明けず蜜月
三十路と中坊の大恋愛は、紆余曲折――成人するまではとくちづけすらもろくにしなかった大人に焦れに焦れた子供が癇癪を起こしたり、不埒な意味では指一本すら触れないくせに小さな赤ン坊にすら嫉妬する大人を子供が宥めたり――を経て目出度く婚約・結婚と相成った。
積もりに積もり、溜まりに溜まった全てを解放し、落ち着いた二人に、周囲も揉んだ気や痛めた胃や頭が報われたようだったという。
なかでも最初は仕方ないという風情だった大人がだんだんと好意をあらわにし、露骨な凛気で自分には見せない表情や仕草を向ける相手を威嚇していたのがすっかりおさまって、おっかないと肝を冷やした人々が胸を撫で下ろしていた。反面、あんなに熱烈に思われるのも悪くない、と惜しむ声もちらほらあった。
見せモンじゃねぇよ、と舌打ちする子供は、嫉妬なんざいい大人が赤ン坊にしていいもんじゃねえんだからな、と続け、それに、と何かを言いかけて口を噤んだ。
……ほんのりと色づいた肌に、その場の全員がす、と別の話題を探す。間を置かず、保育園が家の近くにある者が赤ン坊と言えば、と切り出し、不自然さと強引さを感じさせない話術が滑らかに空気を変えた。
この子供のはじまったばかり蜜月に興味がないと言ったら嘘になる。むしろ好奇心は尽きないし、できることならあのおとなげない焼きもちをどうおさめたのか聞きたかった。
けれどもうっかり覗き込んだ先にいるのはほんの少し前まで老若男女問わず牙を剥いたおとろしい結婚相手なのだ。今はすっかり落ち着き、本来の面倒見の良さを遺憾無く発揮して株を上げているとしても、幼い頃から隠し事なんてほとんどしないあけっぴろげな子供が、うっすら恥じらいながら口を噤んだのだ。
思えばいつもよりもきっちりととじられた着物の襟を見た時点で気づくべきだった。子供が窮屈そうにしながらも決して開かれない理由からも。ほんのわずかな隙間から覗く肌に絆創膏がちらほら貼られているのも見えていたのだから。
子供と、そのお相手よりも年嵩の者ばかりの井戸端会議は、日が沈むよりは早く、八つ時よりは遅い、寺が門を閉じる間際に行われていた。
この場にいない渦中の人が来ることはほぼあり得ない時分、やんちゃな小坊主と可愛がってきた子供が見せるにはしっとりとした、香り立つような色気に息を飲み、少しばかり怯えた。
なにせ人目を憚らず、目に入れても痛くない、蝶よ花よ、と愛でるようになった子供の夜を匂わす顔を見てしまったのだ。いくらなりをひそめたとはいえ、腹の虫がもぞもぞと蠢き、暴れ出しやしないかと、背に冷たいものが走る。
決して、決して脅迫だの恫喝だのをされるわけではない。ただ、あまりにも露骨なおとなげない態度で嫉き、拗ね、臍を曲げるものだから、まっすぐに惚気られるよりも甘酸っぱく、かつて素っ気なかった大人の変貌ぶりが愉快で、心臓に悪いのだ。
最初は面倒な獣に懐かれた、と言わんばかりだったのに、限界までうなじを隠そうとしてぴん、と立てられた着物とスカジャンの襟に苦笑いが漏れる。そうまでしても、ちらりと見えてしまう白く幼さの残る首は、貼りたくられた絆創膏がかえって執着をあらわにしてしまう。
今日のことはナイショね、と最年長の者がゆびきりげんまん、と指を差し出したのはお互いのためだった。間違いなく、周囲へ向けられていた警戒と威嚇は、手中におさめた子供へと向かっていたからだ。
気づけばすっかり夢中になって、追われてはじまったはずの恋は追いかけるものに変わり、観念して抱きしめ合ったら愛になった。古い言葉を借りれば伴侶と呼ぶ相手となった恋人は、変わらずかわいらしく、愛おしい。
