籠城撹乱落花流水

 四月は一番弟子の誕生月で、去年の自分と同じように成人を迎える時でもある。
 去年の夏に成人を迎えてから明確に土産だなんだと寄越されるものが変わり、それがコンビニ菓子のような気軽さで渡されるには高価であったり希少であったりするのは早々に察したものの、贈り主が良しとしているから良しとすることにした。
 贈られたものの価値を正しく理解していると思い難いのか、周囲からひどく騒つき、困惑した目で見られていたものの、数ヶ月もする頃には皆慣れて、むしろどこかあたたかい……というには少しぬるい眼差しを浴びるようになった。
 贈り主を慕う一番弟子もそういう視線を浴びせ、時にはそのバッグは即完売した人気ブランドの数量限定アイテム——だから気軽にネギとかニラとか入れる買い物袋にするのは正気の沙汰ではない——と教えてくれたりもした一人で、やはり段々と状況に慣れていった一人でもある。
 来年の春にはお前もこうなるのだと告げると目を真ん丸くしていたが、物好きな贈り主はなんだかんだと言いながらも自分も一番弟子も可愛くて大事でしょうがないという顔をするのだ。
 出会った時から言い合いをして時折手も出るような自分より、今も昔も素直に頼って慕ってくれる一番弟子の方が多少手がかかっても面倒見のいい男の琴線には触れるだろう。
 どんな時間に呼び出してもだいたい完璧に整えられた格好で現れるのは二人とも同じだから、趣味は違えど間違いなく方向性は合う。少なくとも五分もあれば全てが完了する自分よりもよほど。
 酒と煙草については、なんでもバンドマンは結構飲んだり吸ったりするらしく、喉を痛めるのはもちろん飲みすぎて醜態を晒すような場面に何度も遭遇しているから、上手な付き合い方や断り方をご教授して貰う、と意気込んでいた。
 自分の時のように男の家でタイマンではなく、今後の食事をする時に聞いた方が緊張感があって勉強になると思う、と妙な気合いが入って少し空回っても見えたが、宴席で酒に溺れた屍の後始末をしている身からすればありがたい。
 ともあれ、自分の時と多少の違いはあれど同じような事が一番弟子の身に起こる、と思っていた。



「拙僧はンなみっともねぇか?」
それとも頼りねぇ? と眉間の谷間を深くした空却が事務所に訪ねてきた。
 十四の誕生日から一ヶ月弱後の平日昼間。休憩に行くかと腰を上げたタイミングで一番奥まった所長室へと押しかけてきた坊主見習いは、おそらくお勤めを放棄してここにいる。
「二十歳にもなってガキみてぇに仕事サボってるやつはみっともねえし頼りねえと思うが?」
「サボりじゃねーよ、ちゃんとした外回りだっつの」
 見る者が見ればわかるレア物の——使い込まれてボロボロになっている——パープルのエコバッグには封筒やクリアファイルに加え、小分けの袋菓子やら果物やらが入っていて、行く先々で空ちゃん空ちゃんとかわいがられたのが目に浮かぶ。
「じゃあ俺にも用事があるってことだろ? さっさと出すもん出しな。これから昼飯食いに行くんだよ」
「獄に回すモンじゃねぇから受付のねーちゃんに投げた。拙僧からの話はもう言った。獄がさっさと吐きゃ昼飯前にゃ終わンだろ」
 寺の管轄外になりそうな、あるいは明確になっている相談は、獄の事務所に回るようになっている。
 元々は空却が寺で聞いた相談を獄に聞いてみる、とこちらの都合を考えずに電話だのをしてきたことに端を発するのだが、ごく稀にいる『相談者本人に何らかの問題がある』パターンを避けられるため存外に悪くない。
 たまにいるのだ。慰謝料を払う立場なのに貰えると思っている者、我が子は絶対に正しいと疑わぬ者、法ではなく人道を説くべき者が訪ねてくることが。
 もっぱら、とんでもねぇバカが来やがった! と空却ががなるのを灼空さんがたしなめるのだが、時に灼空さんすらも怒髪天を衝くことがある。
 そういう法律以前の問題外の篩にかけられた案件の中で獄が直接関わることが多いのは、いじめという平仮名三文字でおさめるには邪悪な総合犯罪の温床なのだが、それがないイコール相続遺言離婚交通事故近隣トラブルのどれかだろう。探偵の仕事のほとんどが猫探しと浮気調査みたいなものだ。
「サボりじゃねえならみっともなくも頼りなくもねえ。きちんとお使い出来てるし立派なもんだ。腹減ってカリカリしてんだろ? 奢ってやる。食いたいもんを——」
「それだっつぅの!」
「はあ?」
「……獄は、まだ拙僧をガキだと思ってんだろ?」
 ドアを塞ぐように踏ん反り返る空却の眉間はますます深く、苛立った眼光は鋭い。
 一体全体何が気に障ったのかわからないが、昼飯を奢ってやるくらい、いつものことのはずだ。
「そういう態度がいっそうガキっぽく見えるってのがわかんねえか?」
「ガキ扱いしてるヤツにゃちょうどいいだろ」
「おい空却、本当にどうしちまったんだ?」
 何かと自分を比較して拗ねたりするようなヤツじゃないのに——言外の含みを察して、カッ、と見開かれた瞳が燃え盛る。
「……十四はテメェになぁんも貢がれてねぇって言ってんだよ」
「は、あ?」
「おかしいだろ! 去年から拙僧にはずぅっとなんだかんだって寄越してきやがんのに! なんで十四にはなんもやってねぇんだよ!」
「いや、あー……その……だな……」
「拙僧のこと、舐めてんだろ!!」
