懐に忍ばす下心

 スマホやパソコンの壁紙に家族や恋人の写真を設定する気持ちがてんでわからなかったー過去形というのはつまりそういうことである。



「よ、っと!」
 中学生の頃から猛烈なアタックをしてくるクソガキにひょいとスマホを奪われて、ちょうど操作中だったばかりにバッチリ画面を見られた。平日真っ昼間の事務所に押しかけてきたあげくにこれだ。常連の闖入者は我が物顔で獄の部屋に居座る。
 追い払おうと立ち上がった拍子に通知がきて、中身を見られまいとするクセで壁に背を寄せたのが運の尽きだった。普通はそれで問題ないはずだが、相手が異常な身体能力の野生児なのを忘れていた。それにしてもよもや正面からするりと盗られるとは思うまい。
 つまんねぇの、とすぐに返されたが、スマホの画面なんざどこで誰に見られるかわからない。それこそ道ですれ違った瞬間、たまたま並んだ列の前を見た時、故意ではなくともトークアプリやSNSの画面が目に入ってしまう。偶然でそれならば悪意や好奇心でやられたらどうなるか、なんて言うまでもない。ましてや弁護士。個人情報の管理は依頼人を筆頭に当然している。
「なぁに見ようとしたんだこの悪ガキ」
「んなの適当だよ。上手いこと面白いモンが見れたら御の字……だったけど、想像以上にガード固いでやんの」
「お前みたいな輩がいるからだってわかるか?」
「初期設定から変えてない壁紙でこりゃダメだって思ったわ」
 好きなモンとかヒトとかにしねえの?と自分のスマホを見せながら言う目は、軽口をたたくようでありながら探りをかけていてまるで油断ならない。がむしゃらに、したたかに、乱暴に、繊細に。相反する攻め方で"天国獄"を暴こうとする手管そのままの子供が可愛くないわけではないが、お付き合いの相手には考えられない。
 主に年齢とお互いの社会的立場、色々あるが何よりも馬鹿で可愛い子供以上には思えなかった。どんな理由を並べても最後は心が決める。自分を恋い慕うらしき子供のけなげさには申し訳ないが、三十路のオッサンなんかよりよっぽど気の合う同年代の相手が選び放題だろうに。
「お前は好きなモンとかヒトにしてんのか?」
 質問に質問で返す。答える気はない、もしくはわかっているだろう、という答え。お前が欲しいものはやらない、と軽口を装って問い返す。脈がないとわかってほしい。縁はあっても色恋の対象には思えないのだ。
 心が動かない理由のもう一つに、空却の恋心が信じ難いというのがある。けして疑うわけではないが、必死さが際立って獄をそういう意味で好きだと思えない。言ったらひどく憤慨されそうで黙っているが、それこそ年上への憧れみたいなものではないかと首を傾げてしまう。十代からすれば三十代なんて遠い未来で、びっくりするほど大人に見えたものだ。
 今もそこそこにモテるし、対人商売故に人が人に向ける感情にも詳しい。恋い慕うとは言ったものの、空却から自分へと向けられた矢印は、まっすぐで、ひたむきで、けなげであっても色恋特有の甘さや艶がなかった。それがなければダメというわけではないが、初めて見たものを親として追っかける刷り込みめいた印象が拭えない。
 中学生の空却に手を貸して、散々迷惑をかけられて、最後にようやく年相応にあどけなく笑った顔に、ほんのわずかな片鱗は感じた。だがそれきりだ。いつもと変わらぬやかましさと傍若無人さで好きだと言われても、道場破りか何かの文言と勘違いしているのではないかと思う。
 出会ってから数年、もうすぐハタチになる不良坊主にはいい加減落ち着いてほしい。由緒ある寺の後継予定でもあるのだから、三十路男の尻を追いかけている場合ではないはずだ。ムラっけがひどいと嘆く住職を安心させろ、と言っても獄がいれば寺だって繁盛するときかない。
 言外ににじませた全ては馬鹿でも聡い子供には伝わっている。問いに思案する顔の眉間に寄ったシワが、常より歪に深く歯痒げに見えた。チッ、と小さく聞こえた舌打ちに、どんな答えが返ってくるかと思っていると、眼前にスマホを突きつけられる。
 暗い画面に映る自分の顔は少しばかりの動揺と、けれども試すように構える姿勢は崩れていない。剥き出しの感情をぶつけてくる子供に取り繕うのは無駄だから、会ったその日からこちらも隠すことはしていない。サイドボタンを押すくぐもった音と共に明るくなった画面から自分の顔が消える。そしてー
「俺?」
