前倒しハニームーン

「モテモテじゃねえの、アマグニセンセ♡」
「欲しくてもらったんじゃねえよ……」
 夕日で染まる教科準備室にがらりと音を立てて闖入者が現れた。にやにやと楽しそうな視線の先には簡単で失敗しにくいチョコレート菓子を何品か作るという、もはや調理実習の皮を被った製菓会社の回し者のような産物が紙袋一杯につまっている。もう一方には一見してブランド品とわかるものからコンビニで買えるものまで、多彩な既製品の菓子がつまっていて、羨ましがられる反面憂鬱だ。
 なにせ暫定とはいえ恋人であるはずの子供が「お前のためだけに用意された菓子なら、お前だけで食わなきゃダメだろ」と、妬きもせずに言う。以前――子供が中学生の頃――にとても食い切れない、悪くなる前に捨てようかとぼやいたら、烈火の如く叱られたのだ。
 他人の好意を無碍に出来ない、頼られたり頼まれたら断れない、そういうところは好ましく思うが、諾々と受け取って捨てるならば断る方が誠意がある。中途半端で放り出すのは優しさではない、と。
 自らも校内外問わずあらゆる意図の込められたチョコレートを、それもこちらよりも数も量も多く貰いながら完食せしめる子供のぴしゃりとした一喝はよく効いた。今回だけだと家に押しかけ、積み上がったチョコレートをばりばりと貪り片付ける姿は後光がさして見えたものだ。
 その一件からバレンタインデーは貰ったチョコを二人で一緒に食べる日になった。理由は『獄が人の気持ちと食い物をポイ捨てしないか監視するため』だ、そうだ。
「拙僧宛のは煎餅とかポテチとかあるからわけてやるよ」
 振られた手にはぱんぱんに中身の詰まったエコバッグが数個ぶら下がっていて、飛び出した一部にスナック菓子の姿が覗いた。学校はもとより地元の寺の子として地域から可愛がられている子供が、気持ちは嬉しいけど甘いのだけだと飽きんだよな、とこぼした言葉が口伝された結果だ。最近では若干しょっぱいものの方が多いらしい。
「ありがたくつまませて貰うが――人にあんなこと言っといて……」
「あんなことぉ? ……あぁ、ありゃ獄が仏罰モンのたわけたこと言ったからだろ。ちゃあんと気持ちと菓子を受け止めたら、ちょっとくらいはいーんだよ」
「適当言いやがって……」
「貰っといて捨てるよりマシだっつーの」
 とっとと車出せよ、といっぱいいっぱいのはずの手で器用に二つの紙袋を掴むと、子供が出口へと歩き出した。両手いっぱいに自分と俺――暫定とはいえ恋人――への好意を抱え、顔色一つ変えない。むしろ嬉しそうにすらする。そしてあれだけ好きだと言い募り、ほとんど無理矢理に『恋人』の座におさまったくせに、このイベントにはまるでのらない。
 獄、と急かす声に部屋を出て鍵を閉める。先に駐車場に向かった子供と別れ、鍵を職員室に戻し、簡単な挨拶をしてようやく靴を履き替えた。早く行かねば子供がうるさい、そう思うのに、何かと手が止まる。
 もう一月もなく子供は暫定ではない恋人になる……かもしれない。この仮定が無駄な足掻きなのはわかっている。ただ、自ら設定したゴールが近づくほどに感じるのだ。子供は、空却は、俺のことを本当に好きなのか――と。

