理性の融点、あるいは沸点

 これは悲報なのだが、梅雨が明ける前に夏が来て、恋人が棒状の食品を舐めしゃぶって食べるようになった。

 出先のコンビニでアイスを奢ってやったときのことだ。
 いつもなら豪快にばきぼきと食べるのに、ぺろりと先端をひと舐め、ちゅぽんとひと口分だけをすぼめたくちびるでしゃぶり。あとはもうちゅぱ、ちゅぽ、とちいさな口が特濃ミルクバー・スーパービッグサイズを一生懸命に咥え、こぼさぬように啜るのを眺めるしかなかった。
 また別の日、キッチンカーでフランクフルトを奢ってやったときのことだ。
 いつもならば八重歯をきらめかせて齧りつくのに、炙られてぱんぱんにふくれた表皮にくちびるを寄せ、あち、とつぶやいて離す。痛そうに舌を這わせていると、どこからか肉汁がしたたり落ちる。あわてて舐めとるも、透明な汁は指まで届いてしまったのか、ちゅ、と自身の指に吸いつくのを見ているしか出来なかった。

 どうした? なんて聞くことは出来ない。
 なぜなら聞いたら絶対に『そんなつもりなかった』と言われるに決まっている。
 さも自然な風を装っているが、以前の食べ方を知っている方からすれば悪質ないたずらだ。
 わざとらしく舌を出し、くちびるをとがらせ、鼻を鳴らし、声を上げる。
 明らかに全てがベッドの上で行われる秘め事を示唆しているのに、指摘出来ず、やめさせられない。
 だいたいどこのどいつだ。無責任に色気を垂れ流すだけ垂れ流して後始末をしないガキに悪知恵をつけさせたのは。

 そして今、デートと称したおつかいの巻き添えを食らい、道すがら買った濃縮オレンジバー・メガビッグサイズを食べるところを見せつけられようとしている。
 獄は? とレジに向かう際に声をかけられたが、俺はこれから自分との戦いが控えているのだ。
 意識的に眉間にシワを寄せてぐっと目を閉じて顔をしかめていると、さっそく恋人が袋から取り出したアイスを下から上へと舐め上げる。
 鮮やかなオレンジ色に負けない赤々とした舌がずどん、と胸に突き刺さり、全身へと回る毒に負けないよう腹に力を込めるが、攻撃の手は緩まない。
 さきっぽへのくちづけはもはや定番で、ちゅ、ちゅぱ、という水気を含んだリップ音は覿面に効く。
 くちづけ、あるいは愛撫を思わせるぷるんとしたくちびるを見ないよう、見ないようにしながらも、チラチラと視線が追ってしまう。
 この気温ではアイスなぞすぐに溶けるから、つぅ、と表面をなぞってオレンジ色の雫が落ちかけた。すかさず、一滴たりとも逃さぬとばかりに赤い舌先が屹立した濃縮オレンジバー・メガビッグサイズを下から上へと撫で上げる。
 焦った顔でぺろぺろとアイスを舐めとり、雫の落下を防いだあとは、ふたたびちゅ、とさきっぽへとくちづけた。ぎらぎらした日差しに耐えかねて、しかめた目にまつ毛が影を作るのがどこかで見た光景と重なる。
 記憶の中の絶景を奥底へと引っ込めようとするのを見抜いたように、ちゅぽん、ちゅ、ちゅぱぁ……とおおよそアイスを食べるときにすべきではない艶めいた音が鳴った。
 気だるげな目尻に熱が帯び、時折伏せ、もしくは完全に閉じられる。それでもくちもとはちゅうっ、ちゅ、ちゅぽぉん……とアイスをしゃぶるのをやめない。
 目の毒そのものの煽り――あるいは誘い――は食べ終わるまで続き、生きた心地がしなかった。



「全ッ然、効かねぇんだよなぁ」
「たぶん効いてるっすよ? この前『せめて外でやらせねえようにしないと……』ってブツブツ言ってたっす」

 寺での修行の休憩時間、一番弟子と煩悩まみれの作戦会議を開いている。
 最初はただの雑談だったのがだんだんと変わっていき、存外に繊細で面倒な恋人のことはわからんと弟子に相談すれば、嬉々として食いつかれた。
 恋バナ大好きっす! 獄さんと付き合いだしたのっていつ頃っすか? ある時期から獄さん、すごいお肌が綺麗になったんすよ……と畳み掛けられて少し怖くなったが、意外と頼もしい。
 付き合いはじめ肌を合わせた恋人は、『家族』のときの粗雑な扱いが嘘のように甘く優しい真綿でくるんで大事大事にしてくる。
 深く広い懐の中、とびきり甘やかすかわりに厳重な鍵付きの閨に囲われて、あれがしたい、これがしたいと迫っても、そんなことはさせられない、と断られてしまう。
 挙げ句の果てには、じゃあ俺が手本を見せるから、とするつもりのことをされてしまい、あれよあれよと何もかもが暴かれて、わけがわからぬ間に泣いて縋っても逃してもらえなくなること数回。
 いかにも眠たげなときを狙ったり、残業して疲れきったときを狙ったり――ともかく弱体化していそうなときに襲撃をしたにも関わらず、全て綺麗にいなされていた。
 弟子はさすが大人の男、かっこいい、と目を輝かせたが、こちらはそんなことは頼んじゃいない。
 それならその気にさせるしかないっす! と我がことのように燃える姿は生き生きとしていた。

 かくして『エッチな感じでアイスとか食べたら獄さんもついムラムラするかも作戦』は決行されたのだが。
 結果は最初のとおりだ。

「やっぱ食い方が汚ねえとしか思われてねぇんじゃねぇか?」
「そんなことないっす! 絶対! 獄さんドキドキしてたっす!」
「手ェ出されなきゃ意味ねーんだよ」

 いつになったら本命を咥えられるのか。
 はぁ、とため息をつきながら、薄く開いたくちびるを指でなぞる。
 アイスもソーセージもきゅうりも、満たされるのは胃袋ばかりで、だんだん切なくなってきた。
 自然にひとや、とつぶやいたくちびるを、カサつかせるだけとわかっていても舐めてしまう。

「……空却さん、その顔でお願いすれば大丈夫っす」
「ホントかぁ?」
「ホントっす! ただし、自分がその顔見たって絶対絶対絶ッ〜対! 獄さんに言わないでくださいっす!」
「お、おう……」

 いつにない剣幕の弟子に押されながら頷いた。
 はたして鬼が出るか蛇が出るか。
 待っているのは亀である。

2024/7/12


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