恋するくちびるには牙がある

 くわ、と大きく開いた口からのぞく真珠色の犬歯が獰猛なのにかわいらしく感じたのは、真実、生き物の喉笛を噛みちぎる獣のものではないと知っているからだ。
 それでも"喰われる"と本能的な危機に肌が総毛立ち、つい目をつむって身構える。

 ちゅ

「……あ?」
「なぁにビビってんだよ」

 きゃらきゃらと笑いながら金色の瞳を愉快そうに歪め、もう一度ちゅ、とやわらかい感触がくちびるに触れた。
 深夜にさしかかりそうな時間、なにともなくリビングでくつろいでいる最中、急に歯を剥かれてビビらないなんてことはあるのか?
 こちらの動揺を置き去りに、ちゅ、ちゅ、ちゅ、と触れるだけのくちづけを繰り返す。数分もするとさすがに疲れたとポケットから何かを取り出した。
 甘い苺の香りのする、大ぶりのピンクのハートのマスコットがついたリップクリーム。テレビCMで見たことがある。日曜の早朝、メイク道具で変身するアニメのグッズだ。

「なんでそんなもん持ってんだ」
「もらった」
「誰に」
「檀家さんの孫」
「なんで」
「……ヒミツ」

 簡潔な質疑応答の最後の最後で黙秘された。
 ご丁寧にちゅ、と先端についたハートにくちづけをして。
 ほんのりと色づいた気がして見つめると「オコサマでも安全な色つきなんだと」と説明された。ちなみにお孫さんは5歳の女の子で空却の髪の色がお気に入りらしい。

「そういえば主役のキャラが赤毛のショートか」
「変身すると伸びるんだと」
「ほぉ……?」
「葬儀の相談でな、オトナの話し合いからあぶれたもの同士、仲良くしてたんだわ」

 「だから妬くなよ」と問い詰めたときに声が低くなったことを責められた。
 子供に悋気なんざ情けないが、蓋を開けたらたまたまそうだっただけとも言える。幼い頃から老若男女に囲まれてかわいがられてきたせいか、人をたらすのが上手いのだ。
 それにヒミツとはなんなのか。
 件のリップクリームに隠すほどのことがあるのか。

「ひとや」
「ああ……すまん」
「キスしろよ」

 無垢なくちびるにうっすらと乗った桃色がつやめいて、甘い香りで誘う。目を閉じて待つ顔に険はなく、睫毛の影の長さに端正な顔立ちなのを思い知らされた。
 焦らさずに己のものと重ねれば、ちゅぽ、と小気味よい音がする。恥ずかしかったのか頬に朱が走るが、そのままちゅぱ、ちゅぽ、とワザと音を立てながら、ぷるぷるとしたくちびるを喰み続けた。





「くうこうくんのカレシみせて!」
 
 結局、苺の香りのリップクリームをその晩に使い切ってしまい、新しいのを用意しろとどやされた。
 ちょうどきらしていたところに恵んでくれたものだったらしい。しかし、全身から苺の香りをさせてオススメをもってこいと言う顔は、どこか嬉しそうだった。
 そして数日経った今、自分が愛用しているものをみつくろって訪ねたところに聞き捨てならない台詞が聞こえてきたのだ。

「ダメだ」
「えー、わたしのカレシみせたのにー!みたいー!」
「スマホ持ってないからムリ」
「このまえもそーいった!」

 居住スペース寄りの庭で髪を二つに結えた女の子と話している、見慣れた赤毛。
 きちんと法衣を着ているのは新鮮で、爪や耳も何もつけていない。飾りを脱ぐと生まれつきの髪と瞳がひどく目を引く。自分の膝ほどしかない小さな子に目線を合わせて話す姿にチンピラじみた様子は一切ない。
 断じて盗み聞きをしようとしたわけではなく、たまたまタイミングがあったのだ。そのまま出る機会を逸しただけで。

「拙僧は仕事中はスマホ持たないんだよ」
「みたい〜!くうこうくんがかっこいいっていうカレシみたい〜!」
「ヒャハ、持ってたって絶ッ対見せねえよ」
「なんで〜!!」
「拙僧のカレシは三千世界で一番イイ男なんだよ」

 "カレシがいたって惚れちまうからダメ"
 なんて、お前、そんなかわいい顔して言うんじゃないよ。
 あの子の顔真っ赤じゃねえか。
 俺の前にお前に惚れちまうだろ。
 クソ、幼児相手だからって無防備にしやがって。
 妬くな妬くなってお前がそんなんだから妬かざるを得ないんだろ。
 握り込んだ掌が汗で湿る。今すぐ抱きしめたいのに、他人にかわいい顔を見せるのが気に食わないのに、幼児相手に『俺のものだ』と威嚇するのを見ていたい。

「くうこうくん、おまじないうまくいったんだね」
「ああ、リップクリームの」
「このまえよりキラキラしてる」
「効果テキメンだ。ありがとな」
「じゃあカレシ……」
「それはダメ〜」

 そうではないかと思っていたが、どうやら彼女が件のリップクリームを恵んでくれたらしい。
 空却に渡すものを探す過程で値段を見たが、あの年齢で買うにはそこそこ値がはるものだった。看護師マークの良心価格の実に数倍。そんなものを少し話しただけの相手にあげるだろうか。パッケージにもいる赤毛のキャラクターは、変身しているから空却とは似ても似つかない。
 あまり気にしていなかったが、作品をその場で検索した。




