たいへんよくできました
「覚えててやったぞ!」
それはもうたいそう偉そうに恋人が押しかけてきた。よりにもよって週明け月曜、まだ日も高い時分の職場に。
近づいてくる聞き慣れた足音にため息をついていると、代表は忙しくて……としどろもどろになりながらもどうにか引き止めようとする受付に、あいつはいつも忙しいんだから今も後も変わんねえだろ、と押し切ってドアを開けられた。わかってるなら遠慮をしろ。
「帰れ」
「ヤァダよ」
デスクから離れず顔も見ずに切り捨てる。恋人を、空却を嫌いなわけがない。今はそういう時ではないのだ。そんなこと楽しげに笑う恋人だってわかっているはずなのに、臆することなくどんどん近寄ってくる。ああもう、追い返さねばと思うのに。
互いに忙しいからタイミングが悪ければすれ違う。バレンタインの一件以降、直接顔を合わせるのは久しぶりだ。そして今日はホワイトデー。バレンタインを失念して一悶着、というほどでもないことがあったのだが、間違いなくそのために恋人は今ここにいる。
「覚えてたらなんかやる、って言ったろ」
デスクの前にふんぞりかえって感謝しな、と微笑む尊大さにイラつく以上にかわいさを感じてしまう。惚れた弱味と欲目。加えて"恋人らしいイベント"にこだわった獄のため、何かしようと考えていたのが愛おしい。こちらの予定と都合を一切無視しているのはつまり、今日この日、空却が獄と会えるのは今しかないということなのだ。
「……獄?」
とたんにひと月ぶりの恋人が恋しくてたまらない。撫でると存外やわい赤毛も、口と同じにやかましい目も、無防備にさらされるのに不思議と白い肌も。黙ったからか、デスクを回り込んで目の前にやってきた。かがんで横からこちらの表情をうかがう金色をかすかにくもらせる。何か言わねば、とうっすら開かれたくちびるがうるんで光った。
そうしてそのまま、奪ってしまった。覗き込む小さな頭と腰を引っ掴んで、ぐるん、と前へ引き倒す。何時間座っていようと体を傷めない高価なデスクチェアは、柔軟にしなって急に増えた体積を受け止めた。重ねたくちびるはぬるりとすべり、甘く香る。近くになるほど強く感じる鼻が曲がりそうな人工香料の匂いも、おそらく選んでつけたもののはずだ。チョコなんかよりずっといいものをやっているだろう、と言う恋人らしい。実に単純明快な帰結、物理的に甘くした自分自身をさし出してきた。
ひと月ぶりのくちびるはリップクリームよりずっと甘い。菓子のようになくなりもしないから、貪った口内がふるふるとふるえ、喉奥から熱い息をもらしても、まだ、もっと、と食んでしまう。押さえ込んだ頭と腰もびくびくと熱を帯びながら跳ねるのをやめない。小さな歯を、舌を、口壁を、舌先でぐりゅぐりゅとくじりながら、なだめるように腰を撫でさする。密着した股間がふくれているのを無視して、腰から下へと指を伸ばす。尾骶骨の下、触れる前からむ、と熱い場所。服の上から片手で尻たぶを開けば、ひくん、とふるえた。敏感な口腔を暴き立てられながら、同じかそれ以上に感じやすい後腔に迫る不埒な指先に、恐れながら期待している。職場だとか勤務時間中だとかすっかりどうでもよくなって、開いた尻たぶのあわい、欲に濡れて熟した肉縁もぐぅ、と左右に引き伸ばした。
「……っ」
ぶちり、と布越しの無体を制すように、鋭い八重歯に舌を貫かれる。痛みと唾液をともなって広がる鉄臭さに、さすがにくちびるを離した。加減の無い抵抗に腕も振りほどかれるかと思ったが、睨みつけるのに失敗した顔とふるえる身体ですぎた快感に制御を乱されたのだと察しがつく。
「くれんじゃないのか?」
「ここまでやる気はねえ!」
まだ人がいるだろう、とがなるが、どちらにしろ露骨に手を出された風情のまま部屋を出るハメになるのは変わらない。最後までなんてする気はないのだ。ただもう少しだけ久しぶりの恋人を堪能していたかったし、自分一人が焦がれているのではないと確認したくて感じやすい身体に欲の火をくべた。
「キスだけか?」
「甘えたな"ひとやくん"がキス一つきりで満足するなんて思っちゃいねえよ」
何もかもお見通しとばかりに、ほてる身体を引きずってもぞもぞと懐をあさりだし、ほれ、と顔面に何かを押し当てられる。恋人の手のひらにおさまる大きさの桃色の巾着は触れると固く、軽い。見当もつかないと言ったら嘘になるが確信もなく、頭を押さえていた手で受け取る。片手でも簡単にほどける紐をといて慎重に中を覗けば、ビニールパックに包まれた小さな砂糖の星がきらめいていた。
「ホワイトデー、してやったぞ」
ぶすくれて目をそらすのは、ほとんど照れ隠しなのを知っている。時期から考えて桜だろうか。桃色と白、黄色の金平糖の詰め合わせは、普段の装いからすれば不釣り合いに可愛らしい。可愛らしすぎるが、その全てが恋人を思い出させる。鮮烈な赤と金が白で淡くとければこんな具合になるだろう。それを自分の代わりにおしゃぶりしろ、とよこすのだ。全く、腹が立つほどセンスがいい。
「……気にいらねぇなら返せよ」
「は?もう俺のもんだが?」
絶対返すものかと懐にしまいこめば、不満げに細めた目を丸くして、く、と噛み殺すように笑った。そらされたままでもわかるご機嫌の回復した顔に胸を撫で下ろす。面倒を持ち込まれるのはごめんこうむりたいが、これを面倒だと言ったらこの恋人とは付き合えない。とびきり面倒で、厄介で、嵐そのものなのだ。今回の襲撃は春一番とでも言うべきか。散らしたのは花ではなく星だったが。
「お前だと思って、大事に大事に、舐めて、しゃぶって、味わってやるよ」
きっともうすぐ去ってしまう恋人を惜しんで、だからもう一回、とくちびるをねだる。
先までのように無作法に食らいついたりしない。こっちを向いた目が甘くとけるまででいいから。そうしたら良い子に代わりで我慢をするーじい、とそっぽを向いたままの横顔に乞い願えば、仕方ない、と言いたげにちゅ、とくちびるが寄せられた。
結局、満更でもない笑みを浮かべた顔がとても他人に見せられない色気を帯びてしまったのは、お互い様ということにしたい。
2022/03/20
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