あめのむらくも、くびをおとして
若さなのか体質なのか、国内有数の酷暑を極める土地にいてなお白い肌の恋人は、たびたび日焼け止めは何を使っているのか、どんなケアをしているのか、と問い詰められている。その昔から有名な雪原らしく、本人はげんなりを超えてもはや事務作業のように薬局の一番安いの、へちまの汁、とか答えているが、とうてい納得がいくものではないのだろう。
最近だと一番弟子が、結局は体質なんすよ。じゃなきゃあんな雑な塗り方で、SPFとPAの違いもわかってない人がツルツルもちもちなんてありえないっす……と遠い目をしていた。少なからず覚えがある感情に天賦の才は多岐に渡るのだと思い知る。十二分に非凡のはずの者が努力を重ねてなお届かぬ頂に、生まれた瞬間からそうと知らず座す人間はどこにでもいるものだ。
「十四曰く、美白の神様に祝福されてる……だとよ」
拙僧は坊主だからいらん祝福なんだがなァ、と、まさにへちまの汁をはたく恋人が鼻で笑う。山住まいの御年配がくれるというその汁は常用しているわけではないらしい。日持ちしないからもらったときだけ、なんて余計に火に油を注ぎかねない話を聞くのが自分だけでよかった。
いかにも手製の、ラベルもないプラスチックボトルに入った透明な汁を、疑いもなくびしゃびしゃ使う神経の太さが一番の理由な気もする。こんなことを言ったらお前も使えと頭からぶっかけられそうだから黙っているし、孫と祖父母のような関係に口を出すのは無礼で野暮だ。なにより風呂上りのほてった肌をしっとりと冷ます知恵袋の賜物は、けして悪いものではないのだろう。
下着一枚、のびのびとあぐらをかいているベッドの無機質な白とは違う、熱を帯びれば薄桃色から紅色に、鮮やかに変わる乳白色。そこから吹き出す汗やこぼれしたたる体液とも、穢れを落とす湯水とも異なる身を整えるための雫は、たしかに珠の肌をさらに清く見せた。ほのかな草の香りも爽やかで野山を駆ける恋人によく似合っている。くん、と後ろから嗅ぐと、染みついた線香とシャンプーが混ざり合い鼻をくすぐった。
「なんだよ、今日はもうしねぇぞ」
「わかってるよ」
珍しくほどほどでおさまったまぐわいは、互いに余裕を残している。明日も仕事だのにくちづけで終われなかったから抜きっこだけ……前だけでは不完全燃焼な恋人の尻の浅瀬を少しだけとんとんと転がしたが、それだけだ。
「……抱いて寝るのはいいだろ?」
「なんだァ? 甘えたじゃねぇのひとやくん」
「気分、だ」
存分にどーぞ、と委ねられた身体を抱き込み、へちまのボトルをサイドテーブルへとのける。無遠慮にのしかかられたのは見た目だけで、横へ倒れるとゆっくりと自然に胸元へとおさまった。察しがいい恋人に鼻先を近づけると終わりかけの夏をそのまま抱くようで、妙な郷愁が蘇る。
恋人ほど自然に囲まれて育ったわけではない。アウトドアはするが懐かしさとは違う。脳内に刷り込まれた夏の幻想と、それが喪われる侘しさだと気づく頃には、すっかり寝入っていた。
目覚めると腕の中は空っぽだった。
こういうときに恋人はこちらが起きるまで待っているなんてことをしない。以前、情緒と余韻に欠けると出したクレームは、お前の寝床を小便まみれにして、お前の腕をかじって腹を満たしていいなら、と尻をかきながら却下された。真珠色の見事な犬歯に痕をつけられるのは、グロテスクなものより艶っぽい方がいい。
今日は何処にいるものかとあたりを見渡すと、存外近く、ベッドのふちに腰掛けて何かをしている。一見すると全裸にも見える恋人は、朝のにぶい光りを浴びて青白く輝いていた。だいぶ肌寒く変わった寝入りと寝起き、いくらか冷えたのだろう。時計を見ればまだ早い。下心なく、中に入れ、と口を開こうとしたときだった。
恋人の指がつ、と反対側の腕をなぞったと思ったら、そのままぴぃぃ、と薄皮一枚、剥いたのだ。痛くも痒くもなさそうに綺麗につるりと剥がされた皮膚は、そのまま足元に置かれたゴミ箱へ突っ込まれる。
ぴぃぃ、ぽい。ぴぃぃ、ぽい。ぴぃぃ、ぽい……ごく自然な、慣れた作業として淡々とくり返されるそれは、なんと言ったらいいのか。行為としては日焼けの皮はがしが一番近いのに、かさぶたはがしにも似たいけない遊びめいた気配は一切ない。きゃらきゃら笑いながらしそうなものを、ほとんど表情も変えずにこなしている。
片手が終わったと思ったらもう片手へ。次いで首、胸、胴。下腹部、ふくらはぎから足先。ぴぃぃ、ぽい。ぴぃぃ、ぽい。ぴぃぃ、ぽい……。ゴミ箱が薄く白い皮膚ですっかりいっぱいになる頃、ようやく手が止まった。
「……えっち」
視線でとっくに気づいていただろうに冗談めかした声音はしかし、何と言うべきかの迷いがうかがえる。それはそうだろう。日焼けどころかシミもホクロも見当たらない肌が剥がれる理由なんぞ見当たらないのだから。
「それが美白の神様の恩恵か?」
ゴミ箱の中、ほのかに輝いて見える薄皮をしゃくれば、は、と鼻で笑われた。