 聞いたこともない名前で呼ばれて振り返ると小さな女の子がいた。
 近くにいた母親らしき女性にたしなめられていたが、だってだなんだと駄々をこねている。葬儀で相談があるがこの年齢の子供を一人にも出来ないのだろう。
 ちらりと父の方を見れば「お前が面倒みろ」と訴えていた。そんな気はしていたから、まあまあと割って入り、そのまま女の子を預かった。
 とたんにぱあ、と顔を輝かせて、知らない名前を叫ぶ。
「拙僧の名前は空却だ。残念ながら人違いだぜ」
「なんだ……違うんだ……」
 さっきまでのはしゃぎようはどこへやら。しょんぼりと肩を落とすのを慰めようと話を聞いてやる。なんとなく、よく泣く一番弟子が頭をよぎった。
 けったいな名前はいわゆる日曜早朝変身アニメの主役で、髪の毛の色がおんなじなんだと言う。こんな赤毛、そう珍しくもないだろうと思っていると、惚気話がはじまった。
 曰く、カレシがいる。カッコよくてやさしい、うんどうもとくいでかんじがよめるしえいごもしゃべれる。そんなステキなカレシがいるそうだ。
 そしてカレシとまいにちラブラブハッピーだから、みんなにもラブラブハッピーになってほしいのだという。
「おお、結婚式はぜひうちでやってくれ」
 いつまでそのカレシと続くかはわからないが幸せそうだし、みんなに幸せになってほしいと言えるいい恋をしているのだ。微笑ましくなって頬がゆるむ。
「くうこうくんも、こいをしてるのね」
「ん?」
 やっぱりだ!おそろいなんだ!と独り合点する女の子は、興奮ぎみにポケットからリップクリームを取り出した。
 自分が使うものと比べれば大きなそれは、なんちゃらちゃんの変身アイテムだそうで、くちびるに塗ると変身してショートヘアが長く伸びるのだと。
「それはね、こいのおまじないもできるの」
「まじない」
 呪いと書いてまじないとものろいとも読む。
 たいがいがたわいのない、それらしくみせた紛い物ではあるが、ついしげしげと眺めてしまった。
「くうこうくんにあげる!」
「は?!貰えん貰えん!!」
「いいの、わたしはもうカレシとラブラブハッピーなんだもん」
 これがおりがみだのどんぐりだのなら受け取るが、明らかに高価なおもちゃめいたものは貰えない。という意味だったのだが、どうやら違う受け取り方をしたらしい。
 主役は片思いをしていて、毎日そのリップをつけて意中のを相手の写真にキスをするおまじないをしているそうだ。そうすることで秘めた思いが届いてラブラブハッピーになれるのだという。
 えらいトンチキな設定だと思ったが、いつもキリッとしてカッコいい主役が、恋する乙女の顔になるそのシーンが女の子としては胸キュンなんだと。
「……拙僧、そんな顔してたか?」
「してる」
 断言された。
 そんなこと言われたことないぞ。
 いや、でも身内には公認、もとい暗黙の了解と化している。さんざんみっともないすったもんだを見せてきたのだ、いまさら言われるわけがなかった。
「拙僧、カレシいんだけど」
「くうこうくんカレシがいるの?!かっこいい?!」
「でらイケてる」
「みせて!!」
「ダメ」
 おそろしい食いつきに若干引いた。じたばたしながら首から下げた児童向けスマホをいじってカレシの写真を見せてくるのをなだめる。たしかに顔が整っている。雰囲気だって悪くない。まあ、このあとどうなるかわからんのだが。
 勢いづいてくうこうくんのカレシも!とねだるのはスマホを持ってないと一蹴する。実際持っていないのだが、訝しげな顔をされたあと何か察したような笑顔になった。
 違う、そうじゃない。たぶんそうじゃないが訂正しても藪蛇になりそうだからやめた。
「でもね、くうこうくんとカレシはまだラブラブハッピーがたりないとおもうの」
「おう……?」
「だってキラキラがたりないもん!」
「はぁ……?」
「くうこうくんがわらったかお、とってもすてきだったけど、もっとすてきになるとおもうの!」
「あんがとな……?」
「だからリップクリーム!つかって!」
 手のひらにぎゅっと押し付けられたそれは「お守りだから使ってないの」と言われたものの、話をきいたらますます受け取れない。しかしどうにもかたくなに譲らないのに折れて、檀家様のアドバイスで販売をはじめたペアで持てる恋愛お守りをあげた。
 カレシと末長く幸せに。そう言うと、くうこうくんもよ、と綺麗に笑った。



 かくして恋する乙女から恵まれたリップクリームは拙僧の"かっこいいカレシ"に絶大な力を発揮してくれたのだがー

「盗み聞きはいただけねえな……」
「悪かった、聞くつもりはなかった」
「顔がニヤけてんだよ!」

 女の子の二度目の訪問にたまたま居合わせた"かっこいいカレシ"は、こっぱずかしい会話を全部聞いていたそうだ。
 しかもリップクリームのこともしっかり調べて。
 ほぼ専用と化した客間に正座して深々と頭を下げるーいわゆる土下座ーで態度だけは殊勝に振る舞っているが、溢れ出る煩悩と雑念が隠し切れていない。
 ぜんぶわかっててでれでれしてやがるのだ。

「……お前、俺とラブラブハッピーになりたかったのか?」
「なりたくねえわけねえだろ!」

 羞恥のあまりとんでもないことを全力で肯定していた。土下座のまま悶絶しているカレシが「お前……本当に……」と呻くのでようやく気づいたが、もう遅い。

「調子のんなバーーーカ!!」

 クソ、クソ、最低最悪だこのクソカレシ。
 舌打ちしながら首根っこを掴んで、だらしない顔を引きずりだす。勢いあまってどっかぶつけたらしいがもうしらん。
 衝撃できょとんとしたマヌケ面、その半開きのくちびるに噛みつくようにくちづけた。

2020/12/30


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