春告鳥は檻の中

 それは中坊のガキに告られては馬鹿を言うなと宥めすかしていた冬のこと。
 会うたび会うたび、お前の漢気に惚れた、とまとわりつくガキからは、友愛か親愛を恋愛とごっちゃにしたような口説き文句ばかりで、これで勘違いでも思い込みでもないと言われても、と鼻で笑うのが常だった。
 職業上——というよりは魂に刻まれた傷、あるいはその結果として生まれた信念により、痛みや孤独を抱える子供と接する機会が多い。
 信じていた友人や恋人に裏切られるだけでなく、親を含めた周囲の大人にすら踏み躙られた子供が一縷の希望に縋って事務所に駆け込んで来ることは、悲しいかな、珍しくはないのだ。
 そうしてひとりぼっちの子供に手を差し伸べると、そのうち何人かは勘違いをしてしまう。『無償で自分に寄り添い助けてくれる大人』への感謝や信頼、憧憬を『恋慕』だと。
 それでもほとんどの子供は案件が片付いていくらかすれば、自分の思い違いに気がついて恥ずかしそうに謝ってきたり、あるいはすっかり忘れたように便りを寄越して来たりする。要するに『学生時代に好きだった学校の先生』とほぼ同じポジションにいるのだ。

 事務所の私室——所長室のバーカウンターに押し倒した——断じて指一本触れてはいないが体勢だけはそうなっている——馬鹿な子供は、街行く人々が上から下まで布にくるまりはじめているというのに、いまだ制服しか着ていない。
 冬用であろうとはいえ、かすかに触れた生地は完璧に整えられた空調の中でも固く冷たいまま溶ける気配はない。
 同時に俺自身も凍りついていた。
 理由なんてひとつきりしかない。押し倒した子供のせいだ。
 自分よりも頭ひとつ大きな大人の男に押し倒されたというのに、ふ、と鼻を鳴らして、にぃ、とくちびるの端を上げる——だけ。
 これまで『恋慕』を告げてきた子供の中で、どうしても退くことのない子供にしてきたいささか乱暴な荒療治が、年齢不相応な色気を出す子供にいなされた。
 幼い恋心は『大人の男』と『恋愛』を知らないから、ドラマや漫画で知った気になっているロマンティックなシチュエーションを実践してやれば、目の前の干支近く離れたオッサンに向けていた感情を正しく理解する。
 押し倒したりまでしたのは今回が初めてで、せいぜい手に触れる——それも事前に許可を取ってから——ていどの距離感で口説いてみせるだけだ。
 恋人がいた時は恋人を思いながら、いない時は目の前の子供が絶対に逃したくない相手だと思いながら、触れそうで触れない指先を捕まえて離さずにいたいと乞い願えば、おぼこい子供は皆逃げていく。
 もちろん誰にでも使うわけではない。退かぬ子供の中でも限られた、恋人がいてもいいから、何年でも待つから、と思い込みや勘違いを本気にしてしまいそうな子供だけ。
 お前が望むのは『無償の庇護』であって『対等な恋愛』じゃないんだ、と突きつける。
 今日だってそうしたはずだった。

「拙僧、ハジメテはもっとやぁらけぇトコがよかったわ」
 頭と背が痛い、とぼやきながら、子供がぐりぐりと頬を擦りつけるのは、デザイナーと木材のサンプルチップをああでもないこうでもないとしながら決めたカウンターで、俺だってこんなことをするのは想定していない。
「馬鹿言うなクソガキ、たとえソファでもベッドでもお前のハジメテなんざいらんわ」
「……こぉんなこと、しといて?」
 ヒャハ、と歯を剥いて笑いながらのけ反られると、まだ細く白い喉と成長途中の鎖骨がひどく目立つ。
 ほんの子供なのだ、とぞっとするほど思い知らされて、服の端っこ以外は触れてもいないのに離れたくて仕方がない。
「お前がやれって言ったんだろうが……!」
「今までの相手がガキびびらしたろ〜っつうオトナのポーズに素直に降参してくれるヤツらで良かったなぁ? 御生憎様、拙僧は使い古された口説き文句じゃイケねぇの」
「中坊のくせに」
「それっくらいが一番面倒だって、知ってんだろ」
 ここまで面倒なのはお前が初めてだ、と喉から出かかったのを飲み込んで、眼下の子供を睨めつける。
 おお怖い、とせせら笑う悪童は、くちづけせんばかりの距離で見つめて、愛を語れど、拙僧はそんなんじゃ諦めてやれない、と吠えたくり、全てを見透かした金色の瞳をまたたかせて、何をしてもいいから本気で威嚇をしろ、と宣った。
 だから俺は自ら禁を破って、子供が語る『恋』と『愛』の先、大人と子供では対等足り得ない理由を突きつけてやったのに。
「こんなこと、ガキだってやってんの知ってんだろ」
「ガキがガキとじゃれあうのと、オトナがガキとヤんのは別なんだよ」
「ヒトヤクンはでっけぇガキみてぇなモンなのに?」
 挑発的に細められた目に煽られて、思わず覆い被さりそうになるのをすんでのところで止めると、ち、と舌打ちをされる。何がち、だ。
 こんな子供に調子を狂わされたなんて誰にも言えない。今度こそ離れようと身を引こうとすると、白い手のひらがすう、と伸びてきた。
 ところどころに傷があるものの、大切に慈しまれたのがよくわかる健やかであたたかい手が、顎髭を撫でる。
 じょり、とその場にそぐわぬ間抜けな音がして、どうしていいかわからなくなってしまった。
「しょうがねぇから、獄から惚れたって言うまで待っててやるよ」
「待て、なんの話だ」
「自分がどんな目ェしてるか、よぉく見てみな」
 さりさり、と顎髭を撫でまわしながら艶然とする子供の手をどうしてか止められないまま、眼下の楽しそうな瞳を見つめると、呆然とした自分の顔が映る。
 どんなもなにもない。十六も下の子供に振り回された情けない大人がいるだけだ。
「そぉやって、わけわかんねぇってなったガキ、拙僧以外にいなかったろ? 御立派な御題目を掲げて否と言えなくなった時点で拙僧を意識してンだ」
 御愁傷様、と言うや否や、ぱ、と離れた指先が沈黙を宣言するように、弧を描くくちびるへと添えられる。
「……付き合ってられるか」
「今はそれで許してやらぁ」
 それは間違いなく数年後へのカウントダウンのはじまりで、どう足掻いても子供は退きも譲りもしないのは言うまでもない。
 みっともないままの顔が映る目はやがて愉快そうに細くなり、子供の綺麗な破顔と共に消えた。

2025/11/22


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