歪み真珠の育て方

 ベッドの上で恋人が首を傾げていた。
 先にシャワーを浴びてつやつやとしたうなじが悩ましげにしなるのに、悪戯心でちゅ、とくちづければ、大袈裟に跳ね上がる。うわ、という声は半分ひっくり返っていて、振り向いた顔は脈打つ鼓動が聞こえてきそうなほど熱を帯びていた。風呂上りだけではない赤さと火照りは、恋人がいかに集中していたかを伝えてあまりある。夜のーそれもベッドで何に執心していたのか。自分のこと以外ありえない。そうでなければどうしてくれよう。
 かち合った金色の瞳はきゅ、と細まると、小さな頭を素早く前へ向き直した。何かあるーそう確信して、縮こまるようにあぐらをかいた背に後ろから覆いかぶさって抱きしめる。何してた、と低く囁いて穴だらけの耳の奥、鼓膜を揺さぶれば、ほんの少し息を飲んだきり普段のおしゃべりはどこかへ行ってしまった。しかしだんまりを決めこむものの重ねた身体から響く心音は素直で、この体勢でなければ小さくまるまる様に騙されていただろう。ぐ、と体重をかけて、こそこそと動き回る指先を自分の手のひらで挟み込む。心臓同様、じわじわと熱くなる身体は内緒話に向いていない。
 くそ、と舌打ちするのをさらに強く抱き込んで、貝さながらにきつく閉じた指をこじ開ける。指輪もマニキュアもない薄桃色の手は粗野で下品な子供のものとは思い難い。たおやかさすら感じるそれらは本当に一揃いの貝殻のようで、中に真珠が入っていても驚かないだろう。さて何が飛び出すかと絡みあった指をほどくと、ぱかりと晒されたミルク色の手のひらには夜のベッドの上には似つかわしくないものが鎮座していた。
「メジャー……?」
 白い丸型の小さなプラスチック製の塊はわずかに飛び出た目盛りで正体が知れる。側面に波羅夷空却、という名前シールが貼られていて、その達筆さに書いた人間が容易に頭に浮かんだ。ダサいと嫌がりながら剥がそうとはしない子供の姿も。そこまで古びても使い込まれてもいないけれど、物持ちのいいところがひどく恋人らしい。自分はもう裁縫セットなんて捨ててしまった。腕の中の子供が生まれるよりもっと前のものなんて、ほとんど残っていやしない。
「うっせぇ返せ!つうか離せ!」
「うるせぇのはお前だよ。何してたんだよこれで」
「なんもしてねえよ」
「じゃあなんでこんなもん持ってんだよ」
 ベッドは十分に広い。無いようである体格差は歴代の恋人の中では最小で、添い遂げると決めた日に買い替えた。一人では少し寂しいくらいの真白い広野は、二人で寝転ぶにはちょうどいい。はじめて共寝した日に勢いよく飛び込んだ子供の無邪気さと、ぐしゃぐしゃにしたシーツにくるまって流された視線の色めきはいまだ新鮮に思い出せる。
 もしや逆に広すぎるのか。一人分の敷布団で眠る恋人は持て余してしまうのかもしれない。最初は楽しくとも日常となれば違和感が出てくるものもある。衣食住はその最たるもので、生まれも育ちも違う赤の他人同士が愛だ恋だとうたったあげくに別れる原因になりやすい。
 我慢ならないものは無数にあれど、腕の中の恋人を逃すくらいならば譲歩もしよう。これから数十年を共にするのだ。いくらでも起こりうる躓きの一つ目でしかない。生活リズムも習慣も好きなものもてんでバラバラなのだから。
「なぁ、教えてくれよ」
 言ってくれなければわからないこともある。言葉にしなくたってわかるだとか、伝わるだなんて思わない。本当に目と目だけで通じ合えるならば弁護士も僧侶もいらないのだ。そして無敗の冠を戴いてなお、目の前の恋人の心はわからない。
 縮こまって熱くなるばかりの恋人の薄紅を帯びた耳に、真摯に、おどけて、哀れっぽく、乞うように、なぜ、どうして、と問い続ける。干支一周と少し離れた歳の差は経験も感性も違うから、何を恥じらい、焦り、隠すのかが検討もつかない。間違いないのは自分が関係することだけで、それで気分が良いのもある。
「……ったら……って……」
 強情な子供が観念するまでやってやろうと腹を括ったのを感じとったのか白旗があげられた。ところどころが小さく聞きとれず、もう一度、と催促すれば、腕の中がカッと燃え上がる。そうして、ぎ、と振り返った剣呑な金色に睨まれた。
