丑三つ時なら朝日は拝めず
中学の先輩の波羅夷空却という人はおっかない見た目だけど地元の有名な寺の息子で、たまに会うと持っていた菓子をくれと言われたり、漫画を貸してくれだとか言われたことがあった。
その分のお返しはちゃんとあって、ばあちゃんがくれるみたいなお菓子をよくポケットから出してくれた。なんでかものすごく変な味のガムを貰って、どこの何かを聞いても教えてもらえなかったことがある。
特に連絡先も知らなければ、特別仲が良くもない。中学時代のほんの一瞬の付き合いだった。
だから飲み屋の客寄せバイトをしている最中に遭遇したのに驚いたし、まるで変わらない顔で笑って店に入り、外で客引きしてるヤツと飲みてぇ、と無茶苦茶を言ったのに驚いたし、それを通させたのに一番驚いた。
空厳寺さんの子と知り合いなの? あの子、ビルのオーナーの知り合いなんだよ。今日もう上がって、一緒に飲んでいいよ。ていうかそうして。
――なんでも不幸が重なったオーナーが神頼みに空厳寺にお参りに行ったら、天啓を授けられたらしい。どうしてオーナーとか経営者って神頼みをするんだ。
ともかくオーナーの意向で空厳寺関係者には失礼のないように、とのことらしい。時給を上げて欲しいという要望は通らなかった。あくまで空厳寺関係者をもてなすための特例措置での早退らしい。
飲み屋でバイトしてるけど時給がいいからで酒は飲めないと言えば、拙僧も飲めない、と笑ってコーラを啜られた。紙ストローじゃないのがいいな、と先端を噛み潰すと、すぐ息を吹いてぶくぶく、と泡立てる。唐揚げポテトセットをひょいひょいと摘み、食わねぇの? と首を傾げられた。
遠慮するなと皿を寄せられて、ポテトを摘んでコーラで飲み下す。わき上がるげっぷをおさえながら、なんで、とつい言ってしまった。
「顔色が悪ィヤツがいんなーって思ったら知ってるヤツだったから」
もっと食えよと無理矢理唐揚げを口元へと押しつけられる。まだ熱いからくちびるに当たると痛い。痛いと言ってもじゃあ余計に口に入れるしかねーだろ、と全然ひいてくれない。そうだ、こういう人だ。
困っているとふらりと現れて、解決したらふらりと消える。ものすごく変な味のガムをくれたときだって、不良に絡まれたのを助けてもらった後だった。あまりの不味さですっかり忘れていた記憶だ。
ありがとうございます、と頭を下げると、押しつけられた唐揚げにかぶりつき、そのまま二個目へと手を伸ばす。ぶっちゃければここ最近まともな飯を食えていない。あらためて遠慮なくいただきます、と箸をかまえ直せば、嬉しそうに拙僧の奢りだ、と笑った。
その後はずっと話を聞いてもらった。
進学してバイトをはじめたものの両立が難しいこと。バイトは夜遅く学校は朝早く寝不足なこと。でもそうしないと生活が厳しいこと。自分で決めたことだけど辛くて吐き出す。もっと大変な人もいるのに、と箸を止めると、辛さを他人と比べるんじゃねぇ、と取ろうとしていただし巻き卵を奪われた。
「お前の辛さ、苦しみと痛みはお前だけのモンで、他人の辛さは他人のモンだ。だから勝ち負け決めんのは自分にも他人にも失礼だからやめろ。わかった風してカワイソウって言われたら嫌だろ?
拙僧はショーガクキンヘンサイとかは協力してやれねぇけど、こーやって話聞いたり、お前にひでぇことしたヤツがいたら殴ってやれる。あ、ベンゴシが必要なら紹介してやる」
もしゃもしゃと奪っただし巻き卵を食べながらホーテキソチってヤツできんぞ! と楽しそうに叫ぶ。
ビルのオーナーがこの人にハマったのがわかる。だって今、自分がハマろうとしている。
泣きそうなのをこらえて、だし巻きもう一回頼んでいいですか、と言えば、もう頼んだと得意気にされた。
連絡先を交換して、レジに向かう。
割り勘にします、と言っても年下に払わせるにはいかない、と譲ってくれない。
二つしか変わらないからほとんど同い年だと財布を開けると、急に間を割くように男が一人割り込んできた。
「じゃあ、この場で一番歳上の俺が払うのに異論はないな?」
静かな圧を感じる低い声に、誰だ、という疑問を隠せずにいると、獄! と隣で驚いた声が上がる。
知り合いですか、と聞く前に、さっき言った紹介できる弁護士! と見るからに高そうな男のジャケットをばしばし叩く。
どういう関係だと顔に出ていたのか、弁護士だという男に名刺を差し出される。よく広告で見る名前にああ! と言えば、この馬鹿とはDRBに同じチームで参加していると付け加えられた。
先輩は中学の頃、いじめ被害者を助けて事件になっていた。無罪になったと聞いたけれど、この弁護士がいじめという名の犯罪絡みなら無償で引き受けるという話は有名だ。
なんとなく繋がりを察しているうちに、男がトレイに置いた真っ黒いカードで支払いが済まされてしまった。
意固地になっても仕方ない。ご馳走様です、と頭を下げれば、若者への先行投資だとサラッと流された。
ところが拙僧だって払えた、と不満そうにする先輩に向き直ると、寺脱走して今まで連絡つかねぇから迎えに来たんだろ! とレジ前で叱り出した。
どうにか移動して店の外に出ると、この馬鹿が迷惑をかけた、と先輩の首根っこを掴んで謝られる。近くに停めた車で一緒に帰るらしい。
迷惑どころか助かりました、と、これ以上怒られないように言うと、はあ、と男が深いため息をつく。ぼそりとつぶやいた言葉は聞こえなかったけれど、君みたいな良い後輩はこいつにゃ勿体ない、と暴れる先輩を連れて帰っていった。
「なんで来んだよ」
「そちらにいますかって灼空さんから連絡来たんだよ」
「会計はしなくてよかったろ」
「金なくなったら俺にたかるだろうが……」
「獄みてぇに奢ってみたかったんだよ」
「百年早えんだよガキ」
車内に広がるいかにも居酒屋めいた臭いに酒が混じっていないことに一安心したものの、肝はまだ冷えている。
自然に人をたらしこむ恋人が有象無象に慕われるのは諦めた。
だからせめて、それに恋が混じらぬよう努めるしかない。
あの後輩が良い子のままでいてくれるよう刺した小さな小さな釘が、どうか仕事をしてくれますように。
2024/9/1
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