 初めて会った中坊の時からさして変わらなかった縦幅も、丸みや幼さをいくらか削ぎ落とされても年齢不相応に見られる顔立ちも、未だ未熟と指摘され続ける精神も——
 並べ立てたのは周囲から親しみや愛情を込めて言われたであろう言葉達で、普段の空却ならば気にも止めぬものばかりだった。
「拙僧のこと、ガキだって……思ってやがんだろ……!」
 瞳以外の全て、纏う空気すらも燃え上がらせた空却は、見たこともないくらい悔しげに喉を振るわせる。
「ガキだなんて思っちゃいない」
「……じゃあなんで十四には貢がねーんだよ」
「十四はあいつなりのこだわりがあるだろ? だから……」
「拙僧だってなんもないわけじゃねぇよ」
「着の身着のままで山どころか東都に出奔出来るやつと毎年日焼け止め全種レビューしてるやつとじゃ気の使い方が変わるだろ」
「ならそーいうもん買ってやりゃあいいだろ!」
 拙僧にしてるみてぇに、と部屋中——事務所中に響き渡るひときわ大きな声が空気を震わせ、窓を揺らし、家具を軋ませた。
 よもや、囲い込もうと下心を込めて貢いだ品々の意味を、当事者だけが気づいていないなんてことになるとは……。
 はあ、とこぼしたため息は、静まり返った部屋では想像以上に目立ち、屈辱を払拭せんと金色に血走る眼光を飛ばされた。
「大人になったからとか言って結局テメェの着せ替え趣味に都合よく使ってんだろ! 飯にしたって十四は量食わねぇしカロリーだなんだうるせぇから拙僧に食わせてんだろ?」
 ガキどころかオモチャじゃねーか、と吐き捨てる空却は、ほんの数日前にも一緒に食事に行って、十四に悪ィな、なんてずるい顔をして笑っていたのに。
 しかしまさか十四が自分と同じように奢られ、貢がれていないことを『ガキだと侮られている』と受け取るなんて誰にわかる。
 さんざ貢いだ高級品や稀少品の数々に思うことがどうしてソレなんだ。周囲が囲い込みだ、貢物だ、と騒つくラインナップに少しは感じるものがあってもいいんじゃないか。
 今の状況だって感じるものがあった結果だが、いくら保護者めいた立場だとしてもそこまでするのは、と怯むような周囲の反応に感じ入ってほしかった。
 ……ああ、でもそうだ。酒と煙草の体験会の時も夜の自宅に二人きりというシチュエーションに心臓を高鳴らせていたのは自分だけだった。
 そもそも十六歳という年齢差を考えれば当たり前だ。友人や兄弟よりも親の方がまだ近い相手に恋愛対象として見られているなんて思うまい。
 三十も半ばを過ぎて子供に近い歳の相手に恋をする愚か者にはぴったりの展開で、結末ではないか。
「……確かに、十四と違ってなんでも喜んで受け取るし、よく食うから、やりすぎたのかも知れないな……」
 馬鹿な大人の滑稽な恋は、スタートラインに立つ以前に資格がない。
 周りがあんまり快く応援してくれたから勘違いしてしまった——なんて言うのは責任転嫁になるだろう——けれど、見かねて後押しされるような無様な恋心を当事者に気づいてすらもらえないのは、脈がないなんてものじゃない。
 押し寄せる後悔と反省、傷心で、自分でも驚くほど憔悴した声が出た。
「……別に、嫌ってわけじゃねぇよ。でも、十四も同じ『家族』なのに拙僧ばっかって、変だろ……?」
 俺の様子に怯んだのか、ハッとした空却から怒りが引いていく。
 侮られていると吠えていたが、一つとはいえ年少の十四と比べ、自分ばかりが貰っていることへの負い目もあったようだ。
 でもそれは俺が空却に『家族』以外の特別を望んでいるからで、何も、何一つたりともおかしくない。
 他の誰よりも空却のことを考えていて、他の誰よりも空却の側にいて、他の誰よりも空却のことをわかっているのだと見せつけたくて、空却の頭のてっぺんから爪先まで、心以外の全てを覆い隠すように貢物をしてきた。
 ……結局、周囲に対して設けた防壁が、一番肝心な心に触れるのを阻むことになったのだが。
「そうだな……酒と煙草を教えてくれって、頼られたのが嬉しくて……それで、調子に乗ったのかもな……」
「調子に乗ってって……獄、拙僧のこと大好きじゃねぇか」
 喧嘩に近い言い合いが収束へ向かうのを感じながらの言葉には軽口が混ざる。
 鈍い作り笑いに乗せられた『大好き』が真実であるなどと微塵も思われぬまま、大きく開かれた口から放たれた。
「今更何言ってんだ、俺は、お前が『大好き』だよ」
 何とも思われていない、下心のない好意におとなげなく情を含ませる。
 冗談めかした告白に便乗した風を装った告解は、ジョークで通じる程度におさめられたはずだ。
「……もちろん、十四もな」
 逃げ口上の駄目押しに自分の名前を付け加えたことを知った『家族』は立腹しそうだが、ここまでの一部始終を聞いたらきっと許してくれる。
 トットリエリア名物の砂丘すら緑化しているご時世に、俺の恋は花も実も無いどころか草すら生えていないのだ。
「なら十四にも貢いで奢ったれ」
「ちゃんとバランスよく貢いで奢ってやるよ」
 互いに不自然でないていどに笑い合えた頃、ひと段落ついた空気を察して部屋をノックされた。
 三十路の片思いを知る者はこの事務所にもいる。
 そして、今、その思いが届きもしなかったと知る者に変わった。

「つうわけだから、十四もちゃんと貢いでもらえよ?」
「は、はあ……」
 いつもの修行のために訪れたお寺で休憩していた時、師匠——空却が、そういえば、と眉を顰めた。