 再び画面に自分の顔が映っていた。正確にはいつの間に撮られたのかわからない寝顔だが、もし今の自分が映っていたらさぞかし間抜けな面を下げていたことだろう。視界をスマホでふさぐ子供には声と同じに拍子抜けした顔が見えているかもしれないが、ちらちらと赤毛の端っこが覗くばかりで何を考えているかもわからない。
 しかしとんでもないカウンターだ。本当に好きなのか?という問いへの強烈な。よく見ればスマホを持つ指先が熱を持って赤い。もしかしなくとも照れているのか。恥ずかしげもなく好きだと言って押しかけてくる子供が。
 数年ぶりに感じた色めきに好奇心が首をもたげた。どんな顔で、どんな表情で、どんな目で。子供が、"波羅夷空却"という人間が自分を見ているのか。あの綺麗な金色が、どんなふうに甘く香るのかが無性に気になった。
 スマホをのけようとした刹那、カンのいい子供はサッと身を翻してしまう。ほとんど後ろ頭しか見えない横顔は、それでも赤い。あの白い肌が髪の毛と混じりそうなほどに朱を帯びているのに、現金なほど心がざわめいた。
 声をかけるべきか否か。二人して落ち着かずそわそわした空気の中、壁紙に設定された自分だけがのん気に眠りこけている。薄く開いた口はだらしないというほどでもないが締まりがない。というか本当にいつどこで撮ったんだ。
 聞きたいことも言いたいこともありすぎて、迷っている間に子供が動き出す。赤い耳と頬しか見えない横顔が、少しだけこちらを向いた。常ならば生意気につり上がった眉と目がよるべなくまどい、ひどくいとけない。揺れる金の瞳が意を決したように閉じられて、何をするかと思えば、ちゅ、とかわいらしい音を立てて画面の中の色男にくちづけていた。
 半開きの口に重ねられた無垢なくちびるは、羞恥でか紅をはいたように赤い。もはや見えるところは全部赤いのではないか。なんだか見ているこちらまで恥ずかしくなってきた。
「……いつどこで撮ったんだよ……」
 急な猛攻に何一つ上手く返せない。疑うならばと見せつけられた幼い恋慕に心をかき乱される。どうにか吐き出したのはへろへろの声でなんとも情けなかった。
「前、ここ来たとき」
 とっくにスマホから離れたくちびるはまだ赤い。つっけんどんな口ぶりは、多少なりとも熱が引いた反動か。奪われるのを恐れるように握りしめられた手の中、くちづけられたにも関わらず男が眠りこけている。
 消さねえからな、と睨みつける目は、きっと本気でやめろと言えば消してくれるだろう。けれども消したくない、というこの子供にしては珍しい懇願を訴える眼差しに再び心がざわめいた。
 なんで寝顔を撮ったのか。あんなくちづけをいつもしているのか。問い詰めたら真っ赤な子供がさらに茹で上がりそうなことばかりが浮かんでは消える。いまだ睨めつける子供の瞳がほんの少し、見逃しそうなほど小さく切なそうにきらめいた。
「俺じゃなくていいのか」
 なんのことかわからない、と言いたげにまんまるに開いた目があどけない。起きることのない壁紙の男と同じにぽかんとしたしまりのない口はスキだらけで、思わず食らいついてしまった。
 可愛くないことばかり言う悪いくちびるは重ねると思った以上にやわらかく、すべすべとして気持ちがいい。喉奥でごにょごにょと何か吠えているが、無視してふさぎ続ける。先までとは違う意味でー半分くらいは同じ理由かもしれないー赤い顔は、鼻でなんとか呼吸をしはじめた。
 戸惑いと隠しきれない歓びでぐちゃぐちゃの顔に何度目かのざわつきを覚えて、ゆるんだ口を舌でこじ開ける。綺麗に並んだ歯は、不埒な侵入者を拒むどころか良い子に迎え入れてしまう。鋭い犬歯すら舌先でくすぐるとぴくぴくとふるえ、口の端から飲み下し損ねたヨダレが落ちた。
 もはや据え膳と化した舌は普段よく回るのが嘘のようにたどたどしい。くちびるを重ねただけでいっぱいいっぱいなのかうぶなのか。すくって撫でてからめて吸って、吠える元気をなくして、かわいくなくようになるまで小さな口を荒らし回る。
 いくらかして、くたりと足が萎えた身体を支えれば、股間がしっとりと濡れていた。もしかして、もしかしなくとも、キスだけで。そう思い至ったとたん、こっちまで引きずられた。ぐ、と張りつめたのが当たったのか、露骨にびくりとしたのにぞくぞくとしてしまう。
 うだった頭としびれた舌でとろんとしながらも、湿った股間にたかぶりを押しつけると逃れようとする。弱々しく横にふられる頭がいつもより小さく見えて、ほのぐらい欲望が湧き上がった。ああ、でもここは仕事場なのだ。
