脱げない服の隠し方
さて夏である。
もはや生命を脅かすほど強い太陽光線と、それを決して潤すことのない湿気が全てのもののやる気を挫く季節。
空厳寺でも法事と観光で寺への訪問者が増えることを見越した対策と対応に忙しくしている。
そして過酷だからこそ、と燃えたぎり、挑みたがり、飛び出していく後継者(予定)を止めるのにも。
生命には変えられぬ、と寺の各所に設置されたエアコンは、暑さ寒さは耐えるものという頑固な人間――主に年配の檀家――の説得におおいに役立っている。
今も客間を冷やしている文明の利器は『仕事相手』でも『知己』としてでもなく『恋人の父親』として連絡を寄越された動揺で汗だくの男にはいささか強烈に効いた。
男が頭を下げ、言葉を尽くし、交際するにあたっての契約書を用意し、めんどくせぇな愛してるからそれでいいだろという恋人を叱り、こんなバカ息子でいいのかと呆然とする住職に本気を訴えたのは記憶に新しい。
男にとって息子の恋人として話されるのは、仕事や長い付き合いの者としての話題の最後に添えられる程度だった。これまでの関係性は変わらないし、急に義父親ぶるのも義息子ぶるのもおかしな話だ。大きな問題もなく、次に席をもうけて話すのは婚約、あるいは結婚だろう、と思っていた、のに。
向かい合った男の尋常ではない汗とあまりよくない顔色に、男の義父で住職は慌てて取りなした。
息子によくしてくれている君だからこそと本心からの言葉を告げて、ようやく落ち着いた男に住職も胸を撫で下ろす。
しかしこれからする話は住職の息子にはない繊細さを持つ男の具合をさらに悪くするようなもので、撫で下ろした胸が痛む。痛むが話さなくてはならない。息子のため、というよりは、義息子になる男のために。
「大変申し訳ないのだけれども獄くん。愚息のために協力をしてもらえないだろうか」
くり返すが夏である。
突き刺さる日差し。熱気と湿気が混ざり合い蒸し焼きにされるような外気。
寺につとめる者は、実際に死人が出ている酷暑に刺激され、ろくな用意もせずに山に行こうとする後継者(予定)を止めるだけでいいと思っていた。実際、住職や兄弟弟子達からの説得に折れてくれたから、これで安心だと誰もが思っていたのだ。ところがそれだけで終わらなかった。
エアコンや扇風機はあれど、もとより子供か獣のように体温の高い後継者(予定)は、生まれ持った皮膚以外の全てを脱ぎ捨てようとする。それはいい、否、よかった。
これまではよかったことがよくなくなるには理由がある。何かが変わってしまったのだ。そして変化の理由であると目された男が呼ばれた。
「……その、言いにくいのだけれども……」
服をきちんと着るように言い聞かせてほしい。
未来の義父からの言葉は、まもなく二十歳になる息子の恋人へとしてはあまりにも幼いもので、構えていた男はぽかんとしてしまった。
しかし恋人の稚気あふれる性質をよく知っている男はすぐに本気なのだと理解する。
真剣な眼差しだけではない。真面目な義父が愛息子の関わることで冗談など言うわけがないのだ。
けれども男にも疑問が生じる。
恋人の着衣の乱れは常のことなのだ。今でさえ子供のように暴れ回っては脱ぎ散らかしているのなら、真に幼かったころなど言うまでもない。今も昔も言って聞くような性質ではない。
だからこそいつどこで肌をさらしてもいいように、そういった痕跡は一切残らぬようにしてきたのだ。
もしや気づかぬ間に脱がせないように言い含めなければならないようなことをしでかしてしまったのか。
再び、ど、とあふれた汗がエアコンで冷えてふるえるほど焦っても、思い当たるふしがない。