「昔は子供が早死にすると神様のものだから、神様に愛されたからって言ったつぅだろ」
愛いと生命を持っていく神から貰うのが祝福ばかりなものか、と言いたげに睨めつけた皮膚の残骸が詰まった箱を、器用に足で追いやる。すぅ、と伸びた足は、昨夜遅く、汁を塗布されたときよりも艶めいて見えた。まさに一皮剥けた、生まれ変わった肌のきめはいっそうに細かい。
「なぁ、神も仏も信じねえ銭ゲバ弁護士先生。拙僧のコレはなんだと思う?」
昨日触れて、くちづけて、抱きしめた肌は全て剥がれ落ちた。懐かしさをかき立てた草の香りはシャンプーともども消え失せ、わずかに線香だけが残る。くしゃくしゃになって捨てられた恋人の表皮だったものは、まだ生きているかのようにうっすら光っていた。まっすぐにこちらを見つめる金色が答えを急いてきらめく。
「体質だろ」
祝福かあるいは――。だとしても神も仏も信じぬ者には関係ない。異常に皮膚の新陳代謝がいいだけのことだ。気になると言うならば、どこぞの名医が興味深いと診てくれるだろう。……いや、俺が見せたくないからそれは無理だった。
「体質」
「それ以外何がある」
「ねぇかァ」
「お前が神に祝福なんざ、ぞっとしねえんだよ」
「ヒ、ヒャ、ハ……ッ、コレ、けっこうありがたがられたンだがなァ……」
ひぃひぃと腹を抱えて笑い転げる恋人の、青白く、ほの輝いていた肌はすっかり赤く変わっている。よほどおかしかったのか引きつり、ひゅうひゅうと喉を鳴らす。
「ハァー……おっかしいの……」
「だいたいな、健康と頑丈さだけが取り柄のクソガキの皮がベロベロ剥がれて何がありがたいんだ? 財布にでも入れんのか?」
「……いれてるジジイいたからやめろよ……」
さすがに一緒に吹き出して、小一時間ベッドに沈み込んだ。本当に、ただの子供の薄皮の何がありがたいものか。ありがたいとしたらその全てだというのに。
まるまってベッドに沈む恋人に近寄って、小さな頭のつむじにくちづける。ぴくりと揺れ、ちらりと覗いた裸の耳の奥、鼓膜をふるわすように思ったんだが、と囁いた。
「……今度、キスマーク残してもいいか?」
「ばぁか」
そんな都合よく剥がれねぇよ、と笑う声はようやくいつもどおり。なんにもありがたくない、ただそこにいてくれることが奇跡の子供のものだった。
『たつの子』
『なんて白い』
『あの金の目をご覧』
『髪だってあんな鮮やかだ』
父親がやめて下さい、と言ってもこっそりと拝んでありがたがられた。子供心に感じた異様さに首を傾げていると、転んだ拍子にずるりと皮が剥け、あっという間に傷が治るのを見た一部の人間がさらに熱狂した。
いちおう、表面上はおさまったものの、子供の目につかぬよう、水面下で揉めていたのだろう。ついにある参拝者の財布からこぼれ落ちた息子の皮膚に、温厚な父親が名前そのもののように怒り狂い、本当に収束した――らしい。
今でもたまに空厳寺のお坊さんではない、何かを自分に見出して手を合わせる者がいる。まかに間違って問いただせばそれこそ藪蛇だ。
龍も蛇も嫌いではない。むしろ望むところであって拒むものではない。ただ血塗れの皮膚を涙を流してありがたがる姿を思い出して、胸がざわめくだけで。
「しかしほんと、キスマーク、ねぇ」
あのあとすぐに腕の中に引きずり戻され、うわ、本当に赤ん坊か……? と言いながら、際どいところまでさんざんに撫でまわされた。目の前で健康そのものの恋人が脱皮まがいをしたのに全然気にならないらしい。
この見た目と体質で、神々しい、と自分よりずっと大人に地べたに跪かれたこともあるのに。罰当たりで不信心な恋人はしめたとばかりに耳打ちしてきた。
修行だ喧嘩だとすぐに空却の服が乱れるのと、覚えたてのガキじゃあるまいしとキスマークを残さない恋人は、性格を考えれば本当は残したくてしかたないのだろう。触れるだけのくちづけを山ほど降らせてくるのがいい証拠だ。
こっちは何もかも無かったかのように、べろりと剥けて失せるのが口惜しいときすらあったというのに。
「はーもー……マジでムリだわ、ばっかみてぇ」
「もういいだろ……」
気の迷いだったと呻きながらも、不埒な恋人の両掌は生まれ変わったばかりの肌を堪能するのをやめない。耐えるようにうなじに降るくちびるは、だんだん強く吸いついている気がする。
「違ぇよ、バカなのは獄じゃねえ」
ぽろぽろぼろぼろ、剥がれ落ちるだけの皮膚がなんだと言うのか。存外に大きかったわだかまりがぼろりと抜け落ちるのを感じて、またおかしくなってきた。自分も、あの大人達も、みんなみんな大バカだ。
「キスマーク、くれよ」
ついていけない風情のクセに、しっかりと抱きしめたまま離さない恋人に、いるかどうかわからん神様に見せつけてやろうぜと言えば、うなじにちり、と痛みが走った。
次に皮を剥がすときには、神に仇なす一撃をじっくりと眺めてやるのだ。
2022/9/13
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