インスタント・アダルト

 出会ってから五度目の誕生日、二十歳になった空却から夜に二人きりで会いたい、とねだられた。
 寺で行われた誕生日会は実に盛大で、あの悪ガキが、空ちゃんが、と息子か孫のように可愛がっている御年配に囲まれ、その後を譲られた兄か姉、弟か妹のような老若男女からも祝福されていた。灼空さんのあまり甘やかさないで下さい、というたしなめから溢れる、隠しきれない喜びにも皆が気づいていた。
 十四を筆頭にDRBでの関係者——空却の言葉を借りればダチ——からのプレゼントやメッセージも届き、その時に少しだけ獄の知らない顔をして笑っていた。
 獄もしみじみ、あの無茶苦茶な中坊が、と共に過ごした年月を振り返った。
 幼さの抜けた輪郭はそれでもまだ出会った頃の面影を色濃く残し、身体は背丈の変わり映えはないものの体格はがっしりとしてきた。
 いとけなさは香れど十分に大人になった空却は、初めて会った時——よりも少しだけ経った時——からずっと同じ目で獄を見る。
 綺麗な金色の目に他の誰にも向けない甘さを詰め込んで、獄と目が合うたびに弾けて広がる。
 自分を外見だけで判断しない、自分の正しさを信じる心を尊重してくれた、獄からすれば大人として当たり前のことをしただけなのに、空却はえらく懐いた。
 ついには二人を繋いだ事件に片がついた後、信じられないほどかわいらしく微笑んだかと思えば、それからずうっと獄が好きだと言って憚らなくなった。
 一部では有名な話だ。あの不良坊主が不良弁護士に懸想した、と。誰が不良弁護士だと言いたいのをぐっとこらえ、俺とあのバカガキとは何もない、と言う仕事が追加されたのもその時だ。
 毛並みの良い獣がようやく毛並みの良い半獣半人ていどに成ったか、と、なぜか獄への労いとして供されたハムをつまみながら飲むビールはぬるくなっていたが、主役は自分ではない。しかし今日くらいは我慢しよう。なにせ誕生日だ。
 ハムがなくなり、可視化された空却の人間関係を肴に飲んでいると、獄、と囲みを抜け出してきた主役に声をかけられた。
 ほんのついさっきまで折り紙の王冠とメダルを飾られ、紙吹雪をかけられていた目は、それをする子供達と同じまっすぐな輝きをしていたのに、獄を視界におさめた途端に熟れすぎてやわくなった果実のようになってしまう。
 甘く香る、ぐずぐずにとけそうな金色は、お中元に貰った立派な黄桃を思い出させた。カタログで見たことはあっても実際に見るのとは違う。濃い桃色の皮を剥いた先にある太陽の輝きは、簡単に空却に繋がった。
 出会ってから五年経つのに、その間にも色々な出会いがあったろうに、まだ獄にだけそんな目をする。
「どうした主役。こんな端っこの席に来て」
「主役だから巡回に来てやったんだろ。ハム美味かったろ」
 あそこの兄ちゃんの店の自信作だよ、と指さされた先にいた男性が気づいて会釈をしてくれた。自然と頭を下げて返したが、こちらを見る目がなんとなくなまあたたかいのは気のせいとする。
「しかしお前が二十歳ねえ」
「ほっといても歳だけはとれちまうからなぁ」
「……お前は大丈夫だろ」
「当たり前だ。こんだけの家族とダチに祝われてガキのまんまでいられっかよ」
 空却の眼差しから放たれるむせかえるような甘い香りは、獄以外に意識が向くと霧散して、芯の強い、凛とした、生命の宿った宝石があるならば、という鋭さを纏う。
 そんな風に考えられること自体、十分に大人だ。自他をまっすぐにとらえて映す金の水面は、揺らがずに凪いでいる。
「だから、今日の夜。二人だけで会いたい」
 ひそめられた声は祝いの喧騒に紛れて周囲には伝わらない。主役不在でも盛り上がるのは宴会の常だ。とはいえあまり内緒話には適さない。そろそろ乱入されるだろう。
 またあとで、と返事を待たずに席を離れた空却の背中に、もう中学生ではないのだと当たり前のことを考えていた。