 檀家さんから貰った美味い菓子で、と御機嫌だった顔が曇るのに、何事かと少しだけ構えていると、獄がひでぇンだ、と苦々しげに口火を切る。
 神に等しい恩人たる獄が空却に対して酷いことなどするわけがない。『家族』であるのはもちろん、見ているだけで焼け焦げそうな『恋心』を空却に向けていて、どうにか意識してもらおう、そうでなくとも周囲に牽制しようと日々甲斐甲斐しく献上品を納め、わかりやすい特別扱いと距離の近さを見せつけているのだ。
 今風に言うならば溺愛スパダリムーブをしている、出来る獄が空却にする酷いことなど浮かばない——が、もしかしなくとも……。
 混乱のあまり、しどろもどろにえ、っちな、こと、すか……? と言ってしまったのを、は? あんだって? と聞き返されてなかったことに出来たのは本当によかった。
 エッチなことどころか、それ以前。好意にすら気づいてもらえていなかったのだから。
 新商品発表どころか似合いそうだと思ったからだけで高級ブランドやレアアイテムを惜しげもなく貢がれ、週に何回もファストフードからミシュラン店まで送迎つきでご馳走され、無敗と名高い売れっ子弁護士がほぼ無償で後継予定の実家の家業と協力・連携してくれている——あらためて並べると『家族』だからですませるにはギリギリのラインだ。
 最後の業務連携は獄に全く旨味がないわけではないとはいえ、初回無料相談の紹介という形だからほぼほぼ無償で獄側の仕事が増えているだけとも言える。
 ここまでされての発言が『獄がひでぇ』はさすがに……さすがにどうかと……と頭を抱えたものの、矛先が自分に向かっていて驚いた。
 曰く、大人になったから、と貢いだり奢ったりをはじめたのに、十四にはそれをしない。不公平ではないか。
 結局、獄が平等に貢いだり奢ったりすることで落ち着いたらしいけれど、空却もあの貢がれ方はおかしいと思っていたのだな、と安心しもした。
 ただ、その『おかしい』のベクトルが『空却をまだガキだと思っている』『十四にも同じようにしないのはおかしい』という方向に向かっていると知った時の獄の気持ちを考えると、どうしようもなくいたたまれない。
 空却は粗野で乱暴ではあるけれど全く機微に疎いということはないのだ。『家族』である自分と獄のことならばいっそう、自分自身ですら気づいていなかったことすら見透かして、掬い上げるようなことすらある。
 それなのにこんなあからさまな好意に気づかないなんて——
「難しいっすよね、プレゼントって。空却さんもよくお布施とか差し入れってお菓子とか貰ってるけど……自分は、けっこう高級な家電とか、好きなブランドのアクセサリーとかを貰って……まさかそんなものくれるなんて、思ってなくて……」
 今は受け取り拒否している高級品や金券類はバンドの人気が出始めた頃に急増して、嬉しい以上に怖くて、どうしたらいいかわからなくて獄に相談したら、まずは次回からは受け取り拒否、今ある分は可能な限り返送、とため息をつきながら対応を代わってくれた。
 好きだから喜んでほしいという気持ちは同じだけれども、きっとその先が別れ道になる。
 家電やアクセサリーをプレゼントしてくれた人の名前はまだ覚えていて、似た名前の人を見かけると、あ、とその時のことを思い出す。
 同じくらいいつもファンレターをくれる人、フラスタを贈ってくれる人、SNSでコメントをくれる人……たくさんの人を覚えているけれど、自分のために何十万という金額を差し出す人が何人もいるというのは忘れ難いものがあった。
「そんなん有り難くもらっときゃいいだろ。十四のバンドにそんだけの価値があるってこったろ?」
「……そう、思えなかったからっすね。もちろん、自分達をいいって思ってくれたのも本当だと思うんすけど……」
「それ以上に十四とバンドのどいつかとどうこうなりてぇって下心が見え見えだった、と」
「あはは……そうっすね。そうじゃない人もいるのは、わかってるんすけど」
 バンドをしている自分は自分の中の一部で全部じゃない。ステージの外の情けなくて、弱い、かっこ悪い自分を知った時に、ステージの上の自分に捧げられたプレゼントや思いはどうなるのか。目が飛び出るほどの品々とその奥にある感情は、今でもどうにも出来る気がしない。
 ならば逆に、ほとんど全てを曝け出し合った相手からのそれはどう感じるだろう。
 これは空却に獄からのプレゼントを振り返って考え直させるための長い前振りだ。
 見え見えの下心のこもった高価な貢物を『家族』と呼んで信頼する相手から貢がれていることと向き合せたい。
 あれを本当にただの『大人になったお祝い』だとだけ思っているのか。
 わかりやすい含みを持たせて、若干、獄の行為を困ったものと思わせるような言い方すらして、空却からの返事を待つ。
「なら獄からの貢物は安心だな」
 待つまでもない、檀家さんの差し入れをむしゃむしゃと食べながらの即座の答えに絶句していると、十四は食わないのか、と首を傾げられた。首を傾げたいのはこっちだ。
「何を心配してるか知らねぇけど、この檀家さんの菓子くらい安心していいぜ」
 ほれ、と渡された最後の一つを受け取るものの、心配しているのはそういうことではない。
 けれども言うわけにはいかないもどかしさに苛まれながら、菓子の袋の端を弄る。今菓子で口をふさいだら、このまま話が終わってしまいそうなのだ。
「『ハタチのお祝い』って御本人のお墨付き、信じてやれよ」
