人生死ぬまで恥の上塗り

 その日は早朝からぽかぽかとあたたかくてすごしやすく、お寺の庭の花も春めいて綺麗に咲き誇り、ふんわりと甘い香りをただよわせていた。なのにそのことを誰よりも喜びそうな自分が師と仰ぐ人は、なんともへんてこな顔で百面相をしている。
 怒っているとも、笑っているともとれるような表情は、豊かなのに、か、豊かだから、か、まるで感情が読み取れない。普段が表情イコール感情の人だから、余計に混迷を極めている。おそらく師本人も決めあぐねているのだろう。腹か胸か、頭か脳か、全身を駆けずり回って渦巻く感情の行き先を。
「空却さん、自分でよければお話、聞くっすよ?」
「ああ……」
 悪ィ、お前の修行なのに、という、これまた珍しい、師の真っ当な謝罪に驚くと同時に一瞬の変化を見逃さなかった。
 声をかけた瞬間、ぱちくりと瞬きをした目に混じる動揺と後悔と羞恥。前二つはわかるけれど最後の一つがわからない。謝罪には修行なのに上の空でいた事への後悔に近い自責の念はあっても、恥じらいの様子は一切なかったのだ。それに師の強く鋭い目に混じった羞恥は、ほんのわずかだったのに庭を彩る花々よりも甘く香った。
 これは、聞いてはいけないお話だ。
 師に奇妙な百面相と甘い香りをさせられる者なんて、この世にただ一人しかいない。危うく馬に蹴り飛ばされてしまうところだった。
「しゅ、修行……っ、しましょう!」
 努めて明るく元気よく、えいえいおー! とか言ったりして師を急かすと、百面相のなごりを残したままの歪な顔で笑う。いったい何があったのかなんて、興味はあるけれどとっても聞けないまま、気づけばにんまりと口角を上げていた師に、楽しげに庭中を掃き清めさせられていた。



「空却、お前なんで変な顔してんだ?」
 夏と疑う昼下がり、縁側に並んで腰掛け、盛りの花が爛漫の庭を眺めていたときのこと。朝早くの修行を終えた弟子と入れ替わりで、様子見に来たと恋人が訪ねてきた。あっけらかんと問いかけた顔は心底から不思議そうで、こちらが変ならお前は間抜け面だと喉奥から出かかる。よっぽど言ってやろうかとも思ったが、藪をつつく趣味はない。なによりこういう時、たいてい勢い余って余計なことを言ってしまう。それが口喧嘩の国家資格持ちの恋人の手腕なのかは不明だけれども、ぐっとこらえてそんなことねぇよ、とだけ返す。
 不肖の弟子にすら気づかれ、気遣われ、全くしまらない。恋人は恋人で自分が原因とは微塵も思っていないらしく、検討違いなことをぼそぼそとぼやいている。少し前の十四の誕生日に、ファンから空却くんのときよりバースデーメッセージが丁寧じゃないですか? と言われたことなんか気にしちゃいない。今更かしこまられても気持ちが悪いし、たぶん盛大に笑う。そもそも言われて気にするくらいなら日頃から態度を改めてほしい。ライブ中も勝手に盛り上がって観客席を煽るし、それでよく人をガキ呼ばわり出来るものだ。
「空却?」
「ぜぇんぶちげぇし、変な顔もしてねぇっつうの」
 怪訝な顔をされるが実際違うのだから仕方ない。顔はついでに騙されてくれというダメ元と、察して引っ込んでくれという匂わせだ。まだ少し疑った様子でいるが、気持ちすました顔でわからないなら触れてくれるな、という仕草をする。口喧嘩の国家資格持ちなのだ、空気だの雰囲気だの見えているけれど掴めないものを読解するのは得意だろう。それも出来ずに無敗の冠は頂けないはずだ。
「……昨日」
「は?」
「昨日のアレか?」
「な、」
「昨日しただろ、セックス」



 十六歳下の恋人はそれはもう元気いっぱいだ。不惑も間際の己が高校生だった頃、ようやくおぎゃあと生まれたのだから当たり前と言ったらそうなのだが、それにしたってヤンチャが過ぎる。 
 法律が変わって選挙権もある歳だと言うのに、世界を自分専用の遊び場かなんかと思っているフシがある恋人は、立派な居場所があるのにひとところに留まらない。そこいら中に転がる見覚えのある痕跡や慣れた調子の目撃証言を辿れば、おしまいには暴れん坊主が悪びれもせずに無邪気な笑みを浮かべて立っている。そうして振り回され、駆けずり回り、なんとかとっ捕まえたこちらの息が上がっているのをだらしがない、と上から目線で愉快そうに眺めるのだ。
