ガラスをくだいて
壊れ物を扱うように触れられるのはイライラするが「俺を犯罪者にする気か」と真顔で諭されたら何も言えなかった。
焦がれるほど、干支一周と少し分の溝と壁は深く高い。
日曜午後。特に予定がないので押しかけたら「一時間待て」と言われてかれこれ二時間ほど経っている。
簡単な用件のはずだったのだろう。仕事部屋ではなく、居間のローテーブルに広がった紙束は常のものより少ない。だからたまには良い子にしてやろうと、向かい側にあぐらをかいて適当に暇を潰していた。
「拙僧、十九なんだが」
「それがどうした。俺は三十五だよ」
「そういうことじゃねえよ」
わかってんだろうがとスカした顔で何杯目かのコーヒーを飲む男を見つめれば、目がうるせえと見もしないで眉間を小突かれた。お互い、体に染み付いた定位置だから出来る芸当だ。
シワになるからあんまり寄せるなと小言を言われるが、自分だってたいがい小難しい書類としかめっ面で向き合っている。今みたいにカワイイ恋人をほっぽって。
「ヤるとき、もっと好きにしていいってハナシ」
「はぁ?」
ようやくこちらを見た。持っている書類がくしゃ、としているのに少しだけ溜飲が下がる。
「獄、ちょっとでもイヤとかダメとか言うと本当にやめるじゃねえか」
「そんなの当たり前だろ。お前にとって"ちょっとでも"イヤなことだとかダメなことなんざ、したくないしできないんだよ」
「犯罪者になるからか?」
大事に、大事にされている。今も変わらず一等上等なガラス細工みたいに触れられて、少しでも嫌そうに、痛そうに、辛そうにしたらすぐやめる。
ようやく結ばれた好きな人にされて嫌なことなんてあるわけがないのに。それともちょっとの我慢も出来ない子供みたいに思っているのか。
いまだ世間的には対等な恋人に見えなくとも、『子供』ではないのだ。
「……前はな。だいたい、それだってなあ……抱いて、その最中だの後にやっぱ無理とか駄目だとか……まあ、お前は言わないだろうが、ともかく、後悔したり傷つくかもしれないこと、したくなかったんだよ……」
「二人で好きだって言い合ったじゃねえか」
「お前が言わなきゃ、俺は死んでも言わなかったよ」
"中学生を本気で好きで抱きたいなんて思う大人はロクなもんじゃない"
好きだと告白した相手は、怒った顔でそう言った。
ああ、これは説教されたあげくにフラれるやつだなと、バカバカ言われる頭でもすぐに理解した。せめて潔く受け入れようと不愉快そうに歪んだ顔から目をそらさずにいると、目の前で頭を抱えてため息をついた。誇りそのものみたいな髪型が崩れるのも気にせずに。
"……お前は、そんなロクでもない大人で、本当にいいのか?"
"あとからやっぱり違いました、無理でした、なんて言われても絶対に離してなんてやれない……それでもいいのか?"
まさかの大逆転ホームランだった。
ダメなわけがない。こちらだって冗談や罰ゲームで十六も年上の相手に告白なんてしていない。人も花も恋も、生命は思うより短いのだ。
そこからさらに今日に至るまでの長い道のりがあるのだがー割愛する。
忘れられないのは、目の前の自称ロクデナシがずっと迷って、後悔して、罪悪感に満ちた目をしていたことだった。
「拙僧とオツキアイしてるの、まぁだ後悔してんのか?」
素晴らしいオツムの恋人は、一人の子供の可能性を、将来を嘱望される大家の後継者の未来を、幼い恋情に選ばれた喜びで奪ってしまったと思い込んでいる。
獄に奪われたものなんて心と操くらいのものなのに、どこまでもいつまでも"俺のせい"だなんて。調子に乗っているとしか思えない。
父親は今だって獄を庇い、空却を責めているくらいだ。言い出したら聞かないバカ息子のことをよくわかっている。だからとっとと観念すればいいのに。
「拙僧のイヤとかダメとかが本心だと思ってんのか?」
残念ながら、もう何もわからぬまま大人に翻弄されていたいたいけな子供ではない。答えてくれないなら、答えるまで問うだけだ。
くしゃくしゃになった書類を持つ手に指を伸ばし、つぅ、となぞる。びっしりと、しかつめらしい言葉で埋まった紙っぺらを握る手のひらをとくように、指の腹でくすぐる。