 そんで袋をぐちゃぐちゃいじくんな、と額をばちんと弾かれた。
「いひゃい!」
「ヒャハハハハッ! 油断大敵ってなぁ!」
「空却さんひどいっすよぉ……」
「加減してやったろ?」
「全然してないっす! すっごく痛いっす! ……あと、やっぱりひどいっす!」
「そんな言うほどじゃねーだろ」
「自分にじゃ、ないっす……」
「酷いのは拙僧か?」
 指先とは思えない力で打たれた額を押さえる手を剥がして、綺麗な金色の目に覗き込まれる。
 混じり気のない澄んだ目にじい、と見つめられるとどきどきして、答えようとしても喉に言葉は引っ込んで出てこない。
 ひどいと思うのはたまたま貢物が贈られるまでの道程を知っているからで、それはきっと自分に数十万の品物を贈った人のことを知っている人だって同じだ。
 こんなに思っていて、その思いを込めたのに、ひどい。
 贈られる側のことは考えている。好きそうなもの、喜びそうなもの、欲しいと言っていたもの——調べて、考えて、悩んで、思い思った果ての答えが贈り物だ。
 でも、それをどう受け取るかは贈られた側が決める。
 空却が獄からの貢物をどう感じ、どう思い、どう受け取ってきたのかを、自分達は本当に知っているのだろうか?
 思ったより腫れてんな、というつぶやきに、は、と思考の海から揺り戻される。
 前髪を乱暴を退けて額を検分する目はいつもと変わらない。
「思ったよりってなんすか! やっぱ空却さんひどいっすよぉ……!」
「悪ぃ悪ぃ、なんか冷やすもん持ってくる」
 そう言って駆け出した背は、もうこの話は終わりだと語っていた。

 十四から聞かされてた顛末に追加でダメージを食らってから数日。それでもついた癖はなかなか抜けず、店先に飾られたピアスが風にしゃらりと揺れ、大人しくしてくれたら短い髪に映えそうなのに、とつい見てしまう。
 思い返せば空却に好意を抱く前から、好きだ、と思った相手にはあれやこれやと贈っていた。
 欲しいと言っていたもの、気になると言っていたもの、そこから導き出した好きそうなもの、さらにその中で似合いそうなもの、もっと踏み込んで趣味ではないだろうけれど似合いそうなもの。
 気づけばそういうものを探しては贈っていた。
 これまでの相手は皆、こんなにプレゼントをされたら嫌でもわかる、と苦笑していたから、つい同じ調子でやってしまったし、空却とて察しが悪くないから『わかるはず』と思って続けてしまったのだ。
 同年代で互いに憎からず思っているのがわかっていた相手だからこそ通じた手管を、干支一周以上違う歳の『家族』としか思われていない相手にやるのが間違っていた。
 贈られた側が贈り物を喜ぶのは義務ではない。贈った側が贈り物をどう扱われようと文句を言う権利もない。プレゼントとはそういうものだ。
 『酷いのは拙僧か?』という問いの答えは当然、否。
 『二十歳のお祝い』という免罪符を掲げて貢ぎ、奢り、尽くしたのは獄の一方的な好意の発露でしかないのだから。
 むしろ『家族』として無二の信頼と親愛を寄せた相手——それも十六歳上のオッサン——から懸想されるなど、無碍にも出来ずさぞや困ったことだろう。
 恋に溺れた愚かな男の最後の貢物は決めていた。
 空却が欲しくもなければ興味もない、獄が似合うと思う以上に身につけてほしいだけのもの。



 空却は馬鹿だの阿呆だのと言われてはいるが、心底からの馬鹿でも阿呆でもないから自分に向けられた感情が正しくどういうものかくらいはわかる。
 わかるが、面倒そうであったり厄介そうであったりするものには触れない。面倒で厄介なことになるのが目に見えているからだ。なお、面白そうなことには面倒そうでも厄介そうでも頼まれなくとも突っ込んでいく。
 直近ならば『家族』であり、チームメイトである男の奇行である。
 男の貢ぎ癖というか散財癖というかはよくよく知っていたから、ご厚意に甘えてきた。
 それがだんだんとおかしな様相を呈してきたのはさしもの空却にもわかっていて、いよいよおかしいぞ、となったあたりで予防線を張り、男の掲げた大義名分を借りて自分にも周囲にも言い聞かせた。
 これは『家族から家族への二十歳の祝いである』と。
「そんなわけねぇだろ」
 チームでの集まりで使用頻度の高い客間に寝転びながらぼやいたのはただの事実で、特段隠し立てすることではない。
 素知らぬフリをするにも限度がある。これ以上はいい加減、空却が馬鹿か間抜けに見えてしまう。
 かわいいかわいい一番弟子との腹の探り合いから一週間ほど、まもなく六月になろうという頃に、男から会いたいと連絡があった。
 場所を寺に指定した上で渡したいものがあるというメッセージに空いている日時を返してやれば、即座に一番近いものを指定され、それが今日この時である。
 もう間も無く訪れるはずの男との腹の探り合いはかったるいからしたくない。
 酒と煙草を教えてくれと男の家にお邪魔した前中後に何かあったのか、急に空却を囲い込むような言動が増えた。
 最初は疑わなかった。自分が好ましく思うものには気前がよく面倒見のいい男だから、酒と煙草を教えてくれと言った時にそういう欲が刺激されたのだろう、と。
 『二十歳になったから』という名目で貢がれたものは、多少高価でも男に認められたような嬉しさだってあったのだ。
