巣蜜を刺す
週末の忙しい事務所に押しかけて菓子を寄越せとがなる馬鹿をどうにか所長室に閉じ込めて、深々とため息をつくと悪びれもしない顔でお疲れさん、さっそくだが菓子をくれ、とねだられた。
ハロウィンを菓子が貰えるだけの日だと思っている生臭坊主見習いは年齢だけならばとっくに成人している。
父でもある住職にムラっけを指摘されていたが知識のムラもかなりあって、カタカナ語が特にひどい。そのくせラップとなると舌も頭もよく回る。
このギャップでもあり偏りでもあるもので滅茶苦茶に場をかき回す空却に、ちょっとイタズラをしてやろうと思っただけだったのだ。
「菓子を貰うかイタズラをさせるか選ばせる?」
「そうだ。言ってんだろ? Trick or Treatって」
「菓子くれっつったらみんな菓子くれたんだが……」
「お前にそう言われてイタズラ仕掛けるヤツはいないだろ」
それもそうか、と、ひとりごちる空却に心の中で舌を出す。ハロウィンをはろうぃんと言うようなヤツは絶対に正しい意味など知るわけがない。そして俺は菓子を持っていない。正確にはもうハロウィン用に用意した菓子は良い子へと配り終えたのだ。
だから本来の意味どおり、菓子かイタズラか、を空却に問われると非常に面倒くさいことになる。
知らないならば先手必勝。このていどの嘘ならば後々バレても笑い話の範疇だ。
「ま、いーぜ。菓子なら山ほど貰ったしな。獄が拙僧にどんなイタズラすんのか楽しみだぜ」
ぷらぷらと振られたエコバッグには、わざわざ手製のラッピングを施されたものからバラされた袋菓子、きちんとしたブランドのハロウィンパッケージまで全てが渾然一体となって詰まっている。
挑戦的な眼差しは菓子より楽しめるイタズラを用意してみろと煽り立て、ハ、と嗤った拍子に覗いた真珠色の犬歯も獰猛にきらめいた。
さて、出会った時から変わらぬ尊大でクソ生意気なガキにどう吠え面をかかせてやろう。
「全ッ然、効かねぇなぁ?」
ふぁぁ……と、わざとらしく欠伸をして、目を擦る。
もちろんフリだけだから、擦った目はチェシャ猫よろしくにまにまと細められ、口角もお揃いにつり上がった。
客用ソファにどっかりと腰掛け、両手足を大の字に広げて嗤いながら見上げる様は、僧侶というよりは悪魔に見える。
選んだ『イタズラ』は『くすぐり』——スキンシップが多く距離の近い空却は、存外、他人から触れられるのには弱いから効果があると思ったのだが……。どうやら『イタズラをされる』という心構えをさせてしまったらしい。
自信があるのか、こちらのイタズラの内容がわかってからは、サービスと言ってスカジャンを脱いで下さった。まばゆい白皙の肌は若さ故か手触りも良い。
腋の下からはじめて徐々に下へと下がり、脇腹まで行ったところで一度上に上がって、耳の裏や首筋も試したが、最初は軽くびく、ぴく、と跳ねるものの、すぐに平坦な反応になってしまう。
余裕ぶった、ではなく実際余裕がある空却に対して、情けないがこちらは少し息も上がり、汗もかいている。
「クソ……! ヘブンもヘルも超えてゴッドとまで謳われた俺のテクが効かないだと……!?」
「坊主一人屈服させられねぇ神ィ? 最近は神も仏も安売りでよくねぇなぁ?」
喧嘩のバーゲンセールみたいなツラをして煽る悪僧の宣うことは悔しいがもっともで、かつてほぼ無敗を誇ったゴッドハンドアマグニの称号は最近はとんと使われていない。
普通に生きていたら他人をくすぐる機会などどんどん減っていく。成長するほど無闇矢鱈に他人に触るなんてのは無作法で無礼になり、親しいからこその距離感も変わる。親しいからこそくすぐりあっていた相手と、親しいからこそくすぐるなんてしなくなったりするのだ。
同窓会やらで話の種として出ることもあるが、あくまでも話の種でしかない。くすぐりはバスケやテニスといったスポーツとは違う。スーツを着た大人同士でやるには気恥ずかしい。少なくとも、俺は。
そう思うと、十六歳下のガキに合わせてやっているにしてもくすぐりは少々幼すぎる気がしてきた。歳の差はあれど互いにとっくに成人しているのだ。
幸いと言っていいのか、つい最近までくすぐりとは別に神と讃えられた腕は衰えていない……はずだ。
十六歳下とはいえとっくに成人しているガキならば、多少、際どい『イタズラ』をしてもいいんじゃないか?