堂々と惚気るのは分別がないだろうと抑えていたものの、その分か余計にか、良くも悪くも開けっぴろげで寛容な恋人が自分以外に向ける、自分には絶対に向けない表情や態度がだんだんと目につくようになった。気やすい雑な挨拶も、年長者ぶって諭す姿も、自分の知り得ぬ年月が生んだ親密さも『家族』で『恋人』である自分には向けられないのだと思ったらひどく心が掻き乱された。
恋人の、『波羅夷空却』の世界で数少ない特別な存在にあるはずなのに、馬鹿みたいに余裕がない。自分でも驚くほどの欲深さと執着が首をもたげていた。
それからはもうひどい、みっともないもので、ご利益がありそうだから抱いてあげて、と託された赤子が、恋人の胸元に宝物みたくやさしく抱えられるのにすら妬け焦げた。心底から恥ずかしい、情けない、器が小さい、と呆れられたものの、くちづけすら数えるほどしかしておらず、じゃれつくことはあっても決して色っぽさはなかったのだ。だというのに恋人である自分を差し置いて、一等大事なもののように抱き締められる姿など、赤子でなければどうしていたか。
成人するまで、なんて誓いを立てたことを後悔したのはこの頃で、けれども撤回するのは意地が邪魔をした。何より、こちらの様子が変わった、ということに恋人の父親がそれはもう敏感に反応したのだ。
獄くんのような立派な青年を振り回して、と思っていたけれど、という穏やかだけれども含みがある言葉は、強すぎる凛気へのたしなめと、愛する愚息を思っての牽制だろう。まだ先だけれども、決して遠くはない未来、成人した息子の新たな門出が楽しみだと語る声を裏切ることはできなかった。たとえ息子自身から、いっそ抱け、と迫られても。
そうして迎えた恋人の誕生日とその夜、長くくすぶり続けた熱が昇華された。
何も知らない、お前しか、全部、ぜんぶ、ひとやだけ……のけ反る喉の白さ、なき声の甘さ、八の字に歪む眉の悩ましさ、うるむ金の目の輝き――手中におさめた恋人、伴侶、番、自分だけのただ一人の、ほんとうに自分しか知らない姿にようやく胸と腹が満ち足りた。しなやかな四肢が快感にふるえながらすがり、からみつき、ひ、ひ、と鼻を鳴らすのに、どくどくと脈打つのが止まらない。
自分まではじめてに戻ったように馬鹿みたいに興奮して、丈夫で硬い身体がふにゃふにゃになって、無尽蔵に思えた若者の体力が尽き果てて気をやるまで、打ち、突き、穿つのをやめなかった。
どしゃ降りの雨の後のようなベッドの上、真っ白い身体は食み、舐め、愛た分だけ赤く染まり、そういう化粧を施した人形のように見えた。脱力し切った忘我の伴侶は、まぶたを下ろして今にも眠ってしまいそうで、さっきまでこの目が自分だけにしか見せない色をしていたのに、と寂しくなる。
もっと見たい、もっと――過ぎた抑圧の反動で箍が外れ、あっという間に未踏の雪原は足跡だらけになってしまった。伴侶には叱られたものの、外野からは以前よりも落ち着いたと評判がよくなり、強く言えないという悔しさが滲み出ている。
「ホントに見えるとこギリギリに痕残すんじゃねぇよ……」
「絆創膏で隠れるだろ」
「そういう問題じゃないってわかってんだろ?」
「俺のせいでかわいい顔しちまうのがイヤだって?」
「……獄は見られていーのかよ。あぁぁぁんなにギラギラバチバチして見んな〜って睨んでたのに」
「お前の一番かわいい顔を知ってんのは俺だけだって思えたから、いいんだよ」
だから今日も、これから、今すぐ、俺だけのお前が欲しいのだとくちづけをねだると、バァァァカ! とクッションを投げつけられた。結婚おめでとう、と贈られた二対一組のそれは、ピンクのふわふわのハート型で、顔面にぶつかっても痛くも痒くもなかった。ずるりと落ちた後に降ってきたかわいいかわいい薄桃色のくちびると同じくらい、やわらかかった。
2023/1/30
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