太陽が香る夜を待つ
派手ななりに反して服や髪、肌から香るのは深く染み込んだ線香の匂いで、ふとそれを嗅ぐたび小鬼のような子供が仏門に帰依する者なのだと思わされた。
寺からの見送りついでに持っていけ、と差し出されたビニール袋にはみっちりとみかんが詰まっていて、檀家さんかと聞けば豊作だったんだってよ、と頷く。
「みぃんな手ェ、真っ黄色なんだよ」
ほれ、と見せられた手のひらは、いつもと同じように白い。どこが、と言いかけて、爪のほんのさきっぽだけがきれいに黄色いのに気がついた。
「爪の間にゴミ詰まってんじゃねえか……」
「獄もこーなんだよ」
ヒャハハ、と笑う顔が味を保証してくれる。そうして受け取ろうとした瞬間、ふわ、となびいた赤毛から爽やかな柑橘系の香りがしたのだ。
「ンだよ」
「空却……お前、香水……」
「こぉすぃ?」
訝しげに寄った眉間のシワを見なくともつけるわけがない。そんなことわかっているのに、慣れた香りに混じる知らない匂いにそわそわしてしまう。
よほど様子がおかしかったのか、空却も自身の腕を嗅ぎ出した。ふんふんと犬のように鼻を鳴らして腕を探り、ほどなく何かに思い当たったのか顔を上げる。
「柚子」
「柚子?」
「昨日入ったんだよ、柚子湯」
案外残るもんだな、と再び鼻を寄せた。はじめはみかんかと思ったが大量に入った袋からはそう香らなかったし、柑橘といっても違う雰囲気の匂いだったから気になったのだ。
「あ、柚子もわけたるわ」
「いい。戻るの面倒だろ」
「遠慮すんなよ。すぐ使えるようにネットに入ってるやつやるからネットだけ返してくれりゃいいし」
そう言うとまっすぐに駆け出す。猫か猿か、野生動物じみた素早さでいなくなった子供はまたすぐに戻ってきた。
はあ、と鼻先を赤くして少し汗ばんだ額と頬を手の甲で拭う。とたん、ぶわ、と柚子が香った。寺の中にいる時も決して遠からぬ距離にいたのだが、建物そのものについた薫香がかき消したのか、あるいは大人しくおしゃべりしていただけだったからか。
「ネット返せっつったけど、捨てていいやつ残ってたからやるよ」
「ご丁寧にどーも」
「ベンゴシセンセは年末年始も忙しいもんな」
「もっと忙しいだろ、お坊さん」
「忙しいけど、それが普通だかんなァ」
顔出すときは連絡を寄越せとカラカラ笑い、みかんよりは少ないもののかなりの量の柚子を渡された。小ぶりでも密集してネットに詰まっているとなかなか迫力がある。
「この量なら匂いもつくか」
「よかったな、拙僧とお揃いになれんぞ」
「あのなあ、空却……」
「さっき拙僧からすんのが柚子ってわかったとき、嬉しそうだったじゃねえか」
好きなんじゃねえのかと首を傾げる子供は勘違いをしている。積み重なった年月を感じさせる落ち着いた空気を塗り替えるような、やわくも印象に残る香りの正体が知りたかっただけなのだ。決して身につけたいわけではない。
「俺がつけてる香水わけてやるって言ったらどうする?」
「いや、いらねぇけど」
「本当にお前は……そういうとこだからな」
「わけわかんねぇ。柚子いらねぇの?」
眉間に皺をぎゅっと寄せ、意味がわからない、面倒くさいという表情を隠しもしない。こんなあけすけな子供から香るのは柚子湯の残滓くらいがちょうどいい。そんなことは誰よりもわかっている。
「みかんも柚子もありがたく頂戴する」
「はじめっからそう言えよ」
厄介ごとが過ぎ去ったとばかりにけろりとして、またな、と手を振る子供から自分と同じ香りがするのはもう少し後でいい。そうする意味も、そうしたいと思う気持ちも、その時に教えてやるのだ。
2023/12/28
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