 若さだけでは説明がつかなくなってきた不撓不屈の精神は、一回り小さなはずの身体を何倍にも大きく見せる。太陽のように燦然と、大樹のごとく揺るぎなく、十六も歳下の小作りな子供だというのに。もはや情けないだとか恥じる気持ちも失せるほど、その魂に惹かれ、導かれている。
 だから年相応に、体躯相応に感じられる機会なんてごくわずかで、そのごくわずかの一つがベッドの上だった。喧嘩だのの大立ち回り以外は飲まず打たず買わずの恋人は、そりゃキスくらいはしてンだろ、と赤ん坊の頃のじゃれあいの話を引っ張り出す清廉潔白な身の上で、対してこちらは酸いも甘いも本気も遊びも――それこそ面白くもない昔話も積み重ねての腹括り。遥か彼方の太陽を見上げるばかりだった人間は、経験と知恵でその片鱗を掴んでみせた。雄大な自然を欲望一つで破壊できるのは人間だけなのだ。
 真っ白い未踏の雪原を踏み散らかすよろこびを何度でも味合わせてくれる肌は、触れて、舐めて、くちづけると春が来る。痕を残さないようにしてもほんのりと小花が咲き乱れ、くり返し愛でれば燃えるような熱を帯びて夏が来る。すっかり雪がとけ、赤くゆだる肌から汗があふれ、上からも下からも汗以外の雫がしたたり落ちた。永遠のように長く、一瞬のように短い交わりは、夏と同じにかたわらに生命を感じ、その終わりを惜しめば秋が来る。じわじわと熱が引き、くったりとした身体から色が失せ、けして冷たくはなっていないのに、肌はすっかり最初に見た雪原へと近くなっていった。離れ難い、離し難い恋人を抱き寄せると、きゅ、と抱き締められて、あたたかい冬が来る。
 それは昨夜も同じで、腕の中で巡る四季を愛でる贅沢を心ゆくまで堪能した。恋人の持つ数少ない恥じらいの拒絶を丁寧にときほぐし、いつものように何一つ偽ることのない心をあらわにすれば、まっすぐな好意だけがそこにある。聡い頭も達者な口もなくして、つたなくいとけなく告げられる『すき』がいとおしい。反面、熟れた身体が放つ色香とはちぐはぐで、指一本でも触れていいものかと戸惑ってしまう。
 すると戸惑いも躊躇いも見透かした恋人が無言で急かす。ひくひくとわななく秘所を自ら広げ、はやく、とねだるように突き出された腰がはしたなく揺れ、ぷるりと勃った若茎がとろりとおもらしをした。健気にみだらな誘いをする顔は髪と同じに真っ赤で、ぎ、と睨みつける目は、ここまでしたのだから、というかわいらしい怒りも見て取れる。
 自分のためだけにあつらえられた据え膳を食わぬ馬鹿はいない。挑戦的に誘われるほど甘やかし、降参させてやりたくなる。純然たる愛しさと混ざり合う凶暴な感情を向けたくないと思うのに、恋人がようやく会えたとばかりによろこぶから拒めない。大事にして、大切にして、気持ちいいことだけをしてやりたいのに、自分に向けられた無垢な心を優しく抱いてやりたいのに。
『ひとや……っ! ひとゃぁ……っ、もぅ、はぃんね、からぁっ……!』
『なに、て、んな、の……ひとゃの、せ、ぃ……し、かねぇだろっ』
『あとでちゃんとって……ちげぇ、よばか! ちが、も、やめ……ひ、ぁっ! ゃあ……っ!』
『ゃだ……っ、も、やだぁ……っ、せぇし……っ、あっ、あぅっ……、また、ぃくぅ……っ』
『ゃぁ……っ、せそ、ぉまんこ……っ、おまんこ、なりゅ……っ、おまんこ……、ひとゃのせぇし……っ、だめ……っ』
『……? らて、ぉまんこ……せぇし、だしたら……あかちゃん、できんだろ……?』
『なで……っ、だかりゃ……っ! おまんこだめ……っ! なか、だしたりゃ……っ、あかちゃ……あかちゃん、できちゃ、ぁ……っ』
 途中まではいつもどおりだった。いつもどおり、かわいいかわいい恋人の牙と爪を削ぎ落とし、真綿で包むように愛していた。鋭く、何もかも見透す金色が、とろけ、目の前の自分しか見えなくなるまでぐずぐずにしていただけだった。
 すぐに挿入るようにと咥えていた玩具を抜くと、ぬとぬととぬめるナカが美味そうにふるえ、たまらず一息に根本まで押し入ってしまった。恋人も、最初にひゅ、と息を飲んだものの、物覚えのいい秘所が間を置かずに逸物をちゅぱちゅぱとしゃぶりだす。甘く達し続ける身体を満たしてやりたくて、根っこからさきっぽへ、きゅうきゅうと締めつけ、搾りとろうとするナカに子種を吐き出すと、びくびくとのたうつのに再び兆してしまった。
