そうしていばらの森から連れ去って
恋人の爪は基本的に黒い。隙のないマットなブラックは熱を帯びると赤く染まる白い指先を飾るというよりは武装するようで、もったいない! と、たまに弟子に懇願されて可愛らしく装われている。
基本的にはされるがままだが、ジェルだのパーツだのはやめろ、と言い含めていた。なんでも急に落とすことになったときに面倒らしい。それならはじめから塗らずにいたらいいものを不良坊主なりに譲れないこだわりがあるようだ。
だからこそその爪がたった一つきりとはいえ可愛らしい、というよりは幼く飾られているのが意外で、思わずじぃ、と見てしまった。
残暑厳しい夕方。五時を過ぎてもまだ日は落ちないが、ずいぶん涼しさが増して縁側で並んで庭を眺めていた。遅い里帰りをした職員が地元名産のイチゴゼリーをくれたのだ。ぜひ波羅夷様と召し上がって下さい、なんて言われたら差し入れざるを得ない。髪色によく似たあざやかな赤色は着色料不使用だそうで、ますます恋人を思い出させた。
「ンだよ」
「いや、ずいぶんとまあ……」
可愛らしいことで、と喉から出かかった言葉を飲み込んだのは、しまった、と言わんばかりに爪先を隠されたからだ。
ゼリーをつついていた手をぱっと離し、さっと目にも止まらぬ速さで後ろに手を回す。そんな見られて恥ずかしいものだったか?
ところどころはみ出し塗りムラのある淡いラメまじりの赤色は、イチゴゼリーと同じ理由で施されたものだろう。宝石を模した立体的なシールと猫のキャラクターのシールが貼られた爪先はわざわざそこだけ色を落とし、好きにしていいとあけ渡したのが簡単に想像できた。
「隠すなよ"空ちゃん"? 髪の毛とおそろいで似合ってるぞ」
「そういうこと言うからだっつうの」
こちらも食べかけのゼリーをわきに退け、後ろに隠されたままの腕を引っ掴む。存外に子供に甘い――特に大人しい子にはそっと寄り添ってやるようなところがある――のを恥じらう恋人に、ちゃんと見せろ、と引きずり出した。
「クソ……ッ」
双方のかたわらに食品が控えているからか抵抗がにぶいのが幸いして、簡単に捕まえてしまえた爪は本当に幼い。大人を真似る子供の玩具で飾られているのに、ついぷ、と吹き出してしまった。ますます機嫌を損ねた恋人がぐいぐいと指を引くのを負けじと引き返すと、指輪も普段と違うのがはめられているのに気づく。
手製なのだろう。リング部分はちょろちょろワイヤーがはみ出しているものの、小さな赤とピンクのビーズを何層も丁寧に重ね織られている。真ん中らへんにおさまった大きな紫のハートのビーズはとっておきだったのだろう。他のビーズよりも真新しくつやつやして見えた。
「かぁわぃ」
「笑ってんじゃねえよ悪趣味弁護士」
眉間にシワを寄せてぶぅたれるのすらかわいい恋人の目一杯に飾られた指先を、見て、触れて、愛でる。子供の頃にちらりと見たくらいだけれども、シールもビーズも立派になるほど高価で、持っている子は宝物のように扱っていた。おそらくそれは今も変わらないだろう。なのに爪にも指輪にもふんだんに使って――
「"くうちゃんをせかいいちしあわせなおひめさまにしてあげる"って言って聞かねえから」
だからこんなになったのだ、と語る口はむすりとしながらも仕方がないという甘さが香る。たまに、否、しょっちゅう自分に向けられる眼差しとほとんど同じものに、ふぅん、と相槌を打った。
「……ヘソ曲げんなよ、よぉっく見てみな」
幼い子供の言うことで、それを慈しむのも恋人の常で、自分が悋気を出すことではない。恋人は姫なんて器ではないし、誰の手を借りずとも勝手に自力で幸せになるだろう。だとしてもとっくに特別な存在である空却を、なおも世界一幸せで特別な存在にするような者がいるならば、それは誰でもない自分がいい。
差し出された指の幼い装いを、もはや不満を隠さずにじぃと睨めつけた。白くはあるがお姫様にしては傷もあるしたくましい働き者の手をしている。騎士か王子のようにくちづけたらミルク色の肌は色づくだろうか。……ああ、そうか――
「おせぇよダーリン」
するりと動いた指が額をはじく。デコレーションのされた爪での攻撃は痛い。じんとするのを我慢して恋人を見れば、ふふ、と笑い、悪い顔をして楽しそうに紫のハートにくちづける。
「早く拙僧を"せかいいちしあわせなおひめさま"にしてくれよ」
なぁ、とあらためて差し出された手を今度こそうやうやしく掴み、華やかに飾られた左手の薬指にこうべをたれた。
2022/9/7
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