お前以外の馬鹿を全部燃やして

 海が嫌いだと言う恋人はしかし、八月生まれという身の上だからどうにも海が似合う。海というよりは夏の空気、雰囲気そのものがよく似合うのだが、黙っていれば見てくれだけは極上品の恋人だ。夏に寄らず春夏秋冬だいたい様になる――話がそれた。
 ともかく、海に行かないまでも寺が携わる地域に根付いた奉仕活動には『水遊び』が含まれる。スプレーガンの影響もあって必須とも言えた。誘ったもののゲームの方はどうも肌に合わなかったらしい恋人も、子供達とのリアルスプレーガン遊びには積極的に興じている。……普通、逆じゃないか?
 安価な水鉄砲も増え、寺で用意しなくとも持参する子供も増えたがそうでない家庭もある。保管には多少かさばるが、バカみてぇに広い寺なんだからどうにでもなんだろ、と後継者予定のクソガキが住職に無断で大量に購入した。俺の金で。曰く、お布施すりゃ銭ゲバ弁護士の徳も積める。とんだ悪徳坊主め。
 そうは言ってもたいした額でも労でもない。何円均一だかと地元の小売を行脚して買い周り、楽しそうにまた寺でイベントをすると言って回っていた。通販もあるだろうに、などと言わなくてよかった。二人きりでいるときに、わかっちゃいねぇな、といずれ地元のコミュニティで主柱となる者の顔をされるのは頼もしい反面、面白くないのだ。
 面白くないと言えば、極上品の見てくれを裏切る野生動物じみた恋人はホイホイと肌を晒す。不満気にするが俺は恋人のプライベートゾーンはもちろんのこと、それ以外の場所にしたって肌を晒すのを好まない。完全に隠せなどとは思わない。季節と気候、場所と状況に合わせたコーディネートをすれば肌を晒す機会はいくらでもある。
 だが恋人はそうではない。動いたら脱げた、走ったらどっか行った、乱闘騒ぎで破けた――枚挙にいとまなく、通常あまりないシチュエーションで脱衣する。大雑把かつ無頓着なそれらに色気はない。猿やカピバラの温泉入浴ニュースをいやらしいと思う人間が少数派なように、クソガキの脱衣に興奮する人間もほぼいない。いない、が。ガキだガキだと言ってもほとんど大人に分類されるクソガキの脱衣で痛ましい事故が起きないとも限らないのだ。俺は恋人の肌を見られたくないし、それによって万が一の悲劇が生じるのも見たくはない。だから、
「水着を買わせろ」
「は? なんでだよ。去年買ってもらったやつあるからいらねーよ」
 こういう時だけ倹約精神を出すな! いつもねだっているロボット掃除機の値段を考えろ! (だがモノによってはロボット掃除機の方が安い)と喉元まで出かかって飲み込んだ。それぐらいの返しは想定内だ。こいつは俺が下心を隠して提案したことは野生のカンで拒絶する。恋人にも関わらず。決して浮気や金銭トラブル、暴力暴言の誤魔化しなどではない、あくまで恋人としてはまっとうな下心をだ。
「俺がお前に着せたい水着があるからだ」
 対処方法は簡単で、下心を隠さなければいい。かわいいかわいい恋人を着飾ってさらにかわいくしてかわいがりたいという、年甲斐もなく恋に浮かれた大人の醜態をさらしてダメか? と甘えた素振りを見せる。するとぐ、と怒りとも羞恥ともつかぬ表情で頬を染め、刺々しい態度はあっさりとナリを潜めてしまう。
 これまでの恋人ならば喜んだスマートなエスコートや派手すぎないサプライズ、強すぎない匂わせを最新最後の恋人は『コソコソするな』『ちまちましてんな』『まどろっこしい』と一刀両断する。仕方がない、俺が馬鹿だった。俺が高校生の時におぎゃあばぶぅと生まれた恋人が、同じ感性や感覚を持っているわけがない。
「そんな言うなら、着てやんなくもねぇ」
 馬鹿正直に腹の内を曝け出すだけで――曝け出したからか――ぷい、と全身を翻す。拒絶ではなく、まっすぐに求められることに耐えかねた幼い仕草がたまらない。このしてやったりという満足感と胸をかき乱す庇護欲の尻尾もちらちら覗かせると、存外に機微に聡い恋人はきちんと汲み取ってくれる。もちろんやりすぎると怒られるが。
「ご褒美ありがとさん」
「さんざ買い物に付き合わされた『ご褒美』が買い物とか……変なヤツ」
素っ気なく自分を着飾ることを喜ぶ男を理解出来ないと言いながらも、その実では愛し愛られるのを待ち望んでいる。最初はこの子供から告白してきてはじまった関係だ。好意を寄せられても互いの年齢と立場を理由に断り続けてきた。成人してなお変わらぬ意志に折れ、互いの家族と顔合わせをして覚悟を示し、今がある。