 昼からはじまった宴席は日暮に幕を下ろし、各々に主役不在の二次会や帰宅の途につく。十四も名残惜しいと言いながら途中で帰っていった。
 獄とて夜の約束がなければ十四とタクシーで帰るつもりだったのだが、結局またあとで、の機会が訪れないままタクシーだの運転代行だのの手配をして、まとめられたゴミを運び出していた。
 さすがお寺さんとその招待客と言うべきか、後片付けはてきぱきと行われ、何人かが酔い潰れた以外に大きなトラブルもなく、あっという間に見慣れた広間へと戻っていった。
 率先して動き回る主役が最後の来客を見送ったところをようやく捕まえて、声をかけた。
「で、どうする?」
「あぁー……もう七時か……いい、このまま拙僧が獄んちに行く」
「俺はかまわんが……」
「後始末はしたし、親父にも獄と話しがあるって言ってある」
 何の話をするつもりかはわからないが、察しはつく。灼空さんにもたびたび迷惑をおかけてして、と謝罪をされているのだ。
 すっかりがらんとした部屋の中を見渡すと、ちょうど以降の指示を出す灼空さんと目が合った。こちらの惑いを見透かす眼差しに隣に立つ空却を思い出す。
 遺伝子と魂の連なりを示す貫き射抜く金色は、どうぞと言うように目配せをして、す、と頭を下げた。
「言ったろ。行こうぜ」
 タクシーなら呼んである、とチケットをひらひらさせた空却が玄関へ向かうの着いていく。
 気持ちいつもよりも大人しい空却に、違和感とくすぐったさを感じながら、また背中を見ることになる。
 スカジャンを脱いだだけのいつもの作務衣とサルエルパンツの、いつもの見慣れた後ろ姿で、少しだけ下へと下ろす視線の先にはほとんど完成した大人の身体があった。
 見えている首や肩、腕、素肌に直接纏われた作務衣の上からでも、がっちりとした筋肉がついているのが見てとれる。
 肉体的にも法的にも、空却はもう子供ではない。
 そしてほんの数時間前まで獄を映していた目は、変わらぬ恋慕をたたえていた。
 そんな相手と夜、自宅に行く。
 何もする気はない、するような関係でもない。そもそも今どき自分に好意を寄せる相手と夜に自宅に訪ねてきたからといって『そう』なるなんて考えは間違っている。
 それでも、わざわざ獄の家でする話はきっと『そういう』話なのだろう。
 タクシーを待つ間の中身のない、内容を覚えもしない話をする空気は互いにそわそわとして落ち着かなかった。