 問題はそれ以降で、いかに『家族』としても明らかに『祝い』としては過剰な質と量、そしてどれだけ上手に平常の皮をかぶっても隠しきれない、焼けつくような情が鋼色の目から注がれていた。
 空却にわかるのだから外野もみんなお見通しで、似たような視線をしていた連中の大半が大人しくなり、一部は挑もうとした様子があったものの、男が貢いだピアスの具合を見に空却の耳元に顔を寄せたり、乱れた服の襟や裾を正したりするのに意気消沈し、最近では大人しくなった連中と一緒に見届けてやろうと座ったというよりもふんぞり返った目を向けている。
 いつの世も人間関係は一番身近な娯楽で、惚れた腫れたはその最大のものと言ってもいい。
 何をトチ狂ったか十六歳下のガキに懸想した三十路の恋路と、その終着点となってしまった当事者のガキたる空却は『応援』『見守る』という小綺麗な野次馬根性隠しによって周囲に消費されるようになっていた。
 あらゆる種類の視線を浴びてきた空却にとって、あからさまに好戦的で攻撃的なものは売られた分だけ買えば終わるぶん厄介でも面倒がなかった。逆に一切攻撃的ではないもののこうなって欲しいという願望を通して微笑んでくるものは拳で蹴散らせぬぶん面倒で厄介であった。
 後者にあたる善良な野次馬達は男だって好まないだろうと思っていたのに、なりふり構わぬ領域にまで足を突っ込んだのか外堀として利用する気らしい。
 恋は盲目とはよく言ったもので、さんざ馬鹿だガキだと抜かした男がよくもまあ、と驚くと共にだんだん苛ついてきた。
 男の職場で空却がたまりにたまった苛立ちを発散したことで一時的に浮ついた空気はおさまっているが、どう見たって男の中で決着はついていない。
 動向をうかがっている最中に弟子から探りが入り、それを聞いたであろう男からの逢引希望。
 今日で終わるかはともかく、終わりに着手出来た。
 どう転がるかと寝転んでいると、約束の時間になったのか男の到着を告げる鈴の音が鳴り響いた。
「よぉ獄、今日は何くれんだよ」
「お前が欲しくないもんだよ」
 玄関まで迎えに行くといつもどおりを装おうとして失敗した男が立っていて、いつもどおりに軽口を叩いてやれば拗ねた子供のような顔をする。
「拙僧が欲しいって言ったもんなんざ寄越したことねーだろ。ロボット掃除機とか」
「灼空さんに空却個人が身につけるようなものは多少の目溢しはするが、ロボット掃除機みたいな寺の共有物になりそうなものはやめてくれって頼まれてるから無理だな」
「あんのクソ親父……」
 いつもどおりの廊下をいつもどおりに歩き、いつもどおりの部屋にいつもどおりにたどり着く。
 例年どおりの気温に熱い茶ではないだろうと冷やした麦茶を大きなやかんいっぱいに用意し、茶菓子も甘いのからしょっぱいのまでしこたま買い込んで長机の上に置いていてた。
 長丁場に備えてでもあり、飽きた場合の暇つぶしであり、気まずくなった時に口を塞ぐためでもある。
 男が部屋に入ったのを確認すると、ぴしゃりと襖を閉じて長机を挟んで向かい合う。
「で? 拙僧にどんな告白? 求婚? すんの?」
 やかんからコップ——どうなってもいいようにプラスチックのもの——に麦茶を注ぎながら問えば、はああ……と重厚そうなため息で返された。
「……俺がどんな気持ちで……」
「獄がどんな気持ちだろうと受け取るのは拙僧なんだぜ」
 うなだれる男の前にふちギリギリまで麦茶を入れたコップを置く。勢い余って少しこぼれたが問題ないだろう。
「こんながさつでデリカシーのないやつのどこがいいのか俺も知りたいんだよ……」
 よくよく見ればコップの周りだけでなくコップからも雫がしたたっていたようで、長机を拭いたきり忘れていた台拭きで机をぬぐい、コップはそこらへんにあったティッシュで拭いていた。
「そんな繊細でセンシティブだから拙僧がいいんじゃねぇの」
「空却……お前、センシティブなんて言葉知ってたんだな……」
「反応するとこ間違ってんだろ」
 最近たまたま聞いたから覚えていただけで知っていたなんてものではない。自分用に注いだ水滴まみれの麦茶を一口飲むと、綺麗に拭かれた向かい側がひどく目についた。
「サイズは合うはずだ」
「うお、びっくりした……」
 麦茶を飲む一瞬の隙をついて取り出されたらしい小さな箱は見るからに高級そうで、言われなくとも何が入っているかわかる。
 サイズなんて今更だ。服だって靴だって、色も形も素材も何もかも、空却にあつらえたようにぴったりのものしか貢がれてこなかった。
 指をひっかけて箱を開ければ、小気味良い音が響いて中からさらに箱が出てきた。厳重というべきかまどろっこしいというべきか。
 外箱から取り出した箱はしっとりとした布張りで、丸く加工された角がなめらかな、どこからどう見てもそういうものが入った箱だ。
 簡単に開かないようにか鍵をかけない代わりに少し重たくばねが効いた箱に、外箱と同じように指を引っかけた。
 開けた先にあるのものをどう受け取るかでこれから先の全てが決まり、目の前の男との今が終わる。
 何があっても『家族』なのは変わらない。『家族』でない自分達がどう変わるかはわからない。ここまで来たならば、もう開けてみなければはじまらない。
 開くというよりも弾けるように開いた箱の中身は予想どおり、細くて繊細な、簡単に見失ってなくなってしまいそうな銀色の輪っかだった。
 どこにつけるかなんて迷うわけもなく、今日のためにわざわざ裸にしていた指——左手の薬指——にはめる。