 お前だって好きならいいじゃないかと言われもしたが、愛だの恋だのだけで全てが綺麗に片付くならこの世の悲劇は起こらない。両親――そして兄の墓前――に拙僧が絶対に獄を幸せにすると頭を下げられるまで、何が起きてもおかしくないと思っていた。
「ばぁか、さっきまでのは慈善。こっちは趣味。全然違うだろ」
 俺を絶対に幸せにしてくれると誓った恋人には、俺を幸せにする義務がある。ならば大人しく俺に貢がれ、飾られ、愛されてもらわねばならない。趣味、と若干げんなりとした顔をされたが構うものか。これは正当な報酬なのだから。

「どーだよ」
「……ダメだな」
 渋い顔をして何着目かも忘れるほど水着の試着を強いる恋人は、何を着て見せてもこの調子だ。最低限の露出にしたいとほとんど服のような水着ばかりを見繕い、それすらお眼鏡にかなわぬらしい。
「似合うとか似合わねーとかねーのかよ」
「俺が選んで似合わないわけがないだろ」
 さも当然とばかりに放たれた審美眼への自負に、どう反応していいのやら。じぃ、と睨めつけるような視線からは好意的な様子を感じ取れない。そうしてついには何度目かの試着用水着の調達に向かってしまった。
「はぁ……わけがわかんねぇ……」
 最後に持ってきたのはかぶると鮫になれるフードがついたパーカー型ラッシュガードで、子供受けを考えたらまず間違いない。これはいいじゃないかと言ったのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。少しぴったりめなのが『ダメ』なのは今日の短くも濃厚な試着の経験で察したのだが、水着なんぞ大なり小なり――というかほぼだいたい全部がボディラインがあらわになる。ちなみに下がショートパンツ風で、パーカーと合わせると何も履いていないように見えるのが『ダメ』なのもわかっているが、これだって以下同文だ。この世には指一本で隠せそうな衣服の人間だっているのに、なぜこんなに過保護なのか。
 ため息をつきながら試着室のカーテンの隙間から戻りの遅い恋人を探すと、天井から床から無数に生える水着の森の中で見知らぬ男と目があった。ぶらりと立ち寄ったらしく頭のてっぺんからつま先まで軽そうなそいつは、嬉しそうに破顔するとなぜかこちらへと向かって来る。
 いやに親しげだが知り合いではない。格好からして寺に来るとは思えないしラップ関係か? なんだかわからずにいると目の前に来た男にねえ君、と軽い調子で声をかけられた。じろじろと値踏みをするような眼差し……しまった、これは彼氏が最も嫌う類の輩だ。
「……ツレがいる。帰んな」
 睨みつけてしっしと隙間から手を振ると、無遠慮にカーテンを開けられた。レールを滑るしゃあっという音は店内の喧騒にまぎれて消え、カーテンの端を掴んでいた手が引きずられる。暴れるには人が多すぎて、穏便にすませようとしたら大の字のポーズで水着姿を晒すハメになった。ますますマズい。彼氏が最も嫌うタイプに、彼氏が最も嫌う行為をされてしまった。近くの試着室の利用者とその連れ合いも最初は知り合いかと様子を見ていたが、どうも違うらしい、と眉を顰めている。
「オイコラ、何しやがんだ変態!」
 彼氏にぐちぐちと面倒くさいことを言われるのが確定した今、出来るだけ早くこの馬鹿を退けなくてはならない。しかしたまたま試着したままだっただけで下手をすれば裸もありえた。普段の服の乱れすらみっともないと叱り、水着でもあの嫌がりようをする彼氏に『裸を見られた』なんて言ったらどうなることか。考えただけでもゾッとする。
 最初よりもキツく睨みつければさすがに少しは怯んだが、手を上げていないからか舐められているのだろう。もしかして男? でもやっぱ可愛いな、などとふざけたことをぬかしている。うわべだけの謝罪すらしない馬鹿が考えて行動などするはずもない。
 大声での変態、に揉め事だと判断したのか視界の端で店員が顔色を変え、どこぞへと連絡するのが見えた。これならそう彼氏を煩わせることもないか、とカーテンを閉めて引っ込もうとした時だ。
 気を抜いた隙を突かれ、むに、と男が体に触れていた。それも、よりにもよって、胸に。すぐに離れたものの、思ったよりやわらかい、え? やっぱ女? でも乳首が――などと頼んでもいない感想を聞かせてくる。