 遅いと責めるせっかちな子供を乗せ、たわいもない話をしながら車を飛ばせばすぐに家に着いてしまった。ダイニングに荷物を置き、勝手知ったる我が家のように迷いなくキッチンへと歩みを進める。少しくたびれたスリッパがぱたぱたと足音を響かせた。
 一度教えただけですぐにコーヒーの淹れ方を覚えた子供は、自分用の日本茶の用意も並行して出来るほど家事に手慣れていて、たまさかに食事を作ってくれたりもする。やかんの方が美味い気がする、とわざわざコンロにかけた湯が沸くまでに菓子を並べはじめた。
「空却……でかいハートのせんべい何枚貰ったんだよ」
「四葉のクローバーが二、三個出来んな」
 校内外――地域一帯でみんなの空ちゃんとして幼少期より確固たる地位を築き上げている子供は、いわゆる本命というものよりは孫なりアイドルなりというポジションでの贈り物が大半を占める。もっとも中学時代から『心に決めた相手がいる』と公言して憚らぬせいもあるだろう。
 一度決めたら、特に自分の心に深く関わることならば決して曲げない子供は、告白され、一度だけ、思い出に、と縋られても情に流されない。難攻不落の城の攻略は諦められて久しく、かつての挑戦者達はなぜかこぞって子供の恋を応援している。自分達の叶わぬ思いの分までというやつだろうか。
 俺だったらそんな風にはなれない。表向きは取り繕えても、こんなイベントでジョークグッズめいた菓子なんて渡して励ますなど出来やしない。自分が惚れた相手が、自分以外の誰かに惚れて、自分に見せない表情をするところなんて絶対に嫌だ。見たくない。
「あ、沸いた!」
 耳をすませばシュンシュンと音を立てる気配がしたが、子供が言わなければとても気づけなかった。野生児めいた子供の耳がいいのか、俺が考え事をしていたからか。あるいはその両方か。キッチンから届く淹れたての香りを座して待つのは、すっかり当たり前になってしまっていた。

