だけどダーリン

 おかえり、と言う声は心なし上ずっているようだった。

「ただいま」

 返事をしたものの、そのまま会話が途切れる。
 玄関まで出迎えには来てくれたが、依然として距離は遠い。
 寺でもなく、十四や家族といった第三者の気配がないせいか、どことなくたどたどしい。
 大丈夫、直接聞け、と恋人の一番弟子は自信満々だったが、このなんとも言えない距離感にやはり不安になる。
 リビングについてソファに腰掛けても、隣には座らない。ローテーブルを挟んだ向こう側にぺたんとあぐらをかいている。視線もどこかチラチラとせわしなく動いて落ち着かない。
 十四、やっぱダメじゃないか……?しかし頭の中の十四はファイトっす!とポジティブなエールしか送ってくれない。
 もうわからん。わからんし後ろめたさに耐えきれなくなってきた。あれだけ安全安心を謳ってきたのに、酒の勢いで飛び出した本音のしょうもなさ。タチの悪い食品偽造と同じだ。

「すまん!」
「へ?」

 ソファから降りて空却に目線を合わせ、頭を下げる。
 距離をつめて怖がられたくなくて、ローテーブルは挟んだまま。土下座ではなくあぐらだが、真意もわからず土下座も不誠実だろう。
 しかし反応が思ったのと違う。いや、十四は大丈夫と言っていたんだが、信じてなかったわけではないが、それにしても何で謝ってんだ?という疑問符が見えるような声だ。
 一体全体どういうことかとそろりと頭を上げると、恋人は気恥ずかしそうに頬を染めていた。



『俺なら出会ったその日になにがなんでも手籠めにする』

 一瞬だけ邂逅した、しらない大人の男の顔をした恋人。
 常にない乱暴さをどう思ったかといえば、嬉しくなってしまったのだ。
 何度好きだと誘っても一切なびかず、やれ子供だガキだバカだと十八まで無体を働かなかった恋人が、子供に手を出すなんてクズだゴミだ最低最悪だと吐き捨てた恋人が、中学生の自分に欲情していたなんて。
 世間様ではアウトでも、しつこくアタックしてきた身の上にはちゃんと効いていたんだという喜びもあるし、隙だらけの据え膳をけして食わなかった心ばえへの感心もある。
 獄の恐れもわかるのだ。子供の恋慕がいかに本気だとしても、大人の求めるそれとイコールにはならないことも。空却がやっぱり違いました、なんてなったとき、天秤は獄だけを裁く。
 それだけに、もどかしかった態度も時間も、ただ乞うばかりだった自分に獄がしてくれた全てが、今までよりもっと愛おしい。好きで、好きで、たまらない。

 だが、同時に怖くもあったのだ。
 獄は絶対にひどいことをしない。好きで、かわいくて、大切だからと大事に大事にされてきた。ねちねちと抱かれていやらしい身体にはなったが、痛くなったり傷つけたりなんてされないし、ひどく貶めるような言葉を言われたりもしない。
 綿菓子で包むように甘やかされた空却に、手籠めにする、はなかなか衝撃的だった。
 自分を求める激しさや荒々しさが嫌なわけではない。むしろなんとか口説き落とした相手が、夢中になって自分に食らいつくのにぞくぞくとしてしまう。
 けれどもし、もっと、もっと上があったら?
 優しく大事にされている今でも、どろどろにとろけて理性も記憶も曖昧になってしまうのに?
 なんて思ったら怖くなってしまったのだ。
 すっかり対等になったとは思っていなかったが、少しはつり合うようになったと思っていたのに、あの晩に胸の鼓動ごと跳ね飛ばされたようだった。
 途方もなく甘やかされている自分が、まだまだ子供なのだと思い知らされる。

 一番怖かったのは、そんな獄に抱かれたらどうなってしまうのかと、身体がみだらにうずいてしまったことだ。
 中学なんて何もかも持て余す時期に今より乱暴に抱かれていたら、東京なんてとてもいけなかった。
 好きだと、俺のものだと刷り込むように、感じるなんて思わなかった場所をそこだけで達するくらい拓かれて、自分の指では届かない身体のずっと奥をいじめられ、言葉も呼吸も奪うようにくちづけられたりしたら、離れられるわけがない。

 そうして微妙な距離感は生まれた。
 好きで、怖くて、みだらで、全部混じってめちゃくちゃになった空却が、触れたくて、触れられたくなくて、触れられたくて。



「だから獄が謝ることはねえんだが」
「俺が怖がらせたくなかったのわかるか?」
「わかるけど、でも、嬉しかった方がデカイし」

 ああこのクソガキ。またバカなことを言って。
 そういうところがガキなのだ。
 怖いと言うくせに据え膳に乗って、好きだ好きだと鳴くなんて。それこそ大事にかわいがって甘やかすしかできない。
 気づいたらローテーブルを越えて、すぐそばにいた。
 近くにくるだけですぐわかる、生命そのもののような体温を感じるのはずいぶん久しぶりだ。

「勝手にどっかいくなよ」
「どこにも行ってねえだろ」

 望むなら指一本触れないし、全身くまなく犯してやる。
 もうとっくに手放してなんてやれないのだから。

2021/02/21


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