「似合うだろ」
「俺が選んだんだ、似合わないわけがないだろ」
 傲慢な口ぶりに反して、たった一本きりの指だけが飾られた手を見つめる目はいつも空却を見るのと同じにどうしようもなく甘くて熱いけれど、今日は焼け焦げた激しさがない。
 夢見る乙女なんてものがいたらきっとこんななのだろうと思ってしまうほど、むくつけき銭ゲバ男のだらしなくゆるんだ顔は花とりぼん、なんだかわからぬ点を連ねて出来たしゃぼん玉に似たオーラを背負ってきらきらと輝いていた。
「それが求婚の言葉ってことでいいのか?」
 一人だけ少女漫画の世界に行ってしまった男に戻って来い、と呼びかけながら、儚げな銀の輪にちゅ、とくちびるを寄せる。
 自分のくちびるにされたわけでもないのに、ぐ、と苦しげにする男には空却がどう見えているのか。
 男の眉間の深い皺の意味を考えていると、やがて大きく息を吐き出すのと同時に、贈られた輪っかに似た言葉を告げられた。
「……好きだ……」
「ようやく言ったな、この根性無し」
 格好つけの男にはさぞかし遺憾であろう締まりのないぐだぐだな告白であり求婚は幕を閉じた。



 最近にしては珍しく梅雨らしい六月の終わり。今日は師匠と仰ぐ空却と神と慕う獄の誕生日を祝いをしに、獄の住むマンションのエントランスで待ち合わせをしている。
 空却が時間を守るかは日によるけれど、突然の雨風で交通事情は乱れやすい。今日はお寺の方に突発的な雨雲が発生していたし、と雨粒の散ったガラス扉を見ると、数分ばかり遅刻した待ち人が傘を畳んでいた。
 梅雨のくずれやすい天気でも傘を持ち歩かず、降っても面倒くさいと濡れっぱなし。ごく稀に持っていても武器にする、忘れる、人に譲る……などと損消失が多い空却の傘はシンプルなビニール傘が定番だ。
 それがまあなんと、今日はビニール傘はビニール傘でもオーロラにきらめくビニール傘だった。どこかに引っ掛けてそのままにする、と言ったのを覚えていたであろう贈り主の配慮で、まっすぐな持ち手には地味に入手困難な——空却がこの漫画面白いよな、と手放しに褒めていたキャラクターの——チャームがついている。
「悪ぃ悪ぃ。寺は事前に準備してたんだが、派手に転んだやつが出てな」
「えぇっ、その人、大丈夫だったんすか……?」
「頭はぶつけてなかったし立ち上がって歩いてたから、念のためってとこだな。連れが付き添ってたし、大丈夫だろ」
 初めて見るスカジャンはディープバイオレットのサテン生地にネオンイエローの龍の刺繍が鮮やかで、中の作務衣とパンツはいつもと変わらないものの、足を飾るスニーカーサンダルはスカジャンと色味を揃えていた。
 傘を持たない手にはますます使い込まれたレアアイテム——だった——のエコバッグには、今日のために用意されたパーティグッズが入っている。
 瞬時に脳内特定班が大騒ぎで師匠たる空却の頭のてっぺんから爪先までの想定価格を叩き出し、心の中で悲鳴を上げた。
 胸に秘めた叫びはエレベーターに乗った直後、透け素材のボリュームソールの中に稲妻のエンブレムが散っているのに気づいて、B.A.Tって感じっすね〜! と何の気なしに話しかけたのに、おーだーめいどだと、とさらりと返されて、口から出る断末魔に変わった。
 しっかりとブランドロゴが付いていたそれは、今年の新作カタログに載っていたのと少し違ったけれど、シークレットアイテムか突発の店舗限定品か何かだと思っていたのに。
 うるせぇ、と叩かれても仕方ない、と思うものの、箍が外れるという言葉の意味をまざまざと感じてしまう。
「なんか……行くとこまで行った……って感じっすね……」
「ンなの今更だろ」
 アナウンスと共に停止し、開いた扉から出る瞬間。空却の左手薬指を飾るごくごくシンプルな、けれども今身につけている何よりも高価であろうプラチナのリングがまばゆく光った。

 拙僧は待つのも嫌いだがはっきりしないのも嫌いだ。
 生まれて初めて告白をする中坊のようなダサいプロポーズに対する返事はまずそれで、二回目の根性無し、追加で意気地なし、小心者、臆病者、嘘ついて唾つけまくったクセに察してほしそうにすんのがムカついた、と傷口を抉って塩を塗って叩き伏せるようなことを言われた。
 ごもっとも……と自分で拭った長机に向かってる項垂れると、しょぼくれたオッサンと目が合う。こんな男とは付き合うのはもちろん結婚なんぞ有り得るわけがない。
 あらためて突きつけられる現実に、こんなに貢いだのに、と怒り狂える人間にゾッとした。もちろん色恋をダシに貢がされた被害者には同情するが、空却はそうではない。『家族』からの『祝い』という言い訳で下心を匂わす物品を貢がれた言うなれば被害者だ。
 十六歳上のオッサンからの下心が確定した今も嫌悪感を滲ませることなく、やり口が気に食わないという文句だけしか口にしないのは、これまで築いた——いまや風前の灯に等しい——関係の賜物だろう。
 強いて被害者ぶるとしたら、こちらの気持ちをしっかり把握した上で告白をしろと言ったり、思わせぶりに指輪を身につけたり、あまつさえくちづけるなど——本当に、心底勘弁してほしかった。
 今だって一向に指輪を外さぬまま、獄がはっきりしないから拙僧が間抜けみてぇだったろ、と叱られている。
 獄が悪いとしても、それはちょっと、あまりにも無慈悲ではないだろうか?
