めざめた夢は腕の中

 八月二十一日の夜。仕込んだ梅酒と共に恋人の飲酒も解禁され、料理酒のボトルいっぱいに詰められた液体を抱えて訪ねてきた。
 最初の一杯はお前とって決めてた、なんて笑いながら言われたら、年甲斐もなくきゅん、としてしまう。
 かわいい"空ちゃん"の"最初の一杯"はきっと争奪戦だったはずなのに、誠に申し訳ない。これも恋人ー婚約者の特権だ。

 はじめてだし飲みやすいだろうとサイダーか水割を勧めたのに、頑なにロックがいい、とごねられた。
 待つのが嫌いだと言ってはばからない空却にロックなど与えたら、ぐいっと一気に飲んでしまうのが目に浮かぶようでとても勧められない。
 頭を抱えて酒の飲み方を諭そうとしたら、獄はいつもロックじゃねえか、と、くちびるを尖らせた。
 なんでこの子供ーいやもう成人したからいちおう"大人"かーは、的確に急所を突いてくるのか。
 他に酒を飲む人間なんて山ほど見ているだろうに、自分と同じ飲み方をしたいだなんて言われたら、そんなのはもう、逆らえない。

 絶対に一気に飲むな。ゆっくり味わって飲め。出来ないなら没収する。と言い含めて、とろとろとした淡い飴色の酒をロックグラスに注ぐ。
 氷を静かに溶かしながら満ちていく飴色は、飲み口が広いからかより淡く、金色に近く見える。
 どこか緊張した面持ちで見つめる瞳によく似た色は、常よりもベッドで見るものに近い。
 とろとろと、時間をかけて熟して色香の増す、氷ではなく涙に濡れて艶めく黄金。
 ようやく、本来ならくちびるから何から何まで、全てをいただく予定だった歳になったのだ。

 ちん、とグラスを合わせて一口、口に含ませる。
 強い、香りが鼻を抜け、梅独特の酸味が爽やかで、ともすればきつく感じるそれを、ねっとりとした甘みが中和する。
 冷房をきかせた室内より、ベランダで夜風にあたりながら飲みたくなるような風情だ。
 有り体に言えば知らないはずの郷愁を感じる、素朴な味。恋人が"家族"と呼ぶ人々と作った光景が容易に想像出来る優しい味わいは、もう少し寝かせたら深みが増すだろう。
「美味いな」
 隣で大人しくしているのが気になって声をかける。お世辞ではなく、本心からの言葉だった。
 ところがまるで返事がない。どうしたものかとグラスを握ったまま固まる顔を覗きこむ。
「おい空却……」
 大丈夫か、と金色の瞳を捕まえると、それはそれは綺麗にとけていた。
「ひとや」
 舌足らずでいとけない声音が、やわく弾み、微笑む。
 もしかしなくとももう酔ったのか。グラスの中身はさして大きく減ってはいないが、少し緊張していたようだった。しかも山が庭の野生児だ。鋭い五感にアルコールは覿面に効く。
 やはりソーダか水で割るべきだった。大人のお手本に選ばれた喜びで浮かれて、今日"大人"になったばかりの子供を酔っ払わせて。
 控えておいた水を注ぎ、油分の濃そうなスナック菓子を開け、やわやわになった恋人に与えようと向き直る。
「空却、み、ず……っておい待て」
「ん、なんかあちぃから……」
 すっかり失念していたが、野生児は体温も高い。
 八月末の残暑厳しい中、タンクトップ一枚で来た大人一年生は、もぞもぞと服を脱ごうとしていた。

 とんでもない目にあった。
 よもや学生時代に読んだちょっとエッチが売りのラブコメ漫画そのままのような体験をするなんて。過去の自分に教えてやったらどんな顔をするだろうか。
 なんとか脱ぐのをやめさせて、あついあついと言うから水を飲ませ、危なっかしい動きで二杯分を飲み下したあと、キスがしたい、とねだられた。
 昼間のうち、寺で"家族"揃っての誕生日祝いをすませたとき、そろそろ結婚だな、なんて盛り上がったのだ。
 成人しただけで悪ガキが大人になったら苦労しない。じゃあ誓いのキスでもするか、とニヤニヤ笑うのをとっちめて、やっぱりまだまだ先だ、とノンアルコールで祝杯をあげた。
「大人になったから、大人のキスがしたい」
 そして今。ほんのり赤く染まった顔は、とっくにキスより先を知っている。"大人"になる前に全部暴いていただいてしまったからだ。
「酒飲んだだけで大人になれるか、このたわけ」
 酔っ払いめ、と頭を軽くはたいたら、不満げにしながらもすよすよと船を漕ぎ出した。
 そうだそのまま寝てしまえ。これ以上、熱を孕んだ黄金に見つめられたらキスではすまない。はじめて飲んだ酒で酔ったところをなしくずしに、なんてしたくなかった。
 あやすように剥き出しの肩を抱き寄せ、うつらうつらとしはじめたまぶたに触れるだけのくちづけをする。眠れ、眠れ、と。それなのにー

「……獄は、大人、になってほしかったんじゃねえの……?」
 ついに時は満ちて、恋人が、獄が、見たいと言った"大人"になった。
 本当なら今日、この日にするはずだったキスも、セックスも、前倒しにしてしまったから、せめてと大人しく酒を飲んだのだ。
 焦がれて、乱れて、熟れた大人ーになれたかなんてわからない。ただ、喉を流れる液体は甘くて、熱くて、隣の恋人がくれるもののようで、待ちきれなくてキスをねだった。
 なのにいまさら、子供扱いして寝かしつけようだなんて。
「なあ、拙僧は待つのが嫌いだけど待ったぜ?」
 これ以上は腐って落ちてしまうと囁けば、観念したようにくちづけが、今度こそくちびるに降ってきた。

2021/08/21


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