 もう一度――いつもなら恋人も付き合ってくれるのに、今日はストップがかけられた。なんでももう入らないのだと言う。たしかに心なしいつもより多く射精たと思う。思いはするがだいたいは気持ちの問題だ。恐らく明日は十四が寺に来るとか言っていたから体力を残しておきたいのだろう。恋人は一つしか違わない年下の弟子に大きく出たがるフシがある。偉そうなのはいつものことだが、素直にかっこいいと慕う眼差しを裏切りたくないのはわからなくもない。弟子のことを言わず、身体が限界だと言ったのはこちらのためだろう。ベッドの上で他の人間の名前を出すなと言ったのを覚えているのだ。そしてたびたび無理強いをしたくないと手を止めてきたから、身体を盾にすれば止まると考えたのだ。
 どうやら牙と爪の切り残しがあったらしい。最中に明日は十四と会うから、などと言わなかったのは成長しているが、こそこそと賢しいやり方で回避しようとしたのは良くなかった。本当に行為をやめたいときの言葉は二人で決めたのに、恋人自身が選んだのに、言いたくないばっかりに嘘をついている。身体はまだ、もっともっととねだっているのに。
 いい加減、嘘つきな悪い恋人にちゃんとセーフワードで断らせたくて何を? どうして? と普段なら察して引いてやるところを腰ともども深く抉る。物足りなそうに逸物に絡みつき、ちゅぽちゅぽと内壁全部で甘えていたナカはすぐに嬉しそうに奉仕を再開しはじめた。恋人の頭のすみっこに残った理性が最後の牙と爪を立てるが、頭の大部分を占める『すき』には勝てない。今までだってそうだった。ずっと甘えて、甘やかされている。
 たかめられきった身体は意識が落ちるまで止まれない。おさなく絶頂を宣言されるたび、そのまま眠らせまいと揺さぶってしまう。やだ、だめ、と言うクセに両手足で縋りつき、ナカだって自らおまんこになると言い出した。性器と言うほどみだらに育ててしまった秘所は、子が出来ない以外にほとんど相違ない。はしたない物言いは日頃なら注意するが、ベッドの上ではよからぬ愉しみを感じてしまう。鍛えられ、磨かれたしなやかな肉体に、快楽のためだけに拓かれた場所がある。それも自分のためだけに拓かれた場所だ。
 とてつもない充足感で独占欲が満たされ、きゅんきゅんとわななき、子種をねだるおまんこにも同じよろこびをわけたくなる。射精したはずなのに重く揺れるきんたまが恋人のやわらかな尻に当たり、それだけでひん、とかわいらしくなき声が上がった。これから注ぎ込まれるだろう精におののきながらも期待する顔は、目の奥、口の端から隠しきれない欲が覗く。口先だけの拒絶に、再びどうして? を浴びせると、とんでもない答えが返ってきた。
 あかちゃんができる――ぽんやりとした声で当然のように告げられた言葉に、今日一番、強く勃起してしまった。孕まぬ身体の恋人が、孕むと誤解するほど自分との交わりに耽溺している。もしかしたら最後の最後の理性の欠片が手を止めさせるために考えたのかもしれないが、あいにく作戦は失敗だ。もうとっくに、初めて抱いたその日に、理性なんて手放しているのだから。
 余計にぶくりとふくれたさきっぽに、なんで、と悲鳴が上がった。なんでだろうな。なんでわからないんだろうな。こんなにもいとおしいと、愛でて、交わる相手との子供なんて、望むしかないものなのに。やだ、あかちゃん、できちゃう、だめ、とくり返す声音は本気と嘘の境界が曖昧で、たまらずくちづけた。いくらかは演技なのだとしても、そんな不安そうにしないでほしかったから。
 この世は手放しで最高と言えるようないいものではない。むしろ最低と断言出来ることばかりで、だめだいやだとなくのに理由も意味も違うだろうに共感してしまう。綺麗なひたいからまぶたへ、しずくのふき出す目尻から頬へ、いつもよりやわに見えるツンとした鼻先からくちびるへ。生むことが恐ろしいのか、生まれることが怖いのか、いとけない涙の真意はわからない。それでもお前と出逢ってしまった世界を、お前が景色を変えた世界を、俺を、拒まないでほしい。



