亜鉛を摂っても戻らない
空却に甘すぎる――と言われるのはこれが初めてではない。折に触れてもっと厳しくしてやってくれ、付き合わされて迷惑でしょう、毎回毎回申し訳ない、と下げられていた頭は、言外に甘やかさないでやってくれ、と訴えていた。
獄だって恩人の裏表両方の本心に気づいていたし、空却の無茶苦茶な言動の全てに諾々と従っていたつもりはない。しかし、ある時ついにむつかしげに唸りながら、言いにくそうに告げられたのだ。
『いくら恋人とはいえ、あの未熟者を甘やかしすぎないで下さい』
くり返すが獄としては全くそんなつもりはなかった。甘やかすなどとんでもない! 十分にかわいがられ甘やかされ大事にされているあの子供を、これ以上砂糖漬けにするわけにはいかないのだ。
ただ、一度決めたら退かず揺らがず曲がらずの不退転の心は有り余るエネルギーのせいか至極どうでもいいところにまで発揮される。断れど断れど、すっぽんかピラニアよろしく食らいついて離れない。そうしていつもへとへとになって、わかったわかった、と言うことを聞いてしまう。次第にそれくらいならいいか、また強行突破される、と口だけは子供じみた横暴をなじるものの、足はしっかりとひと回り小さな背を追ってしまっていた。
……これは甘やかしていることになるのか――なる、のだろう。いや、なる。
はたと振り返るとひどく複雑そうに苦言を呈された理由が明白で、無意識に、無自覚に、甘やかしてしまっていることに気づく。恋人といえど、とは全くそのとおりで、どう見ても響いていない顔をする獄にさぞ住職の頭と腹は痛んだことだろう。
しかしながら空却――恋人は、単に顔の造作だけでなく、それはそれはかわいらしいのだ。
何がと問われれば、声であったり話し方であったり、ちょっとした表情や尖った八重歯、粗野な言動とそれに反してしゃんとした姿勢や仕草だとか、欲目もあいまって上げれば枚挙にいとまがない。
かわいがり甘やかしてしまう者は皆、空却のそういうところがたまらないのだ。猫や犬の動画を見て身悶えるように、身近で手近なアイドルとして君臨している。加えて獄は恋人というポジションにいるものだから、他の者にはない圧倒的なアドバンテージでもって、空却の未公開プライベートショットを山ほど堪能できるのだ。
波羅夷さん、空却くん、空ちゃん……親しげに呼ばれる恋人の愛称と、それに対して愛想良く、乱暴に、優しく答える恋人のどの顔とも違うものを向けられる獄が、かわいがりも甘やかしもしないなんてあり得ない。認めてしまえば驚くほど、それこそゾッとするほどかわいがっていたのを思い知らされる。
気をつけよう――少なくとも、恩人であり、恋人の父親である住職を困らせないていどに。
獄に甘やかさないでくれ――と言われるのはこれが初めてではない。思い出したようにため息をつきながら、困ったように眉をひそめ満更でもない顔をして、焦って何かに怒ったように告げられる言葉を、空却は全て聞き流していた。
年上としての矜恃か、負けず嫌いらしい克己心か、面倒見のよさにも通ずる繊細さか、空却のかわいがりを拒絶する恋人の機微を想像しては知ったことかと愛でている。仕方がない、かわいいのだから。そしてかわいいものは甘やかしたい。少なくとも空却はそうされてきたし、恋人だってそうしている。自分がやめてくれ、と言うような行為を鼻の下を伸ばしきった幸せいっぱい、という顔でするのはいかがなものか。つまるところ説得力がない。空却にかわいがられ、甘やかされるのが嫌ならば獄もやめるべきなのだ。
「……なんでこういうときは甘くないんだ?」
「極上品の弁護士サマが好き嫌いなんて情けねえだろ」
甘えんじゃねえ、と何度見ても予想外に美しい箸遣いで鷲掴みされたもやしを口元に押しつけられる。食べられないわけじゃない。付け合わせに添えられても食べるし、炒め物に入っているのを避けたりもしない。ただ避けられるなら避けたいだけで、ここは獄のプライベートスペースたる自宅なのだ。それなのにどうして大量のもやしをねじ込まれようとしているのか。
「なんでも下手な小細工するよりそのまんまが一番美味えもんだ。野菜なんて特にそうだろ。オラ、口開けな」
ヤクザかチンピラかという物言いでぐいぐいと箸を押し付ける。完璧に飾られた指先と美しい所作を台無しにする言動に負けて、ついに口の中にもやしが入り込んだ。満足げにケタケタと笑う声を恨めしく思いながら咀嚼すると、まあ、たしかに。食べられないことはなかった。しゃくしゃくとした食感が小気味よく、豆の部分もぱりぱりとしていて香ばしい。妙な水っぽさやひっかかりもない。たまに当たる美味いもやしだ。
「美味いだろ?」
悪戯が成功したときと同じ、にんまりと三日月形を描くくちびるはどこか得意げだった。急に訪ねてきてもやしを茹ではじめたときは何かと思ったが、まさかいい歳こいて食育されるとは。飲み込んで、食えないこともない、と言えば獄くんのくせに生意気! と頭を小突かれる。何が獄くんだクソガキめ。
まだまだあるから別になんか作る、と台所に戻るのになにともなしについて行くと、流しの生ゴミコーナーに見慣れないものが大量に積まれていた。ひょろりとした、毛のような、何か。しげしげと眺めていると、獄くんは絶対嫌いそうだから全部取ったんだ、と横から口を挟まれる。
「もやしのひげ根、嫌いだろ」
ああ、だからか――と思い返す。不味いもやしのぐにゃぐにゃと水っぽい食感が好きではないが、口の中でぴろぴろとひっかかる舌触りも好きではない。さっき乱暴にねじ込まれたもやしにはそのどちらもなかった。
あらためて生ゴミコーナーに鎮座したひげ根を見る。その量たるや。寺で鍛えられている空却にしては珍しく時間がかかると思ったのだ。
「酒のつまみでもおかずでもなんでもできんぞ」
すっかり次の話題に移った恋人にとっては当たり前のことなのだろう。聞けばきっと、死ぬほどめんどくせえのにやってやったんだ伏して感謝しな、などと言うに違いないが、はじめたときにはきっと手間など考えもしなかったはずだ。無心でひげ根をむしる恋人が容易に想像できてしまう。そしてそれがどうしようもなく胸をざわつかせる。
「……甘やかすな……!」
「最初と言ってることちげーぞ」
あとここにいんなら手伝え、とボールで頭を小突かれた。
決意むなしく十六歳下の恋人を甘やかし甘やかされる甘い日々はとうぶん変わりそうにない。
2022/8/31
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