 タクシーを降りてから、どちらの自宅かわからないくらいの自然さで玄関エントランスを進む。
 一緒に住んでいるようには見えないだろう。ただ頻繁に通っているから親しいとは思われている。
 けれどもそれは空却の望む親しさではない。
 ガチャ、と扉を開くと、嗅ぎ慣れた匂いがした。他人の家の中でも好きな人間の家の香りはどきまぎとしながらも心地良い。落ち着かないのに落ち着く、妙な感覚は未だに慣れない。
 手早くエアコンをつけ、何か飲み物でも、と台所へ向かう獄に、じゃあ居間にいる、と背を見送って席に着いた。空却が冷蔵庫に置き去りにしたコーラと、酔い覚ましかミネラルウォーターを注ぐ音がする。
 冬は湯から沸かすから時間がかかるが夏は早い。すぐに台所が戻った獄が、空却の前とちょうど向かい合う位置にグラスを置いて席に着く。
「待たせたな。……で、話ってなんだ?」
 何を話されるかだいたいわかっている顔をして、律儀に語尾に疑問符をつける。
 さて、どう口火を切ったらいいものか。
 置き去りにしたコーラが注がれたグラスを傾けると、気の抜けた甘い香りが鼻を抜けていく。
 最初に押しかけた時、獄の家には獄以外の人間の痕跡があった。
 空却の御眼鏡にかなう三千世界で一番良い男が、他の人間にとってもそうでないわけがない。二人の年齢差からしても当然だろう。むしろ今の今まで籍を入れた相手や内縁のパートナーがいない方が奇跡だと言っていい。
 だからそれからずっと、自分と十四以外の何者の痕跡もないことも気付いていた。
 このコーラ以外にも、獄の家には十四ともども残しているものが山ほどある。日本茶にこだわりがないと言うから茶葉と急須を置いたし、ゲーム機も数台持ち込んだ。十四はメイクボックスを置いていて、これは家用とは違うっす、と言っていたが獄宅用ってなんだよ。
 痕跡と言うには色気の欠片もないそれらは、子供の秘密基地作りと同じだ。
 空却が好意を示した瞬間から、獄は特定の相手がいない。おそらく東都へと行っていた間も。
 それは空却への好意ではなくて、空却と、話を聞く限り空却以上に十四に振り回されてのことだろう。
 元より多忙な男は長続きしないらしい。自宅に招かないていどの関係はあったようだけれども、それをたしなめたり責めたりする立場に空却はない。する気もないが。
 つまるところ空却の告げる好意を互いの年齢と立場を掲げて断り続け、周囲に身の潔白を訴え続けている男は、空却に盛りの花を無駄にされ続けている。
「拙僧、今日で二十歳になったろ」
「そうだな。おめでとさん」
「あんがとな。……んで、だからよ。獄を解放してやろうと思ってなぁ」
 上手に笑うつもりはハナからなかったが、どんな顔をしているかわからない。
 ただ、見つめてそらさぬと決めた鋼色の目が瞠目したのに少しだけ胸がすいた。
 自分が大人と呼ばれる立場になるにつれて、信じて認めた男がとんでもない忍耐を重ねているのだとようやく理解して、自然と思ったのだ。
 もうここらが潮時だ、と。
 ついに今日、完全に失った『子供』という免罪符と一緒に実らぬ思いとも別れよう、と。
 獄の性格上、呆れても怒ることはないだろうが、むこう数年いじられる覚悟は出来ている。
 寺でしてもよかったが、獄の日頃の反応から他人の目がない方がいいだろうと思ってお邪魔させてもらった。
 ……そのせいで何か勘違いさせた気がするが、安心したことだろう。
「喜べ獄、拙僧はもう二度と獄を口説かねぇ。大人になった拙僧からのケジメだ」
 悲しくはないから涙は出ないものの、だからといってケラケラ笑えるものではない。しょうもないクソガキだった自分へのはなむけは何とも難しい。
 見つめた先の大人の男も喜怒哀楽が狂ったような変な顔をしているが、五年も振り回したのだから当然だ。
「……三十路の男盛りを半ばまで無為にしたのは拙僧のせいだ。我慢ならんなら説教でも殴るでも好きにしてくれ」
 子供の五年と大人の五年は違う。そうでなくとも長い年月を縛りつけた自覚はさすがに持った。
 叱るも殴るもし難いだろう獄に踏ん切りをつけてもらおうと、ここにきて初めて頭を下げて、目をそらした瞬間——
 勢い余って、ご、と机に額をぶつけた。
「痛ぇ!」
「うお!」
 あまりの音と衝撃に向かい側からも悲鳴が上がる。幸いにもグラスは無事なのか、にぶい打撃音以外の音はしなかった。一応、ぶつけたあたりを探ると、あとから腫れそうではあっても出血はしていないし、机も多少擦れたていどだから大丈夫そうだ。
 それにしても痛い。獄の美学で選ばれた家具がだいたい重くて固いせいだ。
「しかし……お前なあ……」
「何笑ってんだよ」
「大人一年生は大変だと思っただけだ」
 くっくっ、と笑う獄はようやく肩の力が抜けた顔をしていて、部屋の中の張りつめた空気もゆるんでいる。
「……その額に免じて、今日までの『クソガキ』のやらかしは許してやる」
 よほどツボにはまったのか、笑いながら無罪放免を告げられた。目からも緊張が消えて、本当に、どれだけの負担をかけたのかと思い知る。
 これで五年の罪科を水に流してくれる獄は、やっぱり空却が認めた三千世界で一番良い男で、我慢ならないとがなるクセに忍耐強い。
 このまま全部、笑い話にしてしまおう。今は胸に広がる苦さもいつかは飲み込めるはずだ。おあつらえ向きに残った気の抜けたコーラをぐい、とあおる。
「ところで空却」
「ん?」
「今から『大人』になったお前を口説いてもいいか?」
 笑ったまま、ごくごく当たり前の仕草で剥かれた大人の先輩の牙に、どうにかコーラを流し込んだ。
「く、ど……?」
「今日から大人なんだろ? 俺は『クソガキ』のやらかしは許すと言ったが『大人』に責任追求しないとは言ってない」
「責任って……なんだよ」
 まるで意味がわからない。『子供』としてやらかしたことの責任を『大人』として問われているのか。では許す、というのはなんだったのか。
「……空却、俺は『クソガキ』のお前の好きだ愛してるって言葉に本気になっちまったんだよ」
 でも俺は『クソガキ』とどうにかなる気はさらさらない。
 だからずっと空却と獄自身の心変わりを待っていたけれどそれもない。
「今日の話は『大人』になったから付き合えって言われると思ってたってのに……なあ、空却。『クソガキ』のお前のやらかしで俺は空却が好きでたまらないのに、『大人』になったら全部無しってのはひどくないか?」
 『クソガキ』のやらかしは許す、けれども『クソガキ』のやらかしで生じた変化の責任は『大人』としてとれ。
 そう宣う獄は、見たこともない、知らない大人の男の顔をしている。
「んな、無茶苦茶な……」
「今もまだ、俺のことが好きだって目してるのに?」
 えらくおっかない笑顔のまま『大人』として『大人』に責任を追求される——という体で口説かれる。
 どう足掻いてもYESと答えるまでは帰してもらえそうにない。
 親父にも『今日で獄にケジメをつける』と言ったのに、正式に付き合うことになったなんてどうしたらいいのか。
「せっかく解放してやろうと思ってたのに……!」
「『クソガキ』は逃してやったんだ『大人』は逃げるんじゃねえぞ」
 逃すなんぞさらさらないクセに、全くおとなげない。
 数分置いて陥落宣言をした空却にいの一番に落とされたくちづけは、ぶつけた額へのものだった。
 『クソガキ』扱いのままだとクレームをつけなかったのは、おとなげない『大人』の様子から察してほしい。

2025/8/21


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