キッドナップ・イン・ニルヴァーナ

 ほんの短い期間のことで、幼い子供の身の上にはあまりにも不憫で、なにより五百年続くお寺さんが口を噤むものでー



「空却さん、誘拐されたことあるんすか?!」
「すんげえガキんときな」
「どうせ食いもんにでも釣られたんだろ」

 三人寄れば文殊の知恵と言うが、実際のところ馬鹿は何人寄っても馬鹿なので、火に油、朱に交われば赤くなる、馬鹿は馬鹿を加速させて、酒も入っていないのに大盛り上がりする。
 今日も十四が寺で修行しているところに獄がやってきて、なんやかんやと差し入れだの手土産だのをくれた。となれば修行なんぞやっていられないのである。
 ここまではよくある光景で、騒ぎを聞きつけた灼空ー空却の父ーが叱り飛ばしにあらわれる。今回もそうなるだろうとあからさまにあわてる十四と、ある種の諦観と呆れを隠しもしない獄がため息をついた。
 しかし意外な出来事が起こる。ぴしゃんと襖を開いて現れた父親が、来客をもてなさないのは礼節に欠くだろなどと思ってもないことを言ってサボろうとする空却を、なぜだか比較的アッサリと許したのだ。
 空却自身もついに耄碌したかなどと失礼なことを言いながら、何かがひっかかったように首を傾げる。
 まあいいか、と首を正面に直したときに、夕方のチャイムが鳴った。子供の頃から変わらぬ聞きなれたメロディ。ふと窓を見れば、赤紫色の空が広がっていた。

「あ」

 そうして話は冒頭に戻る。

「ほとんど記憶ねえけど、なんか知らない人に世話されてたんだよ。飯食って寝るだけみたいな。だから保護されたあとの病院でも怪我もないし健康ってすーぐ追い出されて」
「良かったっすね……」
「だろ。だから誘拐されたって言われてもピンと来ねえし。ニュースにもなってねえからな」
「ですよねえ、こんな立派なお寺の息子さんがーなんて、めちゃくちゃ取り上げられそうなのに」
「馬ァ鹿、ニュースとかになんのは見つからないからだろ。聞く限りじゃあすぐ見つかったんだろうし……むしろ勝手にお前が出歩いてるのを保護してもらったんじゃねえのか?」
「それは拙僧も考えたわ。でもそんならお世話になったからってお礼させられんだよ、絶対。あと一個だけ覚えてんだけど、その誘拐されたって日、ウチの庭で遊んでたら夕方のチャイムが鳴って、空を見上げたらすげえ赤紫色で、そんで急に話しかけられたんだよ。救けてくださいって」
「た、すけてってえぇーーー!?」
「はあ?お前幾つだったよ」
「小学校前だから、四つか五つか?」
「え、え、話しかけてきたのって……」
「知らねえおっさんだよ。着物着て、ニコニコした」
「……そのあとは?」
「いつも親父に口を酸っぱくして言われてたからな、困っている人のたすけになりなさいって。素直で良い子だったからなあ、拙僧でよければって言ったんだよ。そしたらありがとう、これでわれらは救われるって手ぇひっぱられて、どこに行くのか聞いても大丈夫ですーしか言わねえし、わけわかんねえなって思ってたら妙な匂いがして……そっから先は覚えてねえんだよ」
「え、その、われら……?」
「われら、ねえ……」
「ちなみにこの誘拐、もっぱら"くうこうくん神隠し事件"として一部の檀家さんには有名」
「やっぱそういうオチっすかー!!」
「そんなことだろうと思ったよ……」

 なんとも寺っぽい、いかにもなオチに盛り上がっていたら、すっかり外は真っ暗になっていた。話し始めてからそう時間は経っていない。せいぜい十分、十五分。それでもこんなに暗くなる。
 いくら空却の髪が燃えるように赤くても、幼く小さな空却は簡単に闇に紛れてしまうだろう。そばに大人の男なんていたら怪しまれもしない。
 口にしないだけで今もずっと恐ろしいのだろう。一人息子を拐った日によく似た空の色が。だから一人にならないように小言だけで解放したのだ。

真実は、もっと怖いものだから。



 獄は空却と付き合う上で、空却にも秘密で話したこと、約束したことがある。
 ありきたりな親としての願い、寺を担う者としての頼み、そんなものの中にそれは含まれていた。

『約三日間、ごく少人数で構成されたカルト団体に誘拐されていた』
『救出時、体に一切の危害は加えられていなかったが意識障害を起こす薬物を微量ながら摂取していた』
『逮捕された団員はみな、幼い空却が救いの神子だという妄想に囚われていた』

 聞くだけでおぞましい事件を、本人は幸いにも覚えていない。幼かったこと、神子として丁重に扱われたこと、薬物の効果もあってだろう。
 そして事件は元より公開もされていなかったが、人の口に戸はたてられぬもの。ただ、あまりに痛ましいと檀家さんが箝口令を敷き、もっともらしい『神隠し』という噂話を流した。

 最後に、これは本当に身内しか知らないことです。と見せられた写真。
 白い、なんの変哲もない便箋に黒いボールペン。神経質そうな筆跡で書かれた文字は、神子をお迎えしたこと、素晴らしく聡明だということ、神子と共に彼らがみなで心中するということが書かれていた。
 指先がきん、と冷え、そのあとドッと汗が出た。助かってよかった、と心底思ったときに、あの子は、と重たそうに口を開いた。

「たまに神憑りめいたことになる子でした。今でこそそんなそぶりはないですが、小学校に上がるくらいまで……。保護された空却はとても落ち着いていました。放心しているのだろうと言われましたが、違います。前に教えてもいないことをそらんじたときと同じ顔をしていました。……そしてこう言ったのです」

『あの方達は、涅槃に辿り着かれたでしょうか?』

 最後までご一緒できなかったので、と困ったように微笑む顔は、本当に無垢なのに背が震えるほどおそろしくて、自分の子供ではないようで、ただただ抱きしめることしか出来なかったーそう語る声は当時を思い出してか歯の根が合わないようだった。
 どうかあの子をお願いします、と託されたのは、はたしてなんであろうか。
 恋人と、その秘密と、五百年続く寺の産んだー

2021/02/25


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