見つめられたら恋しか出来ない

 えらくぼろぼろの絵本が押入から発掘されて、なくしたと思っていたらこんなところに、と頭を引っ叩かれた。
 まったく何年前のことだと思っているのか。空却自身もとっくに忘れ去っていたくらい昔の、舐めても投げても壊れないぶ厚いボール紙で出来た絵本だというのに。
 顔に出ていたのか、因果応報だ、とまた叩かれた。

 年末の大掃除。毎年ほぼ同じようにしているはずなのに、テストの答案だの、セミの抜け殻のつまった箱だの、毎年何かしらが発掘されては空却は叱られている。日々、簀巻きにされているのと同様に周囲が微笑ましく見守る、お馴染みの光景だ。
「今年はなんだ」
「絵本」
 精が出ますね、と手土産片手によそいきの顔で訪ねて来た恋人を、逢引部屋という不名誉なあだ名の客間に通す。つけたてのエアコンでもあたたかく感じるほど、もうすっかり冬本番だ。冷え切った大福のような座布団に腰掛けて、いれたばかりの茶をすする。
 押入の整理は室内作業だが、埃っぽいからと窓を全開にして行う。体を動かすうちに寒さなんて感じなくなるが、ひとたび落ち着くと汗ばんだ体を寒風が打ち据える。
 外から訪ねてきた恋人もコートだなんだと着込んでいたが、同じものをあびてきたのだ。少し熱いくらいがちょうどいい。
 口の中に広がった熱が、喉をつたって腹に落ちる。じわじわと内側から温まって、ぽかぽかとするのに、はぁ、と息がもれた。
 茶請けに、と渡されたのは空却のお気に入りのみたらし団子で、老夫婦二人三脚の小さな店はなかなかに競争率が高い。そういうものをわざわざ持ってくる甲斐甲斐しさに愛されてんだな、と思いながら口には出さない。もっといいもん食わせてやってんだろ、だのとやかましく吠え、そのくせまんざらでもない顔をするのが目に浮かぶからだ。
「うめえ」
「そりゃよかった」
 なんでもないフリをして、少しだけゆるむ目元と口元を見逃さない。獄はこういうとき、いつもおんなじ顔と目をする。
 熱くも冷たくもない、人肌の視線がこそばゆい。色も欲もともなわないのに、愛の字混じりの情に満ち満ちた瞳に見つめられると団子がうまく食べられない。甘じょっぱいみたらしの甘さばかりを意識してしまう。
「お前、俺と二人でなんか食ってるときは静かだよな」
 ごくん、とようやく団子をひとつ飲み込んだ空却に、信じられない言葉がかけられた。ぬくいと感じていたはずの背が急に冷え冷えとする。
 空却は言葉を生業にも武器ともしているからこそ、時として目が口よりも雄弁なことを知っている。なんでそれはもう意識的に『見て』きたのだ。弁護士である獄だって同じだと思っていたのに。
 はぁぁ、とため息があふれるのを止められない。せっかくの団子もよけい胸につっかえそうで手が止まる。
 わかりやすくスマートを装うくせにたまったもんじゃない。今だって俺が何かしたのか?と目をぱちくりさせて。そうだよ、してんだよ。
「……獄がオウジサマなら刺してるぜ……」
「やめろ洒落にならん」
「経験者は違えな。残念だけど今日見つかった絵本の話だよ」
 オウジサマに恋をしたオヒメサマが、声と引きかえに足を得て、叶わぬ想いの果てに泡となるー子供でも知っている有名なお話だ。
「姫なんてタマじゃねえだろ」
「んだよ、健気に尽くしてんじゃねえか」
 刺すどころか夜な夜な刺されてんのに、と指で作った輪っかに団子の串をすこすこと通せば、すぱん、と頭を叩かれる。どいつもこいつも他人の頭をなんだと思っているのか。
「何が言いたい」
「わかんねえなら、刺しちまうぜ?」
 小気味良いのは音だけで、さして痛みはしない頭をさすりながらにぶちんなオウジサマをじい、と見つめる。
 揶揄はしたが、二人で重ねた時間はベッドの上ばかりではない。今だって貴重な逢瀬だ。互いに多忙で、ぼんやりしていたらあっという間に機は過ぎ去ってしまう。
 オヒメサマが刺さなかったのはオウジサマ愛しさだけじゃない。自分を愛してくれなかった男の生命なんぞで生き永らえることを拒んだのだ。
 刺すにも刺さぬにも情がいる。誰でもいいと振るわれる凶器すら、実は入念に相手を選んでいるのだから。そんなのは恋人が一番わかっているだろうが。
「拙僧、泡になる気はねぇかんな」
 空却が獄と生きる世界で一番鋭い刃は言葉で、オヒメサマと違って空却の声は獄に届く。その無防備にさらされた心臓へ、確実に。
 そうして、まだ首を傾げる愛しい間抜け面に惚れた弱味を振り翳した。