「……空却……」
「お、生きてたか」
「生憎な……」
「なぁに言ってんだ! 死なれちゃ困んだよ」
 のろのろと頭を上げると、いつもと何ら変わらぬ調子の空却がぶしつけなことを宣った。
 まだDRBだって控えていて、寺との連携だってはじまったばかり、ついでに個人的な面倒事だって押しつけたい、と指折り数える『獄に死んで欲しくない理由』に色気も素っ気もない。
 普通だったら気色悪いと拒絶されても仕方がない状況なのだが『家族』としての信頼関係は思ったよりも強固だったようだ。
 獄が懸想しているという事実は大いに利用されそうな予感はするが惚れた弱味だ。『家族』としての関係を保ったまま、公私で手放せない存在に昇格するのも悪くない。
「……ありがとな」
「何に対する礼だよ」
「俺のこと、拒まないでくれてるだろ」
 何はともあれそれが一番だ。自分に下心を持った相手と二人きりで話すのを受け入れてくれたのだって、本来ならば異例で破格、無防備とも無頓着とも言えるが獄を信じてくれている。
 空却を恋うことをすぐにはやめられなくとも、これ以上裏切るようなことはすまい、と誓った故の感謝であった。
 が——
「あ? 拙僧ら結婚すんだろ」
「……は?」
 この流れでどうしてそうなった?
 お前まったくそんなそぶりなかったろう?
 もしかして結婚には仏教用語で別の意味があるのか?
「テメェでしたろ、プロポーズ」
 混乱する獄に対しての空却の答えはいっそう混乱を招くだけで終わり、一切のフォローもないまま、それにこの指輪、ぴったりハマりすぎて取れねぇから返せねぇし、と、前代未聞の理由でOKが出てしまった。
「……俺を好きってことは……」
「それはまだねぇな!」
「わかってたけどねえのかよ!」
「でも嫌じゃねぇ」
 獄が拙僧を思って貢いだ全部、嫌でも気持ち悪くもない。
 あっけらかんと結婚を口にして、そのまま好きではないといい、でも嫌ではないと言う。
「めちゃくちゃじゃねえか……」
「そのめちゃくちゃと添い遂げてぇって給料三ヶ月分よこしといて何言ってんだよ」
「お前と違ってセンシティブなんだよ」
 互いにしょうもない、と笑い合って、指輪のきらめきにつられて手を伸ばす。
 取れなくなった指輪を外す方法なんていくらでもある。それを空却が知らないわけがない。
 ああでもないこうでもないと悩み抜いた果てに選んだ銀の輪の鎮座した手をそっと掴み、そのまま優しく引き寄せる。
「お、テメェのモンになった拙僧が見たいってか? 崇め奉って堪能しやがれ」
 のけ反りながら差し出された手は子供体温のあたたかさ——つまり平常のまま。
 意識されていなくともいい。この一時でも裸の指を飾る唯一になれた喜びにひたりながら、先ほどくちづけを落としていたあたりへとくちびるを重ねる。
「今のなんだよ……」
「誓いのキスの代わりだよ」
 嫌悪も拒否もされていない代わりに恋愛対象とも思われてもいない。驚いたようだがこれくらいは許してくれるだろう。
 そう思ってちゅ、と触れたくちびるを離す刹那、まだ触れていた手がぼ、と燃え上がるような熱を帯びる。
 慌てて顔を上げれば、顔面全てとはいかないまでも頬と耳をか、と赤く染めた空却が、目をまんまるくしてくちびるで触れた指輪と獄を見つめていた。
「こっぱずかしいことすんな!」
 毛を逆立てて威嚇する猫のように歯を剥いて吠えられて、すぐに手を離すと指輪をつけた指をもう片手で隠してしまう。
 恥じらう仕草に、もしかしたら、もしかして、という思考がめぐり、自然と口から言葉が出ていた。
「なあ空却……『家族』としてじゃないプレゼントを、これからも続けていいか?」
「結婚すんのに?」
「釣った魚に餌をやらないみみっちい男だと思われたくないんだよ」
「はぁー……そういうもんかぁ?」
 拙僧は『家族として』なんて言い訳しないならなんでもいい、とあっさりと出たお許しに、頭の中で喝采を上げる。
 空却自身に自覚はないが、おそらく『家族として』ではない好意の可能性は芽吹いている。
 これまでの積み重ねで外堀は埋まっているし、ぐだぐだな流れとはいえ本人から結婚の許可も出た。
 このまま囲い込もう。そうしよう。
 今までもこそこそと囁かれていたが、金にものを言わせているだとかおとなげないだとか誹られてもかまわない。
 いつか、獄が好きだ、獄と結婚したい、と言わせてみせる。

「誕生日おめでとさん!」
「誕生日おめでとうございます!」
「ありがとな」
 獄に玄関で出迎えられ、すぐに用意していたクラッカーを鳴らす。
 散らばる紙吹雪に困った顔をしながらも、空却の頭のてっぺんから爪先までをチェックした目が甘くほどける。
 5月の終わり、獄と結婚する! と言いだした空却を灼空が引き止め、事情聴取をし、意味不明理解不能奇妙奇天烈摩訶不思議な愚息に頭と胃を抱え、どうにかこうにか言って聞かせてお試し交際がはじまった。
