春、校門を越えるまで
放課後の廊下でセンセ、と呼び止めた声は可愛らしく装われたもので、いつもなら着ていないカーディガン――それも二回り近くサイズの大きい――の袖をわざとダボつかせたのに合わせたのだろう。整った顔立ちで少しばかり小柄な子供がそんなことをしたら、普段の態度や仕草を知らなければ、きっと騙されてしまう。
「……何してんだ」
「応援団の後輩が寒そうだから着て下さい! って」
「山田一郎のじゃなくてか」
「そんなん獄が妬くだろ」
愚行は犯さぬとばかりにさらりと流された。カーディガンの持ち主がクラスメイトでも応援団の同級生でもないのに、後輩からの好意は無碍に出来ない――しろというのか?――という静かな圧を感じる。
「ま、萌え袖とかなんとか言って一郎が興奮してたけどな」
ヒャハ、と笑いながらオーバーサイズのカーディガンをぷらぷらとさせる子供が、細めた目をこちらへ流した。愚は犯さぬが、火に油は注ぐ――上がって戻らぬ口角を隠すように袖口で口元を覆う。
「あと彼シャツ、とかな」
隠したところで楽しそうに微笑む目が何よりも雄弁だ。この子供は学校では『先生と生徒』以上のことは絶対にしないと決めて誓い合った俺を挑発している。
「ったく……ガキとオタクはそういうのが好きだな」
「違ェねぇわ」
思った反応が得られなかったからか一瞬だけつまらなそうな顔をしたものの、すぐに持て余した袖を捲り出した。肘あたりまで上げてポケットへと手を突っ込む。ほとんどいつもと同じだ。いつもと同じ――
「カーディガン着るより先にやることあんだろ」
「やること?」
野生動物じみた子供は体力気力が有り余るのか、周りが長袖だろうが構わず袖は捲るし、胸元を開けている。カーディガンを羽織ってなお第二ボタンまでばっくりと開放されたそこは、インナーを着ていないからすぐに白い肌が覗く。鍛えられた筋肉でうっすらと隆起する様、それが汗で濡れ、ほてって熱を帯びる様は、学校で一、二を争う凶暴さだからこそ無事なのだ。
「ここ、開いてんだろ」
無性にイライラとして、頭にはてなを浮かべたままの子供の胸元を指の腹でつい、となぞる。下から上に、少し強く、むち、とした胸筋に指を沈めるようにすれば、どくんっ、と跳ねる心音が指先に響いた。
「今のセクハラだろっ!」
「セクハラだぁ? ただの『生徒指導』だよ」
「触ったじゃねえかっ」
「人聞きが悪い事言うんじゃねえ。どこを指摘されたかわかってないから教えてやったんだろ」
子供は不満そうにするが大半の生徒は帰宅、もしくは部活か委員会かで校内に人気はない。セクハラだと訴えても目撃者はおらず録音・写真・動画だのの証拠もないはずだ。仮に生徒指導と言って胸を触られたとどこぞへ駆け込んでも、この子供が性的な意味合いを含む言動で俺をからかう常習犯なのは一部では有名だから『またか』である。
「……しっかり胸の谷間なぞったクセに」
「なんか言ったか」
「ムッツリスケベの淫行先生なんて言ってねぇよ」
「谷間とか言うならもっとデカくしな」
「今のはマジでサイッテーのセクハラだろ!!」
「バァカ、『生徒指導』だよ」
学校にいる限り、お前が子供で、俺の生徒でいる限りは――という言葉を飲み込むと、がなる子供を置いて背を向ける。そう遠くない卒業式、学び舎でするにははばかられる想像が頭の中を渦巻いていた。
2024/1/14
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