ゆうべはお楽しみでしたね
足繁く通って逢瀬を重ねる恋人は、家主なんかよりもよっぽど共同生活に慣れていて、外見に反して家事生活全般でのミスはほとんどない。
なのでまあ、珍しいこともあるものだと思いながら、そういうこともあるだろう、と気にもとめなかったのだ。
考えてみれば、今日は持ち帰りの仕事があるから先に寝てくれ、と告げた後だった。
風呂の準備をしていた恋人が、寝巻を忘れてきたから適当に貸してもらうぞ、と言ったのは。
そして今、非常にまずいことになっている。
いつもより少しだけ長く、熱いくちづけをねだられて、これまた珍しく甘えただと思いながらも、やわらかなくちびるをついばんで、寝室まで見送った。
湯上りのほてった顔が、おっさんくさいとぼやきながら着古したスウェットの袖を少しだけまくっているのが小憎らしくもかわいくて、引き留めたくなるのをぐっとこらえた。
駄々もこねず、物分かりのいいー歴代でも最も理解があると言えるー恋人は寝入りも寝起きも大変いい。
こういう日は仕事終わりにすやすやと眠るいとけない顔を眺め、こっそりとくちづけるのが習慣だった。
だから今日も険のない綺麗な寝顔を堪能しようと、万が一にも起こしたりしないように息をひそめ、気配を殺して、寝室へと向かったのだ。自分の服を着て眠る恋人、なんて貴重な姿も楽しみに。
常ならば小さな寝息が聞こえる扉から、なんとも悩ましげな声が聞こえるまでは。
ちゅ、ちゅう、ちゅぱ、と色っぽい水音と、その合間合間に噛み殺した喘ぎと、甘い吐息が混じる。規則的な衣擦れがときおり不随意に跳ね回った。
ひそめようとするほどに高く細くなる嬌声が、意味をなさない母音の羅列を吐き出し、自分の名前を切なげに呼んで、途絶える。
少ししてごそごそと、おそらく"後始末"をしている気配がした。エアコンを操作して換気までしている。
そのうちぼふ、と大きな音がして、小さくひとや、と呟く声がした。
途中からで、事故とはいえ、恋人のプライバシーを大変に侵害してしまった。
それ以上に理解がある、だとか物分かりがいい、だとかで我慢をさせてしまったのが口惜しい。
くちづけだけでは足りないと、もっとほしいと、素直に言わせてやりたかった。
いつまでも扉の前でくすぶってはいられない。
待ちくたびれた恋人が眠る前に、行かなくては。
2021/07/21
BACK
作文TOP/総合TOP