獅子身中の悪い虫

 着の身着のままに飛び出す恋人は、ときたまとんでもない有様で帰ってくる。
 それをため息をつきながら出迎えてやるのは『家族』であり『恋人』である俺の役割なのだが——

「獄さぁん! 空却さんが! 空却さんがしんぢゃうっすぅっ!!」
「うるっせぇなぁこんくらいで死なねーよ!!」
「何があったか知らないが落ち着け十四! お前の方が死にそうだぞ!」
「だって……見てくださいっす! 空却さんの……首!!」
 日が落ちても明るい夕方時分の事務所にクソガキその1が火事場の馬鹿力でクソガキその2を米俵のごとく担いで襲来した。
 梅雨なぞどこへやらの真夏日を余計に加速させるやかましさに辟易としながら、それでも『しんぢゃう』の一言がひっかかって注意する前に宥めてしまう。
 すっかり泣き癖のおさまりつつあった十四がすんすんと鼻を鳴らし、しゃっくりを起こすほどの事態とは何事か。
 その割に恋人——空却はいつもどおりのふてぶてしさで、十四にぎゃんぎゃんとがなりたてながら、どうにか脱出しようと悶え、足をばたつかせてその背を蹴っている。とても死にそうにはない。
 じたばたと暴れる元気もあれば、真っ赤になって十四を叱りつける気力も漲る空却より、メイクが崩れるのも厭わずに涙をこぼし、いて、いたい、と呻く十四の方がよほど儚く倒れそうに見えた。
「首だあ?」
「そうっす……! 見て下さいっす……」
「はぁー……めんどくせぇ……」
 散々暴れて疲れたのか言葉どおり面倒になったのか、大人しくなった空却は十四にされるがまま、首が見えるように頭を下げる。
 そうして晒された首元には、短い髪の襟足から滴り落ちた汗が逆再生のように戻っていくのをのん気に眺めるわけにはいかない光景が広がっていた。
 真っ白い——今は熱を帯びて赤く染まった肌一面に、ぽつぽつと赤い斑点が散っていたのだ。
 それも一つ二つではきかない。おびただしい量のそれは、肌の白さも相まって痛々しくもある。
 と、同時に——
「……なんだこの匂い」
「匂い?」
「痒み止めだよ」
「痒み止め?」
「見りゃわかんだろ! 虫刺されだよ!」
 曰く、着の身着のままの山籠りで虫共のいいドリンクバーにされたらしい。
 寺に戻るなり、あまりの見目の悪さに茶色いボトルに黄色のラベルでお馴染みの痒み止めを父親に塗りたくられているとげんなりした顔をするが、納得の状態である。
 十四の反応と、そのオーバーリアクションを除いて見ても、元々の色の白さのせいでゾッとする光景になっているのだ。
 恋人の欲目で言えば一つ二つくらいなら色気がある、と思うところではあるが、さすがに隙間なく埋め尽くされるとそんなことを思う気は失せる。
「とっくに手は打ってあっから、心配することはなんもねーんだよ」
「なら良かったっす……自分、すごいびっくりして……悪い病気なんじゃないかと思って……」
「ンなもんかかってたら修行中止して寝るっつの」
「それもそうっすね! 空却さん、病気にかかっても気づかなそうだから……焦っちゃったっす!」
 可愛い一番弟子の俵担ぎから解放された恋人が、いの一番にしたのは弟子を〆ることだったのだが、誠に仲が良くて何よりである。ギブと言われたら解放してやった方がいいとは思うが。
 しかしこいつ、自分より図体がデカい相手をのすのがうますぎる。十四が喧嘩慣れしていないにしても、流れるように死角をついて引き倒したぞ。
「あんまり暴れるなガキ共、埃がたつ」
「ひとやしゃん、ひどいっすぅ……」
「かわいそーだろ獄、十四泣いてんぞ」
「キャラメルクラッチやめてから言え暴力僧侶」
「ところで獄」
「なんだ……ってオイ、十四本当にオチてんじゃねえか!」
 安らかに、と言うと大変に語弊があるが、意識を失う間際にもキメ顔を作る根性に不退転を見た。
 ぶらん、と脱力した二回りは大きい身体を重てぇと言いながらもソファの上に転がすと、こちらへと向き直る。
 人一人の意識を易々と奪った後と思えぬ落ち着きで、今さっき思いつきましたとばかりに名前を呼ばれると、目も口も綺麗に弧を描いて細められた。
 嫌な予感とともに艶めくくちびるが開かれ、ひそめられた声で囁かれる。
「……拙僧の首、こんなにした虫に、妬かねーの?」
 首をひねって見せつける赤い斑点をなぞり、黒く塗られた爪と指先の白さで引き立てる。
 自ら触れた指の腹をくすぐったそうにしながら、お前のモノが他のヤツにマーキングされているぞ、と煽って微笑んだ。
「あのなあ……十四オトしてまで言うことじゃねえだろ……」
「獄のことだぁいすきな十四に、虫にまで妬きます〜なんて小っ恥ずかしいトコ、見られたくねーと思ったけど?」
「だからってなあ……」
「うだうだうるせぇよ。獄にも許してねぇキスマーク……虫なんぞに先越されて悔しくねぇの?」
「……二度と人前で服が脱げなくなりてえのか?」
 わざとらしく挑戦的な仕草をする恋人を、危険行為を叱る半分で睨みつければびくりと身体がふるえ、目がきゅ、と細められる。
 欲に塗れて濡れた目は、たしかにかわいい一番弟子には見せられないだろうし、俺も見せたくない。
「拙僧、今日の夜は空いてんぞ」
「……ったく、ならなんで十四オトすんだよ」
「ンなのわかんだろ。良い子に夜にお訪ねしようとしてたのに十四に無理矢理連れてこられたんだよ」
 だから予定を狂わせた原因を軽くオトして少し計画を前倒しにするくらいいいだろうと踏ん反り返る恋人は、おそらく、色々な準備をすませていたのだろう。
 ぐずぐずに熟れつつある身体と心をこらえるためとはいえ人の意識をオトすのは褒められないが、この有様を見せるのとどちらがいいのか。
「——とはいえお前の都合で十四に迷惑かけたんだから、意識が戻ったらちゃんと家まで送ってこい」
 恋人にタクシーチケットを渡すと渋々という態度を隠さずにポケットに捩じ込もうとするのを、待て、と引き止める。
 すでに手のひらの中でくしゃくしゃのチケットにため息をつきながら、おかんむりの恋人に追加のお使いを頼んだ。
「ンだよ」
「十四送ったら、そのまま俺の家に行け」
 そうしたらお望みどおりにしてやる、という言外の含みは正しく伝わったらしい。
 途端ににんまりと妖しい笑顔になった恋人が、チケットを綺麗に伸ばしはじめた。
「はじめっからそう言やいいんだよ」
「ならまともな誘い方をしろ」
 どう考えても恋人からの夜の誘いというには挑みかかるような、道場破りというか、喧嘩を売っているというか……。
 ご機嫌の恋人と反対に頭を抱えていると、巻き込まれたのか巻き込んだのか、これまた微妙なポジションの十四が目を覚ます。
 果たして恋人がどんな有様で家で待っているのか。答え合わせは数時間後。

2025/6/20


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