日々のはなむけ

 おはよう、いってらっしゃい、おかえり、おやすみ。
 生活を共にするようになって、目覚めれば太陽と同じに輝き、出かけるとなれば花のようにほころび、帰ってくればあたたかく灯る。そうして最後、目をとじる瞬間。わずかに寂しげに告げられる。
 言葉にならないだとか、言葉にできないだとか、そんなのは全部嘘だ。ただの挨拶がこんなにも表情豊かに語りかけてきて、毎日同じ文言を聞いているはずなのに全てが違う音で響く。求めた形でなかったとしても、正しい形でなかったとしても、言葉にしなければ届かないものがある。

「いってらっしゃいのキスには心身の健康含め絶大な効果があるらしいんだが」
「寝入りになんだァ?たまにしてやってんじゃねえか。……まあ、明日の朝から定番にしたっていいけどよ」
 お前すぅぐ舌入れたり乳とか尻揉んだりすっから……とほんのり耳の端っこをほてらせた空却は眠たげだ。
 隣で眠るのが当たり前になったものの、寺の朝は早い。遅くなった日などはメッセージアプリで謝罪と共に先に寝てしまうのだが、たまたま今日は起きていた。起こさないよう布団にもぐりこんだらぽんやりとした声でひとゃ?と呼ばれて、大袈裟にビクついたら軽く目が覚めたらしい。楽しげに吹き出したくせに、そのあとのおかえりと言う声は寝る前に会えた喜びがにじみ出ていて怒るに怒れなかった。気持ちは同じだからだ。
 何年経っても寝顔は険がなくいとけなく、作り物めいて美しい。表情を生む心こそが自分が恋して愛した者なのだと、意外なほど静かな寝姿に思い知る。目の前に確かにいるのに、やわらかく白い幕の降りた眼は夜明けまで閉じたまま。眠りを告げるときにほんの少し、自分にしかわからないほどかすかな違いだけれども、寂しそうにする理由もきっと同じだ。
「いや、全部する」
「全部?」
「おはようからおやすみまで、全部」
「……マジ?」
「冗談でこんなこと言うか」
「だよなぁ……」
 善は急げと肩を掴んで抱き寄せる。一気にキスの距離になって、耳以外にも色づいた頬や額が熱を放った。伏し目がちにそらされた金色は困惑しながらも期待にうるんでいて、キス以外の余計なことをしてしまう理由がお誂え向きに据えられている。
「おやすみ」
 不埒な欲望を振り払い、お、の形に開きかけた口に食らいつく。隣にいるのに数時間だけの別れを惜しんで、はなびらを並べて作ったようなくちびるを愛でるために。この心を、言葉を、全て捧げよう。

2022/5/19


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