「獄のちんこが拙僧んナカ入ったらどこまでかって調べてたんだよ!」
 部屋中に響き渡る大声、それも一息で言い切ったのをさすが、と感心すればよかったのか。とんでもない内容を注意すればよかったのか。どちらも出来ない。だってそうさせたのは自分自身だ。恥ずかしいセリフを言い切ってふぅふぅと肩で息をする恋人の、天井知らずに上がる体温につられて体が熱くなる。
 ベッドを同じにしていてもまだ一線は越えていない。かかる負担を思えば挿入は絶対ではないし、抱き合って眠るだけで心地よく満たされている。なによりムラムラしても修行だ喧嘩だで発散してきた恋人の未開拓の身体は、素直に、純粋に、柔軟に、与えられるものを吸収しすぎるのだ。
 何もわからんから好きにしろ、と言われて性教育からやり直そうとするのを、そうじゃない獄の好みを教えろ、獄が気持ちいいことを知りたい、と裸身をあらわに乞われた。節制と暴力に費やされ色恋を知らない肌は、新雪と同じに触れ難く、ほのぐらい欲を呼び起こす。未踏の雪原に泥をつける悦びと畏れが目からも漏れ出て無垢な身体をふるえさせた。指一本触れていないのに視線すら敏感に感じとるのは、果たして僧侶の身には幸福な才なのか。
 今のところ抗議はきていないが、乳首がむずむずする、と絆創膏を貼られてこちらが抗議したことはある。ニプレスを与えても逆に使いにくい、絆創膏なら持っていてもおかしく思われない、と言われて追加で抗議した。
 そんな具合なのだ。ナカー尻も間違いなく言われるがまま、触れられ、教えられるがままにきもちいい、と覚えてとろけるのが目に浮かぶ。浮かぶものの恋人がどう思っているかはわかっていなかった。いつかそういうこともしてみたいとは話していたものの、ふうん、と気のない相槌を打つばかりだったのだ。考えてみれば当時の恋人はまだ何も知らなかったから興味も薄かったのだろう。つまり、
「ナカがちんぽでどう気持ちよくなるか、知りたいか……?」
 すっかりやらしくなったなぁ、と羞恥でにじむ金色にぞくぞくとして、意地悪なことまで言ってしまった。だがそうだろう。何にも知らない、教えて、知りたい、と屈託なく告げた子供はもうどこにもいない。自分の身体を淫らに拓かれることを恥じらいながら期待する恋人が、怒ったフリをして睨めつけていた。
「でもお前、俺のちんぽのサイズわかんのか?」
 正確に言えば覚えているのか?である。なにせ素直で貪欲な身体は互いに触れ合っていても、一人できもちぃ、いく、ぃく、と甘くなくばかりになってしまう。快楽でお留守になった手は頼れないから、あられもなく濡れて力の抜けた身体に擦りつけて達しているのだ。このありさまで正確なサイズなんてわかりっこない。
「……平均サイズっつうので……」
 やっぱりわかっていなかった。もぞもぞとメジャーをいじる手はどこかで調べたか聞いたかしたらしい"平均サイズ"までを引き出して見せつける。これを腹に当てた、という声は気丈にふるまおうとして失敗していて、またぞくぞくと背がふるえた。端っこの金具を持つ指に手を重ね、ぎゅる、とさらに引く。ひ、と小さく息を漏らすのがたまらない。
「ちょっと足りなかったな」
 重ねた手がどくどくと脈を打ち、汗ばむ。言葉をなくした口よりも雄弁な反応がかわいらしくて、すっかり"本物"も出来上がってしまった。密着したまま、ちょうど件の尻のあたりにごり、と当たるのに気づいたのか、金具を持つ指がひくついて、引き出されていたメジャーが中へと戻ってしまう。
「いきなり挿入なんてしないから安心しな」
 するんならとっくにやっている、と全ての原因を手の内に封印し直した恋人の手を撫でる。優しく、なだめながら、貝殻のような手に手を重ね、閉じこめる。挿入は、しない。
「かわりに俺のちんぽのこと、サイズも、形も、ぜぇんぶ……すぐ思い出せるようになろうな?」

2022/03/11


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