 これ以上はまずい、と打算的な理由で体を離し、ふらつく腰に手を回す。これ以上はない、とわかったのか、うるんだ金色からぼろりとしずくが落ちた。
「な、で」
 ぜんぜん、そんなそぶりなかったのに、きすなんて、と切れ切れに紡がれる言葉は涙でにじみ、頼りなくいとけない。抜けきらぬ快感と思いもよらぬ展開に混乱した顔は、もともとが綺麗なだけに堰を切って溢れ出した色と艶が幼さと混じり合って庇護欲と嗜虐心を同時にくすぐられる。
 自分に懸想する子供につい、でしていいことの領域はとっくに超えている。触れるだけのキスどころか舌までねじ込んで、あげくに股間まで擦りつけた。抵抗しない子供の好意につけ込んで、すげなく告白を断り続け、恋心すら疑った大人のやることとしては最悪だ。
 そのくせ泣くな、と一番弟子に説く顔が自分のせいで涙に濡れるのに気分が良くなってしまう。身勝手で我儘なのは承知の上で、薄い板の表面で眠りこける自分自身に嫉妬した時点で腹は括った。
「……俺がいるのに、なんで写真にキスしてんだよ……」
「……はぁ?」
 はじめからあれくらいかわいい顔で、好きで好きでしょうがないという顔で言ってくれていたらよかったのに。戦いを挑むように言われるよりずっと説得力だってあるし、年甲斐もなくときめいしまった。もちろんキスだってしてくれていい。あんなにふにふにすべすべとしたくちびるでかわいらしくついばむなんて、スマホではなく本人にすべきだ。
 現金だと言われてもいい。色恋の気配のなかった悪ガキがこんなに変わるなんて思ってもいなかったし、それがここまでそそるなんて思ってもいなかった。そして一度気づけば全てが変わって見えてしまう。
 今までのは恋に惑う子供の必死の武装だったのだ。剥いでしまえばなんのことはない。裸の心は人並みのやわさも持っていて、知らないことには身構えもする。可愛げのなさも、生意気さも、裏に潜む気持ちがわかればどうしようもなくかわいらしい。
「つきあってもねえのに、獄にするのおかしいだろ」
 ごもっとも。まことにおっしゃるとおりである。不良坊主のくせにそこらへんはしっかりしているのは住職の教育の賜物か。憮然とした顔はすっかりいつもの調子を取り戻しているが、わずかに赤い目尻や頬の余韻がたまらない。蛮行を咎める目は厳しいが、そっとくちびるに寄せられた指は惜しむように撫でていた。
「じゃあ、付き合うか」
「はぁ?!」
「なんだ付き合ったらしてくれんだろ」
 キス、と言いながらくちびるを撫でる指に手を重ねる。黒く塗られた爪をなぞってくすぐれば、また肌が赤く染まった。色が白いからおぼこい揺らぎがわかりやすい。指で隠れたくちびるもきっと綺麗に赤くなっているはずだ。吸いつくようなやわな場所に、もう一度触れたい、と顔を寄せた。
「……カラダ目当てじゃねーか!」
 ガツン、と顎に走った痛みは鈍く重く、頭全体に響き渡る。よろめいた勢いで腰を掴んだまま転げると、床に重なるように着地した。盛大な音を立てたものの、悲しいことにまあまあこれくらいの音がするからか誰も来る様子はない。尋常ではない雰囲気で押し倒されている構図を見られなくて幸いしたが、どれだけこの馬鹿騒ぎが日常となっているかを思い知る。
「たわけ、体目的ならもっと面倒ない相手にするわ」
「ウッワ」
「だいたい体だの遊びだのでお前みたいなガキに手ぇ出すわけねえだろ」
「……出したじゃねえか」
「だから体でも遊びでもねえ、ってことだよ」
 きっかけがスマホにキスをする顔だったのはある意味体目当てかもしれないけどな、と言えば、今度は頭を殴られた。髪の毛一点狙いの手刀にセットが崩れ、乱れた前髪のすだれの先、やっぱり赤くなった子供が無言で睨みつけている。そんな顔は全然怖くもなんともない。
 さて、もうこの子供は恋人ということでいいのか。くちびるを近づけてみればわかるだろう。



「獄さんのスマホの壁紙、見たことあります?」
「拙僧の顔だろ」
「あ、知ってるんすね……」
「それがオツキアイのきっかけなもんでなぁ」
「え!?なんすかそれ!聞きたい!聞きたいっす!」
「ヤァだよ!」
 あんなこっぱずかしい馴れ初め絶対誰にも言わねえ、と眉をひそめる師匠のスマホの壁紙を見るのは、この出来事から少し後になる。

2022/03/03


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