めでれば花、ふれれば獣

 ツンと上がった目尻と、そこからピンと伸びた睫毛。金色の虹彩の真ん中で瞳孔が鋭く尖ると、短く切り揃えられた赤毛も燃え上がる。小柄でも力強く跳ね回る身体はしなやかで、触れ難いと思わせる反面、親しくなれば存外によく懐く。恋人は猫のように軽やかでしたたかだ。
 人の言うことを聞かない。目を離すと勝手にどこかへ行ってしまう。自分勝手。自由気儘。傍若無人。己の決めたこと以外に縛られない暴君が愛されるのは、その蛮行が人倫にもとらぬからだ。なにより猫の子と同じに愛らしい。
 由緒ある古寺にはたくさんの猫がいて、しばしば恋人もたわむれている。にぁにぁと鳴くのをわしわしと転がしたり、かと思えば瞑想しているのを踏みつけられたりして、ほとんど仲間として扱われているのではないかと思うほど馴染んでいた。
 さてその人間サイズの猫であるが、事前に訪問の連絡をしていたにも関わらず、すぴょろろろ、とけったいな音を立てて寝ている。いちおう逢引部屋呼ばわりされている定番の客間に転がっているから、忘れていたわけではないーはずだ。
 しかし伝えた予定時間から大きな差異はない。気持ちよさそうに目を閉じた恋人はまるで起きる気配がなく、ついさっき眠ったようには思えなかった。畳の上、法衣一枚で大の字に広がる姿は、短い二月の終わり、それも陽が落ちかける頃には見ていて肌寒い。起こさぬよう、そっと触れた身体はだいぶ冷えていて、いつからこうしていたのかとため息が出た。
 住職にあの馬鹿ときたら獄くんが来るからとサボりおって、と愚痴を言われ、とっ捕まえるまで待っていてくれ、と通された先にお目当てがいた。こんな憤懣やるかたない姿の息子を見つけたら住職の血管が切れてしまう。とっとと起こして謝らせようと肩をゆするものの、反応はない。
「おい、くうー」
「ふぁ、くち……っ」
 一息に起こそう、とした刹那、小さく裏返った声がした。思わず呆気にとられたくしゃみの出所はいまだ寝汚く眠る恋人で、わずかに歪んだ顔の鼻先は赤く、鼻をすするような音もしている。かわいらしい破裂音に妙なたかぶりを感じて、ここは寺の客間だぞ、と言い聞かせた。
 意識があるときもたまにへぷし、くちん、だのと控えめであどけないくしゃみをしているが、すぐにからかわれたり流されたりして終わってしまう。おまけに寝顔は普段の険もない。大人しくしていれば綺麗な顔が幼さを纏うのがこそばゆくてもぞもぞとする。触れた手も、声も、気恥ずかしくてひっこんでしまった。
 こちらの戸惑いも知らず、再びすぴ、と細く高い寝息を立てはじめた恋人が憎らしい。自分から梅が綺麗だぞ、と誘ったくせにすっかり眠りこけて。無防備にさらされたかんばせと肢体ばかりが梅と同じに白く艶かしい。あんまり大きく広げられた手に、見上げるしかない花が自分のためだけに地に伏したような勘違いすらしそうになる。
 馬鹿なことを考えずさっさと起こそうーそう思って伸ばした手は、しぜん、頬へと伸びた。やわらかく、けれども冷えた肌を指でなぞれば、ん、と鼻が鳴る。起こそう、起こさねば、と思うほど、目の前の花が惜しくなり、すぅ、と指が動いてしまう。
 頬を降りて顎へ、くすぐりながら喉を撫でて、鎖骨の間に着地する。そのまままっすぐ、胸の真ん中をつぃ、と裂くように進んで、臍のくぼみあたりにたどりつく。いつもの固いベルトのない腹は簡単にやわな肉の感触を伝えてしまう。鍛えているとはいえ、意識のない脱力した身体はいくらかふに、としている。あらわになった素肌よりは温かい腹から、とく、とく、と脈動が響き出した。
 強く押しすぎないように手のひらを腹に当てる。より大きく響く脈拍はとくんとくんと規則正しい。こんなにじっくりと感じることはあまりなく、ぴったりと肌を合わせるようなときはもっと速く乱れている。どくどくどくん、と忙しなく、壊れそうな勢いで動く心臓はだんだんと静かに落ち着いて、今くらいになる頃には獄だって安心して寝るか、離れて後始末に行ってしまう。冷たい身体がたしかに生きている証、地に降りた花ではない証左、そして信頼の現れだ。