 水着越しとはいえ掴まれた感触は残っているし、何よりも目の前でじろじろと見られながら意味深に手のひらを結んで開いてされるのが気持ちが悪い。――なるほど、こういうモノ好きというかゲテモノ食いというかがいるからこそ、彼氏は過保護になったのか。デートのたびにこんなのに絡まれたら彼氏が過労死してしまう。それでもこれ以上、下卑た顔を向けられるのに耐えられる自信がない。
「うちのに何か?」
 すまん獄、と心の中で謝罪をして拳を握るのとほぼ同時に、東都でつるんでいたヤクザを思い出す地の底から轟くような低い声と、立っているのが苦しくなるほどの圧が不躾な男の背後から発せられた。見慣れた美学の塊が、見慣れぬ不穏さを馬鹿でもわかるように撒き散らしている。
 なんとも珍しい。こんな彼氏は滅多に見ることがないのだ。怒りも不満も隠さない男は、殺意に限ってはほとんど向けることがない。彼氏自身と彼氏自身が力を貸す人々の矛先にいる人間は生命を奪う方がよほど容易いこともあるのに、決してそうしない選択をし続けている。生きて己の行いによって苦しむことこそが死よりも辛いと知る男は、憎悪と怒りは抱いても殺意を向けることはない――はずなのだ。
 黒々と尖った殺気を当てられ、ひぃ、と引き攣った顔と声のまま、ぺたん、と男はその場に尻餅をつく。漏らしてはいないらしいが、漏らしていても驚きはしない。彼氏はそれほどまでに剣呑な空気を纏い、物騒な顔つきをしているのだ。人殺しだと言ったら信じて貰えそうな目は冷たく燃え盛ったまま座り切っている。少なくともこの場の人間には弁護士とは信じてもらえないだろう。
「ひと、」
「何された」
 ガタガタとふるえながら縮こまった馬鹿のおかげで、距離はあるものの見たこともないくらい不機嫌な彼氏と真正面から向かい合うハメになった。はてさてどこまで見て、聞いて、知っているのか。嘘をつくと『そのクズを庇うのか』と後が怖いことになる。彼氏の采配に異を唱えるなら相手の善性を主張しなくてはならないが、今回は残念ながら初手からクズなので庇う気はない。どこまで話すかを考えているのは他でもない、保身だ。
 親しげに振る舞うのに接近を許し、追い払っても退くどころか無遠慮に距離を詰められ、あげく痴漢行為まで許したのを、人の多い店内だから穏便にすませようとしたという主張でどこまで良く評価して貰えるか。凛気旺盛で独占欲の強い彼氏は、弱きを守るために天秤を握る男で、世のため人のための行動を軽んじられないから期待が持てる。
「そこでチビっとるおおたわけが拙僧のことナンパしてきたんだが、帰れって言ったのに帰らんし乳揉んできた」
 ともあれ素直が一番だ。庇う気がないこと、拒絶したことは言ったし、騒つきながらも遠巻きにされている状況が鉄拳制裁に至らなかった理由を雄弁に語っている。後はもう彼氏次第だ。『乳』でぴく、と眉間のシワが揺れると、さらに深く刻まれ、冷房が効きすぎているような空気になったが、たぶん本当に殺しはしない。社会的には死ぬかも知れないが。
「……俺が、うんざりするほど水着試着させてる理由、わかったろ」
「こういうのがいるから、だろ」
「触られたの、どこだ。右か、左か、それとも両方か」
 一瞥もくれずに凍えるような殺意だけで馬鹿を牽制し、道をあけさせる。腰が抜けたまま尻だけで床を滑り、逃げ出す様子もない。おそらく二度とナンパもセクハラもしないだろう。これで懲りなかったら学習能力が無さすぎる。
「こっち、って……っ」
 馬鹿の屍を超えた彼氏は、いつもより大きく見えた。目の前、というかほとんど抱き締められるような距離感に後ずさると、腰を掴んで引き寄せられる。視界いっぱいに広がるおっかない彼氏で周囲の様子はわからないけれど、空気がひどく慌ただしくて落ち着かない。止めようとした口と手は、彼氏の胸元に埋もれて塞がれ、封じられてしまった。
「……ああ、パッと見は手のひらで包めるくらいのサイズに見えるか……」
 しかも乳首勃ってるしな――と囁きながら、空いた片手で触られた方の胸を掴まれる。下から上へ、持ち上げ、揺らし、揉まれ、勃っていると言われた場所は指の腹でピン、と弾かれた。びくん、と体が跳ね上がるのは、彼氏に押さえ込まれて不発に終わる。腰を掴んでいたはずの手も、あれよあれよと下へと下がり、尻を割り開くように揉みしだかれていた。
 想像以上に怒り狂っている彼氏は、上も下も、もはやそこまでされていないということまでやりはじめ、さすがに暴れるも離してくれない。ぶっちゃけ気持ちよくなりはじめてしまってマズいのだ。まだ、購入前の商品なのに、その、変な汁をつけてしまう。