親しさから隠し損ねた本心を義父も察したのだろう。恋人と同じに相手の目をまっすぐに見る人が珍しく視線をそらしながら、ひそめた声で言葉を続ける。
「……空却が、目に毒だ、と……」
若、坊、空、と本当の弟のように可愛がってきた兄弟弟子は、あの小さかった子が……と複雑な心境ではあるものの惚れた男と幸せならば……と目をつむってきたらしい。表情、仕草、性格も以前よりも荒々しさが落ち着き、やわらかな寛容さが際立ってきたと変化を喜んでもいた、と。
ところがある時期からそこに艶めいた色気が混ざるようになり、同世代くらいの兄弟弟子が音を上げた。
地元に恋人を残してきた者もいれば、いずれは自分もという者もいる。修行僧といえども人間で、寺でおつとめするだけで簡単に煩悩が絶てるならば、とっくに全ての人間が覚者となっている。
元より整った顔立ちの後継者(予定)だったが、天上の蓮のごときかんばせを裏切る苛烈さが目を覚まさせていた。それが多少なりとも軟化するところまでは皆歓迎していたのだ。無茶苦茶な行動は日常であり名物である反面、うんざりすることもあったからだ。
だがアレはよくない。
同じように日に当たってもまるで焼けない白磁の肌が桃の果肉のように美味そうに甘く匂い立ち、鍛錬の成果を物語る無骨な肉体がやわくまろやかな雰囲気を纏う。そのくせ情痕の欠片も残らぬよう丁寧に慎重に愛された肢体が、手の触れられる距離へと無造作に晒される。
住職である父親や年上の兄弟弟子は受け流すことの出来たそれは、まだ年若い者達には受け止めきれなかった。
自らの思い人が恋しくなるだけならばいざしらず、後継者(予定)の兄弟弟子にあらぬ下心を抱いてしまう。公然の秘密である恋人との仲睦まじい姿も頭をちらつき、まだ欲を断ち切れない若輩者の頭の中はすっかり悶々と悩むことになってしまった。
本人には言い難いそれは、互いの関係を考えてもたしかに恋人である男の役割であろう。
住職としても父親としても『お前と付き合いだした息子の色気で修行に差し障りがある』などとは言い難かったとは思うが、息子に直接言うよりは――正解はわからない。
ただ一番効果的でおさまりがいいのは男が恋人を説き伏せることなのは事実だった。
お手間をとらせてしまい申し訳ない、と義息子として何に対してか曖昧な謝罪をして、仕事のときにするような笑顔を浮かべた。
あからさまに動揺した方が可愛げがあるかと迷ったが、この取り繕いとて親しくなった今ではしない顔だ。意図はきっと伝わっている。
男が和やかに穏やかならぬ対話を終えた帰り、打ち水をしていたという恋人と兄弟弟子が歩いているのにかちあった。
獄! と喜色満面に叫ぶ恋人に対し、年若い兄弟弟子はいささか居心地が悪そうにしている。
可愛らしく笑う恋人の顔ばかり見ていたのを反省した男が、つ、と視線を下げたあと、ぐ、と息を詰めた。
いつも恋人が着ている作務衣が通気性を重視して大きめに開いている。そのわずかに広がった隙間。真っ白な肌はいまさらとして、ちらちらと覗く薄紅色の尖りが汗に濡れてテカり、ぷくん、と膨れていた。
衝撃と痛感に名前を呼ばれても返事をしないでいると、怪訝そうに首を傾げる恋人が前のめりになる。当然、ぷる、と尖ったさきっぽも前に突き出されてしまった。
これはたしかに辛い。
恋人に対する欲目かもしれない、と一縷の望みをかけて兄弟弟子の方を見るも、後生だから、と言う目を返された。
「獄?」
さて、夏。
あまりの暑さに頭のうだった男が恋人を抱きしめて攫う季節。
目をまんまるくしたまま抱え込まれた恋人は、戻ってからしばらくはひどくしとやかだったという。
2024/7/20
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