ラブレターは腹の中

 空却とて人並みに恋人の心配をする。
 厳しい残暑と殺到する依頼で半死半生になっていたら、行って帰って寝るだけと化した居住空間の面倒くらい見てやるかとなる。
 これまでも散々上がり込み、一番弟子を交えて秘密基地のように過ごしてきた借りもある。
 父親に多忙な獄くんを余計に疲れさせないように、と耳のタコが酢蛸になるまで言われたから、静かに大人しくして恋人の負担にならないようにした。

「……空却、もう来なくていい」
 我ながら完璧、と思っていたのに、真逆の評価を下した恋人は寄った眉間をほぐしながら、重く深い、腹の底から捻り出したような息を吐いた。
 実際、三食ほぼ外で済ませ、洗濯物は下着以外クリーニング、掃除は我慢ならず封印したロボット掃除機を解禁した恋人の部屋の体裁と衛生は守られている。
 だから空却が手を出したのは獄もロボット掃除機も手が回らない、風呂場だとか棚の上だとかの掃除であったり、あまりたまっていないけれど季節柄臭いやすいゴミ捨てだったりした。
 空却——空却以外の誰も——が来なくとも最低限回るように作り上げられたシステムは、着の身着のまま独りで東都に行くのとも違えば、多人数と共同生活を営むのとも違う知恵だ。
 言い方にかちんとこなかったと言ったら嘘になるが、父親に作られた酢蛸が、獄に頼まれたわけではなく空却が独断で通ったのだろう、と囁くから拳も口もおさめた。
「余計なことしちまって悪かった。仕事が落ち着いたら連絡寄越せや」
 腹の中で渦巻く不平不満が喉から溢れぬように飲み込みながら、謝罪と約束だけを舌にのせる。
 着ていた割烹着を脱いで鞄へとしまい、じゃあな、と部屋を出る刹那、ちらりと横目におさめた恋人——獄の顔は、色濃い疲労にわずかな罪悪感が滲んでいた。



 歴代の恋人は獄の意を汲むよりも我を通す者が多かった。それも負担を減らしたくて、という全きの善意で行うから質が悪かった。
 だので今生最後と決めた恋人が適当——『ぞんざい』ではなく『ほどよく』——に獄を扱う空却だったのは、無意識での選択か仏様のお導きか。
 怒りも落胆も見せぬように去っていく背はいつも通りしゃんとしていて、獄はさっそくに自分の言った事を撤回したくなっていた。
 深く重たいため息は空却の行いが余計ではなかったからこそ出たのだけれど、それを言ったら押しとどめてきたものが止まらなくなりそうだったのだ。

「……クソ……っ」
 余計なことなんてされていない。
 いつも自分自身ですら忘れていた掻き損ねた痒いところを全て掻いてくれて、それをことさらに主張もしない。
 その上、疲れ切って無愛想な獄を嫌な顔をせずに出迎えてくれる。
 恋人の行いは本当に稀有な事だと知っているのに、あまりにも自然に行われるから危うく当然のものとして享受しそうになる。
 そんな願望全くなかったのに、伴侶には家で待っていて欲しいと言う人間の気持ちがわかってしまう。
 帰したくなかった。このままずっとここにいてほしかった。おかえり、と言われるたびに胸がはずんだ。
 あんな無理に言葉を飲み込んだような顔をさせたかったわけじゃないのに。
「……つうか割烹着ってなんだ……寺でも大漁旗デザインのエプロンだったのに……」
 コスチュームへのフェチはないはずなのに、ぐらりときてしまう。忙しさを言い訳にしたくないが、忙しさで箍が外れてしまう。
 苦肉の策で来るなと言ったものの、後悔が募る。
 仕事は落ち着いていない。むしろこれから山場と言ってもいい。そんなの知ったことか。

 そうして獄がしたためた深夜のラブレターはそれはそれは熱烈で、宴席における空却の鉄板エピソードとなるのだけれど、肝心の中身の詳細は誰も教えてもらっていない。

2025/9/13


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