「……なんで、チョコをよこさないんだよ」
「はぁ?」
 数年前、彼氏宛のチョコを仲良く撃滅するお供に出来ればしょっぱいお菓子が欲しいとねだってから、子か孫かと可愛がり、後輩か先輩かと甘やかす人々からの差し入れがチョコレートとは違う意味で茶色くなった。
 変なところで鈍い彼氏は、チョコは嫌いじゃないけどキツイよなと言いながら有り難がって煎餅やスナックをつまむ。いかにも本命めいた高級なチョコ――それもウィスキーへの愛好を隠さないからちらほらウィスキーボンボンも混じる――を贈ってくる相手ならば、それとなく言えば好物のハムだのに変えてくれるだろうに。
 気持ちと食べ物を無駄にするなと叱り飛ばしたのは本心だった。けれども監視の名目で共にバレンタインを過ごすようにしたのはそれだけではない。チョコを断りきれない彼氏のモテ具合を把握するためだ。
 いちおう『彼氏』としてふん捕まえたものの、まともな感性のまともな大人なのだ。子供を恋愛対象として見てしまった自分自身を許せず、この関係だって本当なら成人してからでないと受け入れ難いと思っている。だからせめて卒業までに外堀を埋め尽くしたい。『空ちゃんの彼氏』として浸透しきらせたい。
 今日のバレンタインデーだって冗談ではなくモテているのだ。担任だから、部活顧問だからなんて可愛らしい理由以外は本気を感じる。モテるのはかまわない。しち面倒くさい彼氏は強いクセの奥に、他人の痛みに寄り添える優しさと繊細さ、頼られたら断れない面倒見の良さと依存ではなく自律を促す温かな厳しさが潜んでいる。そんなのモテないわけがない。というかこれと見込んだ男が、周囲にも認められて嬉しくないわけがないだろう。
 あぁ、はやく、はやく三千世界でただ一人の最高の彼氏を、仮でも暫定でもなく正式な恋人として、大手をふって見せびらかしたい――そう思っているのに。
「いつも俺のこと好きだ好きだってうるさいのに、チョコはくれないよな」
「欲しかったのか?」
「欲しい、というか……」
「拙僧の愛をお疑いかぁ?」
「そうじゃない、……ただ気になっただけだ」
 目をそらしたまま、まだ熱いコーヒーを口に運ぶ彼氏は時折ひどく嘘が下手だ。こちとらずっと見て、接してきたからそれくらいはわかってしまう。一度懐に入れたら大事大事にしてくれる反面、自分のもの、という意識が強い。普段は暫定だ、仮だ、と口を酸っぱくするのに、わかりやすい愛の告白イベントにはのらないのに不安を抱く。
 バレンタインだからといつも以上に菓子をもらいまくるのだって本当は嫌なのだろう。こんなのは見知った子供への親しみ、芸達者な動物にやるご褒美、同じ釜の飯を食った者へのお裾分けでしかない。彼氏が貰うそれよりもずっと穏やかな情の具現化は、身の潔白を訴えるように甘さ控えめだ。
「妬いちゃってぇ……かぁわいいの、アマグニセンセ♡」
「妬いてねえよ」
「拙僧は仮でも恋人なんだぜ? バレンタインじゃなくたって、いつでもどこでも獄のことを好きだって、あいしてる、って……伝えてんのに」
 バレンタインだからと心を奮い立たせて告白しようとする者達と競おうだなんて出来ないと言えば、ぽかんとされた。ぱちくりとした目のかわいらしさ、少しだけ開いた口のいとけなさ、外では取り繕って滅多に見せない隙を真近で拝める立場にいる。たとえ仮で、暫定でも、一番近くを許されているのは誰でもない自分自身だ。
 もちろん仮だの暫定だので終わる気はない。なんだかんだと言いながらも好いてくれる彼氏は成人を待たず、卒業したら正式に恋人にしてくれるだろう。あと一月、そうすれば目の前の男の全てが手に入る。
「……俺が目移りするとは思わないのか?」
「拙僧にチョコのおねだりして言うことかぁ?」
 目移りなんてさせない。そのためにはチョコをあげないのが一番いいのだ。彼氏が俺はこんなに求められているぞ、俺はお前が貰っているのも嫌だぞ、と言いたくても言えないのは、自らが印籠のように掲げる『仮』と『暫定』という言葉が枷になっている。ズルくて悪いセンセイが小さな子供みたいに駄々をこねるのが愛おしい。
「本当の『恋人』になったらトラック一台分でもやるよ」
「今より多いわ」
「だろ。だから拙僧以外から貰うなよ」
 彼氏がどう思っていようと、仮でも暫定でもない恋人になるまでこの身の上は宙ぶらりんだ。仮でも恋人だと言ったとて、卒業式を迎えるまではバレンタインデーに乗じて告白する者とさして立場は変わらない。たった今でさえやっぱり子供は無理だとフラれたら、そういう約束だったなと家に帰るしかないのだ。
「拙僧から以外のチョコ、ぜーんぶ『恋人がいるからムリ』……って断れるなら、いっくらでもやる」
 軽口すら返さない。呆然としているような、考え事をしているような、むつかしい表情をしたまま時の止まってしまった彼氏を揺り起こそうと、言葉を連ねた。
 チョコくらいいくらでも貰えばいい。それくらいで浮気だとも思わない。お礼を考えたり配るのを手伝うのだってやぶさかではない。ただちょっとだけ、ズルくて悪い大人に意地悪をさせてほしい。
「拙僧からのチョコ、いらねーの?」
「……も……」
「ん?」
「……空却も、誰からも貰わないなら」
 いい加減うんでもすんでもいいから言ってほしくて急かすと、思ったよりもずっといい返事をされた。なんでもない風を装おうとしても端々から漂う喜色が隠せていない。誤魔化すように口に運ぶカップの中身がほとんど空っぽなのには気づかないフリをした。



 翌年のバレンタイン、家庭科の調理実習の成果すらも頑として断り、授業の課題の受け取りくらいはと取りなされるのも「恋人……婚約者以外からは貰わないと約束したので」と譲らない姿に逆に「信頼できる」「羨ましい」と余計に人気が出たとか出なかったとか。

2024/2/14


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