 以前にやはり眠りこけた空却の腹を撫でたら、十四と住職から驚かれたことがある。頭も腕も足もいいのに腹はダメだったと。触れようとするだけでぴくりと反応してとび起きたのだという。感心されながら腹を撫で回すのはなんとも面映かったが、住職すら、という優越感で口元がゆるみそうになるのをこらえたのはそう昔ではない。本人には黙ったままにしたのも。
 今は二人きり。いつまで続くかはわからないが、口角が不埒な弧を描くのを止めずに手を動かす。くるくると温めるようにさすると、ふ、ぅん、と息がもれた。いとけない寝顔がわずかに歪み、眉間に見慣れたシワが寄る。不快でも苦悶でもない、悩ましげに刻まれた谷間にくしゃみのときに似たたかぶりが甦った。
 臍を中心に円を描いたせいだろう。腹の奥深くー胎を刺激してしまったのだ。枕を交わすとき、必ずくじる淫らでやわな秘密の場所。天邪鬼にや、や、となくのをとかすように、たくさん撫でて突いてほじってやれば、すぐにすき、すき、とうたいだす。そんな場所を他人に触れられたくない、と無意識でも示されたなら浮かれるというものだ。
 バレたら触れさせてもらえなくなりそうだから言いたくない。獄にだけかわいい生き物でいてほしい。単純でわかりやすいと笑われても、お前だけというのにとことん弱い。気位の高い恋人の腹のぬくさも、胎のいやらしさも、誰も知らないままでいい。
 ひときわ腰が跳ね、腹がふるえたあたりにぐぅ、と手を沈め、ひくひくとわななく胎を撫でる。眉以外、目尻も、わき上がる何かをこらえるようにぎゅぅ、とつぶられた。くちびるはきゅ、とむすばれていたけれど、胎をかわいがるごとにふ、ひ、とゆるんでいく。
 いつもと違う、スカジャンもサルエルもない。法衣だけを纏った恋人が、夢現の中、淫らに身体を揺らす。呼吸がどんどん荒く激しく変わり、伸び伸びとしていた四肢は胎からあふれた快楽に悶えて縮こまっていく。腕よりも顕著にびくびくとたたまれた足はのけ反りながらかぱりと広げられ、はしたないおねだりをしはじめた。外からだけじゃ足りないと、中も満たされたいのだと訴えるように足先がぴんと張る。くぽくぽとうずく尻の縁が見えるような乱れ方に唾を飲んだ。
「ひとゃぁ……」
 目は閉じたまま、身体もくったりとしたまま。おそらく寝言だろう。しかしいくら高く細く裏返ったよるべない声に乞われても、いつ恋人の父親かその使いが来るとも知れぬ状況では何も出来ないのだ。慰めに胎をやさしくさすると、や、やぁ、と駄々をこねる。
 空却の身体をこうしてしまったのは獄だからどうにかしてやりたいけれども、今は撫でるしか出来ない。それすらびくびくと悶える身体の言い訳にはならないくらい、顔も身体もいやらしく熟れてしまった。
 は、あ、と吐息とも喘ぎともつかないものが喉からもれ出して、全身がぐん、と反りかえる。ほのかに赤く色づいた喉はよけいに白さが際立って、天を突く喉仏がぶる、とふるえた。ゆるやかに勃起していた陰茎も法衣を押し上げ、先走りで濡れた場所だけが濃く黒い。
 ぐるぐると腹を撫でているだけなのに、あ、ぁあ、とあえかになきながら絶頂を迎えようとしている恋人に、たまらずくちづける。小さく、弱々しくとも、聞こえてしまうかもしれない。そうなったらお互いに気まずいだろう、という建前でふさいだくちびるをちぅ、と吸うと、びくびくん……っと手のひらの下から飛び跳ねた。
 ん、んぅ、と苦しげにする口を舌でこじ開けると、はぁ、と息を吐き出す。真っ赤になった顔は汗ばんで、快感を耐えるこわばりはゆるんでいたが、目は閉じたまま開かない。天を掻いて伸び上がった爪先はやがてゆっくりと降り、着地するとてんでばらばらに転がった。張りつめていた股間は粗相をしたようにびしょびしょで、乱れた法衣も合わせて誤魔化しのきかない有様になっている。
 やりすぎた、と思っていると、むずがる金の瞳と目が合った。最初はわけがわからない、と言いたげだったのに、獄をみとめるやいなや、かぁ、と耳まで赤く染め、瞳孔がぎ、と鋭く尖る。あ、これは本当にずっと寝ていたんだな、とのん気なことを考えている場合ではなかったが、ほとんど同時にこの助平!と寺中に響き渡る大きな声で叫ばれた現実逃避だったのかもしれない。

2022/02/23


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