 獄があんな目で見るからだろ、と叫びながら放たれた手刀で崩された髪を手櫛で整えている。
 すぐさま大声を出すんじゃあない、と飛び込んできた住職と鬼ごっこをはじめた恋人を引き止める間も、仲裁する間もなく、一人客間に残されてしまったのだ。
 二人きり、特に自宅や寺。外なら個室で食事をすると、やかましい恋人はえらく大人しくなる。なにやら恥ずかしそうにするときもあるなと思っていたのだが。
 一体全体、自分はどんな目で恋人を見ていたのだろうか。
 やかましい恋人が大人しく、恥じらうような瞬間は数少ない。それこそベッドの上が一番多いくらいで、けれどもそんな色っぽさや艶は感じなかった。
 むしろ、まだ付き合いはじめたばかりの頃。キスすらおぼつかないで、手を握ることもままならないようなときに近い。好きでしょうがないけれど、どうしたらいいかわからない、どうしたらいいかはわかるけれどどうやったらいいかわからないーいたいけな表情と仕草にたまらない気持ちになった日々に。
 ……もしかしなくとも、いやらしくはなくとも、すさまじく恥ずかしい目をしていたのではないか。どんなときも食欲旺盛な空却の箸が止まるくらいの熱視線を。
 一周して戻ってきた足音と怒号は由緒ある寺を揺さぶり崩さんばかりだが、そんなのはいつものことだ。いつものこと、とするぐらい共にいる。
 数年、たった、たかが、されど。子供が大人になるには十分で、初々しかった恋人が目覚めると当たり前に隣にいる。共に重ねた時間の分だけ変わっていく。それが愛おしくて、少しだけ寂しいと、贅沢で傲慢なことを思ってしまう。目に見えるものがどれだけ変わっても、一番惹かれて愛するものが変わらないならー心底からそう思うのに。
 お互い知らないところなんてないくらい深く交わりあってなお、獄に見つめられただけで、なんて。生意気で、達観していて、世慣れした風に振る舞うくせに。何者でもない『天国獄』が欲しいのだ、と告白されたときと変わらない。
 自分だけが好きだとしてもいい、と告げられた恋心が、いつしか獄も自分を好きじゃなければ嫌だ、に変わって、今日はもう獄も好きなのはわかっているけれど、自分ばっかり好きみたいで悔しい、にまでなった。
 姫にたとえるには凶暴な恋人は、獄にだけは可憐で健気で初心でもある。なにせ十六も年上のおっさんを王子様にたとえるのだ。可愛くて、たくましい獄のオヒメサマと死んでも切れぬと誓って、鉄と歌った繋がりを、儚く消える泡になぞするものか。
 戻ってきたら嫌と言うほど、嫌と言っても、姫のように抱きしめてはなさない。あと五分待っても来なかったら迎えに行こう。部屋を飛び出したときの耳の赤さを問い詰めなくてはいけないのだから。

2021/12/31


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