 十四含め二人の動向を追っていた善良な野次馬は、獄の片思いが実らないでも結ばれるでもない、でも結婚はするらしい謎の関係になってますます目が離せなくなっている。
 ミーハーな野次馬である前に当事者二人の『家族』である十四が、一体全体何があったのか、と問い詰めたものの、空却の言うことは同じ日本語のはずなのに意味不明で理解が出来なかった。涙目にすらなれず頭を抱える十四に、俺も全く同じ気持ちだ……と慰めてくれた獄から聞いて、おおむねの状況は理解は出来たものの、空却の考えることが意味不明で理解が出来ないままなのは変わらない。
 獄は結婚しようと持ちかけられるていどには嫌がられてはいない、拒まれてもいない、うっすらでも可能性はある、と負けず嫌いに火がついて、灼空公認の『お試し交際相手』になったことで憚ることなく溺愛スパダリムーブを決めるようになった。
 空却曰く、毎日何か一つでいいから俺のプレゼントしたものを身につけてほしいと懇願され、了承してからの目と口がうるさい。
 お邪魔してすぐのあのファッションチェックには、思ったとおり似合うな、などのコメントがつくこともあるし、なんなら二人きりだと追加アイテムの購入の提案だとか、その格好のまま食事かドライブにというイベントが発生したりするそうだ。
 これまでは匂わせて埋めるだけだった外堀も、お試しとはいえ『交際相手』の看板を得たことで、堂々彼氏面をして寺関係の行事に参加し、空厳寺との連携強化で顔を売り、『金に物を言わせて空却を囲い込む男』から『無茶苦茶な空却を一途に思う健気な男』へとイメージチェンジを果たすなど、着々と既成事実を積み上げている。
 それらを受けても空却に目立った変化は見られない。
 物議を醸した『結婚する』宣言も、当初はあんなに貢がれてさすがに悪いと思ったのだろうという意見が主流だったものの、獄の溺愛スパダリムーブによるイメージチェンジで、その場の勢いで後先考えずに言っているんじゃないか、というものが台頭しつつある。自分の片思いなのだから、と獄がとりなすのも、それを後押ししているのだが……。
 けれどもまがりなりにも『家族』として共にいる十四としては、空却がその場の勢いで後先考えない言動をするのは同意しても、この件に関してはそうではない、と思っている。
 我慢ならないとがなるのが獄なら、我慢しないのが空却なのだ。
 ましてや『家族』と自分に関わることで何も考えていないだとかは絶対に有り得ない。考えていることが意味不明で理解不能なだけだ。
 獄との今の関係や状態が嫌ならば、とっくに話をつけ終わっているはずで、冗談ならば一日と保たずに露呈している。
 『ぴったりハマって抜けなくなった』プラチナのリングは、今も空却の指を飾って輝き続けているのだから。
 クラッカーをざっくりと片付けてリビングに入ると、もうフードデリバリーが届いていた。
 テーブルいっぱいに広がる唐揚げやパスタ、名前はわからないけれどおそらく高級なお惣菜を見た空却が、とっととケーキも出しちまうか、とキッチンへと向かう。
 十四の家の方が近いし時間の余裕があるから、と十四が受け取ったのだけれども、ケーキの厳選にはなんのかんのシンプルなお誕生日ケーキが好きだぜ、という空却のアドバイスが採用されている。
 箱から取り出したショートケーキにメッセージプレートの載った、いわゆるお誕生日ケーキという見た目に反し、しっとりふわふわのスポンジ、ミルクのこっくりとした甘さがありながらもすっきりとした後味のクリーム、甘酸っぱくジューシーないちごのバランスが革新的と評判だ。
 切り分ける前に獄に全貌を見せねば、とテーブルへと運ぶ十四の後ろで、空却が慣れた様子で包丁を取り出すと、お湯で濡らして拭って戻ってきた。
「そうすると切りやすいんでしたっけ?」
「らしい。檀家のジジババが獄くんのお誕生日お祝いするんでしょ! って聞いてもねぇのに教えて下さった」
「知恵袋っすね!」
「獄に必要なのは堪忍袋だろ」
 ヒャハハ、と笑いながら獄を呼びつけ、切り分けるからさっさと見ろ、と今日の主役へとは思えぬ傍若無人なことを言う。
 俺は主賓でこの場の提供者で飯の金も出してんだぞ、と負けじと返す二人の応酬は、獄の溺愛スパダリムーブが定着しても変わらない。
 十四は知っている。
 寺で空却が水仕事をする時、プラチナのリングは外されていることを。
 さっき包丁を濡らす時、一瞬、外しかけたことを。
 プラチナのリングが『ぴったりハマって抜けなくなった』ことがプロポーズの返事なのだ、と。

2026/7/4


一周年のくわだて
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