告別再演
冬と梅雨。急な寒気での冷えに、ええかっこしいの恋人がわずかに眉を顰める時がある。
自分も覚えがないわけではないからわかる。古傷が痛むのだ。
梅雨の雨と雲で冴えない空模様にヘアスタイルも決まらないとむっつりとする恋人は、髪なんぞよりよほど気にかけるべき点を放置する。
職業柄か面倒見の良さか、揉め事の絶えない男はうっかり刃傷沙汰で負った古傷を、傷口は塞がったから、と痛むまで放り出すのだ。
日常生活で不便はない、ただ痛むだけ、と言うものの、親しい者にはバレバレで、けれどもあまり突けば機嫌を損ねる。
そうして遠回しに言ってやってくれないか、と空却にお鉢が回ってくるのだ。
冬にも一回あった。その時にもおんなじことを言ってしてやったのに、尽くし甲斐のない恋人はまたむつかしい顔をしてばかりだという。
しとしとと雨が降るのを部屋で眺めるという重大なお勤めをしていたのに、可愛い弟子と恋人の部下から頼られたら否とは言えない。
父親も普段お世話になっているのだから、と部屋から追い出しにかかる。
手のかかることだ、と嘆息を吐いて家を出ると、雨は少しばかり強くなっていた。
「だぁから患部に油塗って揉めって言ってんだろ」
「面倒なんだよ……」
「てめぇのバイクだのギターだのは始終磨いたりなんだりしてんのにか」
「それとこれとは別物だろ。俺が手をかけてやったらやった分だけ育つんだ」
「傷跡も同じだっつーの!」
雨の中を歩いて押しかけた先、まだ十九時だというのに早々に風呂に入ったのか、髪を下ろし、嗅ぎ慣れたせっけんの匂いのする恋人に出迎えられた。
それならそれで都合がいい。体があたたまっていた方がマッサージは効果が上がる。
居間までたどり着くと有無を言わさず床に座らせ、ズボンをひん剥いた。冷たい、という悲鳴は無視して、うっすらと残る傷跡に照準を定めた。
父親から差し入れられた草木の匂いのする香油を手のひらに垂らし、いつだか切られた足の傷を優しく揉む。
また悲鳴を上げられたらたまったもんじゃないから、両手は火が着きそうなほど擦り合わせた。
引き攣れ、痺れ、痛むのをあやして宥めるように、揉むというよりも撫でてさする方が近いかもしれない。
部屋に広がる香りも最近の湿っぽさを吹き飛ばすような爽やかさがある。
山の空気を思い出しながら、早々に抵抗をやめた恋人の足を無心で揉んでいると、もういい、と声がかかった。
「もう大丈夫だ」
「なんだよ、もういいのか? ご希望なら全身やってやるが」
「全身……いや、いい」
「……今やらしいこと考えたろ」
「考えとらん」
どう考えても嘘くさい反応だったが見逃してやると、す、と離れてから大きく息を吐いて礼を言われた。
どこか決まり悪そうな様子に気にするな、と言っても歯切れが悪い。
あぁ、こいつはまた面倒くさいことを考えている——
「拙僧は獄の傷を奪ったりしねーよ」
ただ、辛そうにしていたらちょっと手を貸すくらいはしたいしさせてほしい。
本当に触れられたくないのなら絶対に触らない。
望むなら、望まなくとも、出来る限りのことはしてやりたい。
恋人で、家族なのだから。
手についた油を拭い、頬に手を当てて顔を引き寄せると、水をはらう犬みたいにして逃げられた。
「ンだよ」
「違う……っ! その、思ったより……悪くなかっただけだ」
「何が?」
「空却、お前、今さっきまで俺に何してた?」
「だぁいすきなカレシに、密着オイルマッサージ」
「わざといかがわしい言い方をするな」
「でもそうだろ」
こめかみを押さえながら、何度目かのため息をつく恋人はそう満更でもない顔をしている。
今ならイケると思ってくちびるを寄せると、今度はきちんと重なった。
2025/6/6
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