花か太陽かその全てか
恋人と人波の中、向かい合うようにして出会ったのは日が最高頂に達した時分で、焼肉かバーベキューでしか見たくない風情のアスファルトの上だった。
綺麗なまるい額から垂れ流される汗を拭いもせず、まっすぐに歩いている空却の目はいつもと同じ金色で、けれどもどこか遠くを見ている。
こういうときに目ざとく気づいて、声をかけられ、たかられる、という展開に獄は慣れていた。
特別に背が高いわけでも、目立つ外見でもない。己に自信がないわけではないが、人波にまぎれたときにすぐ見つかるようなことはないと思っていた。あるていど埋没するくらいでちょうどいい。過剰な注目はトラブルの種になる。
それなのに、なぜだか空却にはすぐ見つかった。小学校ぶりに膝カックンをされたあげく、見事にひっかかって笑われたり。後からどこそこにいただろう、と言われて、驚いてどこにいたのだ、と聞いたらえらく距離のある場所をこたえられたりもした。
あの金色には何がどう見えているものか。少なくとも山野を駆ける空却の目は、動きもすれどデスクワーク中心の獄よりは格段に良い。
その野生児の金眼が、珍しく虚空を捉えていた。
距離にして数メートル。普段ならばとっくに小憎らしい顔で、よお銭ゲバ、などと失礼な声かけをされている。
めったにない機会。だというのにひどく躊躇ってしまう。うっかりそのまますれ違ってしまいそうなほど、声をかけられるのが当たり前になっていたのだ。
行き交う人に囲まれ、急に歩みは止められない。距離が少しずつ狭まって、風をきって揺れる赤毛が、金の瞳が、離れてー
「空却」
手のひらを掴んで引き留めた恋人は、あわやいずこかへと行ってしまう寸前だった。
早く、早くーそう思ったのに動けずにいたのは、何にも見えていないような、違う、自分が見えていない目が怖かったからだ。
どんなときも獄を見つけて、映す、金色が、こんなに近くにいるのに気づかないなんて初めてだった。
夏のせいだけでない汗で湿る手のひらは落ち着いてくるとびっくりするほど熱く、脈も速い。馬鹿みたいに緊張したままでは、一回り小さな手から何も読み取れない。
今だって背を向けたままの空却からの返事はなく、振り返りもしてくれない。
「空却……!」
この迷子の子供みたいな声は誰が出している?
急にひとりぼっちにされて、見慣れた温もりに必死で縋りついて泣きだしそうな声は。
「ダッセェ」
少し下から聞こえた揶揄に視線を下げた。
いたずらっぽく微笑む顔、やわらかい声音、こそばゆそうにすぼまる語調が本心からの言葉ではない、と教えてくれる。
「お前、もしかして」
掴んだ手が、熱い。早鐘のような脈も、汗で濡れた手のひらも、自分と同じだ。
「たまには追いかけてくれよ、ダーリン」
花が咲いたような満面の笑みに、あまりあぐらをかいてくれるなよ、と言外ににじませるから背筋に冷たいものが走る。
当然だ。怖いくらい近くにいるのに自分を映さない目にこんなに不安になると思わなかった。
きっと空却はずっとこんな気持ちだったのだ。笑って猶予を与えてくれるだけ、十分に優しい。
馬鹿でやかましいクソガキなのに、妙なところで物分かりがいいから油断する。コンビニで勝手にカゴに菓子だの飲み物だのをつっこむように、ワガママでも嫉妬でもしてくれたっていいのに。
惜しみなく注がれる粗野で乱暴な愛情の上限は獄次第で、もはや空却から一方的にアプローチをされていた頃とは違うのだ。
いいかげん邪魔だろうと人波から外れて、適当な建物の横に移動する。掴んだ手はそのままに、変な距離感のまま並んで謝罪をしようとしたそのとき。
「……まあ、そのしょぼくれ顔がかわいいから許してやるわ」
先ほど掴んだときよりも深く、からみつけて握られた手のひらが穏やかなぬるさと脈拍を取り戻し、手の甲に円を描くように指先が踊った。
溜飲の下がったらしい恋人が、いつもの顔でこちらを見てくれるまぶしさときたら。
「あんまり甘やかしてくれるな……」
思わずため息をもらすと、腕に身体を寄せて抱きつかれた。手のひらも、腕も、身体も、ぴったりとくっついて、何かを噛み殺したような歪な顔をしている。
「ホント、ずりぃのな」
そう小さくつぶやいたあと、破顔したのを何に例えたらよかったのか。
三十路にかわいいはいただけない、と言うことも出来ず、動き回る指を捕まえて、くすぐり返すしか出来なかった。
2021/08/31
BACK
作文TOP/総合TOP