「俺はお前との子なら欲しいって言っただろ」
「そういうことじゃねぇンだよ!」
 何が不満だ、と不思議そうにする恋人は、肝心なところ以外、どうもデリカシーに欠ける。少し強引に、けれども待とうともしてくれて、だからついほだされて……ほんの少しだけ、やめてほしくなくて。誤解されている気がするが、こちらとてなんでもかんでもすぱすぱと割り切れるわけではない。未熟者と日々親父の拳骨でぼこすかと殴られるていどには惑うのだ。
 十四が来るから体力を温存したくて、でも獄との逢瀬も満喫したい。愛されることを知ってしまった体は、教えてくれた張本人を前に我慢が出来なくなってしまって久しいから、恋人を見るだけで腰がずくんと重くなる。今だって僧侶失格だ、と冷える頭に反して、しぜんととがる突起とひくつく後腔が浅ましくほてってしまう。だから一回で終わりたかったのに、思わず口から出た馬鹿丸出しのセリフに恋人がひっかかってしまった。
「じゃあどういうことなんだ?」
「あんなの、勢いっつうか……はずみっつうか……本気じゃねぇの、わかんだろ……」
 じ、と見る目の妙な迫力に押されて、しどろもどろに昨夜の戯言の弁解をするも、退路を塞ぐように腰に手を回される。そのままぐ、と引き寄せられて近づくひどく真剣な目に、自分の情けない顔が映るのが見たくなくて、首を振った。それこそ小さな子供がいやいやをするような情けない仕草だけれども、あんな、磨かれた鏡みたいな目と向き合うよりずっとマシだ。
「この聞かん坊め……っ」
 このまま諦めるまで、とぶんぶんと振りたくっていた頭は、焦れた声と共に掴まれた。正確には腰に回っていた手で頭、空いていたもう片手で顎を挟み込んで無理矢理止められたのだが、結果は同じだ。ぎりぎりと向き合わされた目はやっぱり真面目で、真剣で、本気で、腹の奥がざわざわとしてしまう。
「冗談でも、俺はお前との子供をナシなんて言いたくないんだよ」
「……デキねぇガキだっつうのに」
「だからデキるデキないじゃないんだって……なあ空却、もし俺との子供が作れるってなったら、嫌か?」
 観念して頭から力を抜くと、ようやく顎から手が離れた。頭の方はするりと頬に添えられて、流れるような動きにこういう手口を何度もやってきたのか、天然で出来るのかを考えて、こそばゆさから気をそらす。
「イヤ、じゃ、ねぇ……けど」
「じゃあ次はもっと嬉しそうに『あかちゃんできちゃう♡』って言えよ」
「は、な……バッ……カじゃねえの!?」
「俺には深刻な問題なんだよ」
 否と言わせる気のないあざとい問いかけは、少しでも退くとやんわりと前へと向き直させる手と合わさると効果覿面で、おかげで小っ恥ずかしい裏声を直撃で浴びてしまった。昨夜の自分よりは、まあ、それは、マシではあったけれど、そんなことは問題じゃない。呆然としながら、なんとか口をぱくぱくさせて反撃したものの、開き直った恋人は止まらない、止まってくれない。嬉々としてほじくり返される昨夜のあやまちに身悶え、目をそらしても、視界の端に恋人の嬉しそうな顔が入り込む。
「俺は孕ませるつもりで抱いてるから『あかちゃんできちゃう♡』って言われるのはかまわないんだがな」
「裏声ヤメロって……あともう絶対二度と言わねえ……」
「……そう言われると余計に言わせたくなるんだって、そろそろ気づいた方がいいぞ」
 疲れたような、悪どいような、複雑怪奇な顔をした恋人の不穏でしかない発言にゾッとしてからしばらく後のこと、『ひとやのあかちゃんがほしい♡』と言わないと挿入れないというとんでもないプレイを要求されるのをまだ知らない。散々にばか、へんたい、すきもの、くたばれ、と罵った末、ご希望どおりの嬉しそうな声で『ひとやのあかちゃんできた……♡』と言ってしまうのもまだ、知らない。
 知らぬが仏とならないのは恋人をよく知っていて、ゾッとふるえた背が半分くらいよからぬ期待を抱いていたからで、つまるところはお互い様なのだ。

2023/05/01


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