余裕綽々に見上げてくる尊大な悪僧をぎゃふんと言わせたいという気持ちがないと言ったら嘘になるが、獣に施す躾と同じで対等、もしくはそれ以上に戦える力と策を示さねば舐められる。
いい歳こいて父親にゲンコツチョーパン簀巻き説教をされてなお懲りない奴には多少、荒療治が必要だ。
ふんぞりかえって煽り散らかせるのは今のうち——挑むような金色の眼に、そう憐れみの視線を返せば、侮ることなく警戒をあらわに瞳孔がきゅ、と尖る。
正面から攻めていたのを止めて後ろに回ると、怪訝そうに眉をひそめた顔が追ってきた。じとりと細められた目はこちらのたくらみを見抜こうとして瞬きすら減っている。
ピリピリと毛を逆立てる猫の子のような有様に、ふ、と漏れそうになる笑いを堪えて、熱烈な眼差しに同じものを返してやった。
「んっ!?」
よし。背後に回られてからの睨み合いに気を取られた悪ガキを上手いこと誘導して奪った隙をつく。
穴ぼこだらけの耳の輪郭を風の一凪を模してなぞれば、初めて聞くひっくり返った声を上げてのけぞった。
媚態と言うには可愛らしいそれを恥じらって、指から庇うように触れられていない方を前に出し、鋭く睨みつける表情は、妙なところで清廉——うぶ——で、どんな枕がつこうとも根は坊主なのだと思わせる。
近ければ手を出すまい、出したところで防いでやる、という荒事を熟した経験値をうかがわせる覇気は、まあまあにおっかない。ここに殺気を乗せられていたなら、こんな冷静ではいられないだろう。
『家族』も『不退転』も素晴らしく、そして厄介だ。
元気いっぱい、ヤンチャ、と年配の檀家に可愛がられる空却は、言ってしまえば父親である灼空さんという保証付いた安全な不良だ。漫画だアニメだでよく見る正義のアウトローを嫌いな者はそういない。
加えてこいつは『清潔』で、小学生の下ネタめいた下品な発言をしても下半身がだらしなくないのだ。嗜める歳になっても酒にも煙草にも興味がないあたりも加算点だろう。
健康で健全で安全で清潔な不良坊主——父親と周囲と本人自身で守られた箱入の貴種は、懐を許したものに無防備で脆弱だ。
「ひ、ゃ……っ」
ふう、と、牽制に迫り出した側の耳へとほんの一息吹きかけただけだった。
たったそれだけでさっきよりも可愛らしい声をもらし、びくん、と跳ねる。
触れなば火傷せんばかりの空気を纏っていたのも霧散して、何でそんなことをしたのか、という疑問でいっぱいに開かれた金色はひどくいとけない。
害意と悪意と揶揄いと戯れ。射程範囲に荒事と友愛しかなかった悪僧は色と艶を知らない。自らが他者に向けないから気づかなかったのか、あるいは誰かが撃ち落としてきたか。
少なくとも『家族』として招き入れたはずの相手から放たれたのも、それが着弾したのも初めてだったのだろう。
予想外に可愛らしい反応が返ってきたが、イタズラと言えど本気でやらねばこいつは落とせない。ここまでの幼い素振りだって、こちらの油断を誘っている可能性をまだ捨てきれないのだ。
「なにすンだよっ」
短い休憩を挟み、ようやくほんの少しだけいつもの調子を取り戻した空却が、再び刺々しい威嚇を纏い、牙を剥く。
「ナニって……イタズラだろ? お前が効かないって言うから場所とやり方を変えただけなんだが……」
さも『くすぐり方を変えただけなのに空却が大袈裟に騒いだ』という風に首を傾げれば、ぐ、と息を詰めて言葉を飲み込んだ。
ここで俺を助平だの変態だのムッツリだのと罵れば、さっきのくすぐりでいやらしい気分になったという自白になってしまう。
効きまくっているいやらしいくすぐりにさらなる口撃手段を与えたくない、というのがよくわかる表情に少しだけ胸がすいた。
「息吹きかけんのはくすぐりじゃねぇだろ」
すかさず、ぶすくれた顔のまま剥いた牙を立てられる。唯一、手を使わなかったある種の粉掛けを咎めることで、遠回しに助平と言っているのだ。
「俺が吹いた息でくすぐったくなってんなら、手じゃなくてもくすぐりっつうんだよ。……それともなんだ? 『くすぐったい』じゃない、もっと別のモンだったか?」
息を吹きかけた時とほぼ同じ位置と体勢のまま変わっていないのを、この清らかな悪僧はよもや忘れてしまったのか。
イタズラされた耳ばかり警戒しているのを尻目に胸元へと手を伸ばす。
腋近くから、つう、と乳房を持ち上げるようにすると、想定よりもみっちりとした感触が手のひらに与えられた。
良い筋肉は力が抜けているとやわらかい、とどこかで聞いた気がするが、オーバーサイズの着こなしの下にこんなものを隠していたとは。
