことだ、とひとりごちて、坊主が託されたばかりの黒い粒を手のひらの中で転がす。無くさないよう、壊さぬよう、優しくもてあそびながら、坊主は庭の一角へと向かっていた。
 たどり着いた先にあの女のようにして待っているもの達が、頭を垂れ、半ば朽ちながら、生命を繋ごうとするもの達がいるのだ。人の姿まで借りて訴えかけたのは本能なのか愛情なのか。どちらにしろ一度請け負ったからには果たさねばならない。
 そう離れていない目的地は、盛りを過ぎてから少しばかり荒れ、そのせいかひとけも失せ、すっかり寂しくなっていた。もちろん寺の者は必要だからあえてそのままにしているのだが、子供は怖がって逃げ出すこともある。
「まあ、ちっとばかし骨が折れんな……」
 坊主が見渡し、見上げた先には、女と同じもの達が遺した生命の重みでか一様にぐったりと首を曲げて待っていた。かつてのように天ではなく、地に在る太陽を見つめるように。

2023/10/6
2023/10/06/作文/


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