「ひとゃ、まて、まてって……!」
「待たない」
 馬鹿待て。砕けかけた足と腰でなんとか踏ん張って、ゆるやかに拘束されていた両手をなんとか引き抜き胸を叩く。その間だって乳も尻もこね回されている。まったく、たまったもんではない。
「……こんなとこで、いきたく、ない……っ」
 馬鹿に踏み荒らされたテリトリーへのマーキングに夢中な彼氏の気を引きたくて、一番率直な気持ちを訴えた。明らかに先ほどまでとは違う、気まずい雰囲気で満ち満ちた空間が恐ろしい。大人と子供で販売も試着も別れているから、教育に悪いということはないがそれだけだ。幸いにも距離を取られているから近くで転がる馬鹿以外には、絡まれた恋人を助け出して抱き締めているバカップル……に見えている――と信じたい。
「悪かった……家で詳しく聞かせてもらう」
 帰ったら続きをする――という予告をされ、手は止まったものの隠すように抱き締められたままになった。さも当然のようにそうするから、離してほしくて見上げると、余計に強く抱き締められて離してくれない。声をかけ、名前を呼んでも黙して動かぬ彼氏は、ついに人混みをかき分けて警備員を引き連れた店員がやってきてあらかたの事情を説明し、馬鹿が回収され終えるまでそのままだった。

 本当に軽い気持ちで声をかけたんだよ。退屈そうにカーテンから顔を出してて、ちょっと見ないくらい可愛い子でさ。目が合ってもそらさないで、不思議そうに見つめ返すだけだったし。
 脈ありかなって近寄ったら嫌そうにツレがいると言っていたけれど、可愛い子は一人でも友達とでもそう言うからさ。それにこんな可愛いのに警戒心の低い子を一人にするツレなんているわけないし。
 だから女の子じゃなくて小柄な男の子だとわかっても別に気にしなかった。スポーツか何かやっているみたいで筋肉はついていたけれどムキムキしていなくて、どこか色っぽくてさぁ。だってパーカータイプで余裕があるはずのラッシュガードを着ているのに、胸のところが窮屈そうだったし、乳首浮いてたんだよ。エロいなって。
 同じ男として筋肉なのか気になってとか言おうって胸掴んだけど、思ったよりもやわらかくて、でも筋肉らしくむちっと重量があってさぁ……かすった乳首はこりこりしてて……ヤバ! エロ! って。
 ちょっと睨まれたり抵抗されたりしたけれどそんなに嫌がって見えなかったし、顔は可愛くて体もエッチだし。これなら意外と押せばヤレるんじゃないかなぁ〜って。そしたら嘘だと思ってた『ツレ』が来たんだよ。
 そこから先は思い出したくない。だって後ろからなんかすげぇヤバいオーラ? ビシビシ来てさぁ……。そんだけで殺されるって思ったんだよ。すげぇイイ声で『うちのに何か?』って聞かれたけど、あきらかこっちの答えなんか聞いてないし。丁寧な感じだけど、俺のモンに手ェ出したなってキレてんの丸わかりで、あ、こいつヤクザだ! って思った。で、気づいたら腰抜けていた。
 可愛い子のことなんか忘れてたよ。どんな感じだったかとか覚えてない。ヤクザの愛人? に手ェ出した! 殺される! って。もー怖くて、怖くて、腰抜けたまんま動けなくって。でも動けないけど、邪魔だって思われてんのがわかるから、なんとか動いて。怖くて、目ぇ合わせたら死ぬ! って思ってずっと下見てた。そしたらヤクザが誰がこんなの買うんだよと思った何十万もするブランドの靴を履いてたんだよ。そのピカピカの革靴以外、ヤクザの外見は何も覚えてない。
 あんな高い靴普通に履いてるってことはやっぱヤクザなんだ、殺されるんだって思ってたら、ヤクザ、可愛い子とちょっと話した後にイチャイチャしはじめたんだよ。あんなとこで。やっぱヤクザってすげーって。顔とかは見てないけど胸を揉んだと思ったら尻まで揉んで、なんかエッチなムードになってるなって思ってたら店員さんと警備員さんが来てくれて、助かったー! って思った。
 ヤクザが話はそこの馬鹿に聞けって怒ってたけど、ずーっと可愛い子のこと抱いてたから、そんなら最初っからそうやってて欲しかったよ。ほんと、偉いヤクザっぽかったしさぁ、子分に見張らせるとか荷物持ってこさせるとかしてほしい。……え? ヤクザじゃない? 弁護士? 不同意わいせつ罪で訴える……? ちょっと、え……どうしよ……。

2024/2/29


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