「バ、カ……ッ! それ、もぅ、せくはら……っ」
さっそく手のひらでふるふると揺らし、軽く揉み込んだことへの抗議が飛んできたが、ぎ、ときつく細めた金色は、目を離したらまた耳にイタズラをされると見越して、胸に何をされているか、されるかを手の動きだけで察さなくてはならない。
「セクハラ? 空却、お前はこうされるとくすぐったい、じゃなくて、いやらしい……って感じるのか?」
「……っ!」
耳元、もとい鼓膜をふるわすように、囁くのは良く効いたようで、しまった、と口を結んで耳まで赤くするのにぞくぞくとした衝動が背を走る。
いくら神経を尖らせて威嚇しようと、おぼこい坊主の持たない手管で攻めるのは簡単で、一度でもこちらのイタズラにセクシャルな意味を見出したと言わせたなら突き放題だ。
「俺はくすぐってるだけなんだがなあ? 修行中のお坊さんには刺激が強かったか?」
「……ふ、ぅ……っ」
すっかり髪と揃いの色になった耳に、悪いお坊さんだとこしょこしょ話を流し、布越しに胸を揺さぶりながら、指先をくすぐるように這わせると、全身をびくん、とふるわせ、完全に甘さを帯びた息を吐く。
必死に押さえ込んでいる腰は、びくっ、びくんっ、と一際強くふるえていて、よくよく見ると股間のあたりを窮屈そうにふくらませていた。
最初の余裕など嘘の様な痴態を指摘してやるのも悪くないが、それは完全に『イタズラ』の領分を踏み外す。
あくまでも『くすぐり』の体を崩さず、すり、と指で胸の輪郭をなぞりながら、誰しもが持つ尖りへと近づいていく。腕の中、すっかりされるがままの敏感でかわいらしい反応をする坊主がそこで感じるかなど知らないが、良からぬ期待に下腹がざわざわと騒がしい。
……だんだんと箍が外れ、悪趣味で下世話な『イタズラ』になっているのはわかっている。
けれど、ならばなぜ——
「ん……っ、ぅ……」
こ、と爪先がかすかな尖りをかすめた途端、懸命に喉奥で噛み殺した声が聞こえた。
ひどく密やかに潜められた嬌声は、どれほど小さくか細くとも、隠しようがないほど甘くとろけているのがわかってしまう。
小刻みにのたうつ肢体が真夏の太陽のような熱を放ち、しっとりと汗ばむと、ぶわりと嗅ぎ慣れた芳香をばら撒いた。
ごく身近なものとして通い慣れた寺の別の顔——五百年の重みがのしかかるような静謐で荘厳な古木の深みの奥、独特の甘さが鼻をくすぐる。
思わぬ香りに、思わず、すん、と鼻を鳴らして吸い込むと、いっそうのこと肌も髪もうだらせた悪僧からさらに強く匂い立った。
「ふ、ぁ……」
「効かねえとか言ってたが……くすぐったいとこんななっちまうんだなあ……?」
くったりとしたままはくはくと動く口の返事を待たず、最初よりも硬くふくれた尖りをこ、こ、と下から上へとくすぐれば、息を吐いた形で静止したくちびるがふるえ、喉をわななかせる。
「〜……っ!」
睨みつける姿勢すら保てぬまぶたが下り、ぎゅ、と目をつむると、無理矢理に抑えていた腰をぐん、と前へと突き出した。
直後、ゆったりとして見えるパンツを押し上げたふくらみの頂点にじわりと濃いシミが生まれ、広がる。
もしかしたら、と思っていた展開が現実となり、無遠慮に見つめる視線に気づいたのか、もぞもぞと広げた足を閉じはじめた。
「今回は効いたみたいだな?」
「うるせぇ……っ」
もはや髪と肌の区別がつかぬほど熱を帯び、身じろぎ一つで強烈な芳香をふり撒き続ける見習い僧侶の、あと一歩で美丈夫として完成する肉体はまだ未踏の新雪のまま——
わずかにうるんだ金色に騒がしかった下腹がどくん、と大きく脈打った。
腹から響いた衝撃に、頭の端で叫ぶ冷静な自分の声が聞こえる。
今ならまだ、まだタチと趣味の悪い『イタズラ』で済む。
多少揉めても、今ならまだ、互いに笑って、馬鹿な大人同士のやらかしで片付けて、終わらせることが出来る。
未だに硬い尖りに触れる爪を離そうとすると、汗ばんだ手のひらに掴まれた。
「……まだ拙僧は逝ってねぇぞ」
なぁカミサマ、と濡れて艶めいたくちびるが三日月よろしく弧を描き、にじんだ金色も鋭く細められる。
叩くなり殴るなり出来るはずの手はここに至るまでそうせず、掴まれた手はきゅ、とやわく握られた。
——かくして『イタズラ』は『菓子』よりも甘いものを呼び込み、俺はどうやって破れかぶれの包装を取り繕って持ち帰るかを腐心するハメになったのだった。
2025/11/9
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