大っぴらに手も握れなかったころ、偶然を装っては触れていた。ぎこちなく乱暴な、けれども年齢相応にけなげな行為。
恋人はそれに優しく目を細めた後、死角を狙って指や足をからめてきた。そっとなぞり、撫で、さすり、形を覚えるようにじっくりと、肌に刻むようにねっとりと。
今となってはとんでもなくいやらしい匂わせを平然としていたくせに、どのツラ下げてモノを言っているのかわからない。
「……俺がこんなやらしくしちまったのかな……」
「オイコラテメェ、ようやく口開いたと思ったらなんだその言い草」
仏罰喰らわすぞと入念にセットされたリーゼントに矛先を向ければ、本気で抵抗をされた。髪型と一緒だ。外面ばっか気にしやがる。そういう商売なのはわかってるし、そういうとこだって好きだ。でも今はそうじゃない。
「お前を中坊のころと同じガキだなんて思っちゃいねえよ。……だから困ってんだ」
「なんで困んだよ。ヤリたいようにヤレや」
ずっとそうしろという話をしているのになんなんだこいつ。本当に無敗の弁護士様やってんのか。手ずから染め上げた恋人のゴーサインをなんだと思ってんだ。
「じゃあお前も、これからヤるときイヤとかダメとか絶ッ対、言うなよ」
たぶん思っていることが全部顔に出ていたのだろう。
引きつった笑顔の目は、形だけは笑っていたけれど、その奥はしんしんと怒りを積もらせていた。あ、これはヤバイ。
「いいか、俺は本当に、お前が大事で、かわいいと思うから、イヤだとかダメだとか言われたら手が止まるんだ。わかるか?わかるな?わかれ。お前をガキだと思ってるから加減してるでも、罪悪感があるわけでもない。本気でイヤでもダメでもないのもわかってる。さっきも言ったとおりだしー」
あ、止まった。こっぱずかしいこと早口で言いながら止まった。しかも引きつった笑顔はそのままに、今度は目が泳ぎ出した。
「続きは?」
思ったより深窓の令嬢みたいに扱われてるのはもう仕方ない。告白した時点で独占欲とか束縛とか強そうなのもわかっていた。気になるのはもう一つの理由だ。
プッツン切れた獄が我にかえって言い淀むほどの理由。
催促しながらじぃ、と見つめると、両手を上げて降参ポーズをしながら自白した。
「……正直、興奮するんだよ……」
「ウッワ」
「オイコラクソジャリ、お前こそ言わせといてなんだその反応」
「すまん、続けてくれ」
「やりにくいわ!」
曰く、本当はもっと、とかやめないで、とか言いたいのに、意識がしっかりあるうちはイヤとかダメとかしか言えない天邪鬼さがたまらんらしい。
「なるほど……だから意識トぶ寸前までガンガンヤりたがるんだな、獄は」
「まったくもってそのとおりなんだが、いいかげん日が高いうちにする話じゃないからな」
「全部いまさらだろ」
それにだ。
「獄、拙僧が素面で素直に『もっと』とか『きもちいい』なんつったら、それはそれで興奮すんだろ」
がん、とデカくてにぶい音を立ててご立派な頭がローテーブルに沈んでいた。必死で守っていた髪もぐしゃぐしゃになっている。かすかにふるえながら、それでも広げていた書類は守り通したらしい。さすが無敗の弁護士様。年収も意識も高い。
「せっかくサービスして『それっぽく』言ってやったのに、そんな反応されると傷つくゥ」
「こんのエロガキ……絶対泣かす……」
「やぁだ〜アマグニセンセェのエッチ〜」
「クッソ……本当この……クソガキ……」
舌打ちとともに覚悟しろ、と伸ばされた手は出会ったころより小さく感じた。この手をもっと小さく思う日がきっと来る。
「ガキとセックスしていいのかよセンセ」
「いくつになったってなあ、お前は俺にとっちゃガキなんだよ」
少しだけ乱暴に顎を掴む手に引かれ、くちびるが重なった。小器用なことに書類は片付けられている。ちらりと視線を動かしただけなのに、よそ見するなと言うように舌を絡めて吸われた。
こんなの『子供』にすることではない。交わる舌に犯されて、解放されるころにはゆるんだ口からこぼれる唾液と、回らぬ舌ではぁはぁと荒い息を吐き出すしかなかった。
もうすぐ、二十歳になる。
2020/12/29
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