かわいい君へ、雨のごとく

 空厳寺の居住区にある空却の部屋には、しとしとという控えめな雨音がするとやってくるものがいる。
 その訪問者は窓の側に立っていて、招き入れるまでは決して中に入らない。
 そして、部屋へと入れたならば——

「傘もささねえで突っ立ってた奴を部屋に入れる……?」
「体がねぇから濡れちゃいねぇよ」
 久方ぶりの逢引があいにくの天気となって、じゃあ『おうちでぇと』に変更だと部屋に着いたらコレだ。
 胡座をかいてくつろぐ恋人に人ならざる来客を告げると、見当違いの方向にぞっとした顔をしたから、我慢ならぬと吠えそうな口を早めに封じ、雨粒の散る窓を確認する。
 やはり、いる。
 特段厄介でも面倒でもないが、恋人は初対面だからどう反応するだろうか。
「お前の話からすると今そいつが来てるんだろうが……部屋に入れたらどうなるんだ……?」
 動揺か興奮か。そわそわと落ち着かない恋人は何か期待しているようだが、残念ながら面白いことはなにもない。
 からりと窓を開けて、入れよ、と一声かけ、窓を閉めて振り返ればもう部屋にいる。
 何かの霊というよりはもっと曖昧な、無意識に発生した思念の集合体とでも言うべきか。ぼんやりとした人型の影は形が定まらず捉え所がない。
 急な闖入者に恋人が瞬きをするのを尻目に座布団をすすめれば、礼儀正しく腰掛け? てくれた。
 これから顔もなく、言葉もなく、纏う雰囲気だけを手がかりの『何か』の求めるものを探り当て、気持ち良くお帰りいただかなくてはならない。
 最もこんな天気に訪ねてくるようなのの用事はだいたい決まっている。
 座布団の真正面に腰を下ろし、ぼんやりと視線を感じるあたりへと焦点を合わせ、一言。
「ここにゃ拙僧と銭ゲバしかいねぇ、好きなだけ泣いていいぜ」
 何か言いたげな銭ゲバ——こと恋人——は慌てて口を閉じると、す、と背を向けた。
 表情は伺えないが、決して振り向くことはないのがわかる背中はしゃんと綺麗に伸びている。
「……気になるなら見ねぇって。イイ男だろ、拙僧のカレシは」
 影がどれほどこちらの言葉をわかっているかはわからない。けれども惚気話に少しだけ緊張が緩んだように感じた。
 こういう相手への惚気話は攻撃的になることもあるから控えた方がいいのだが、なんとなく大丈夫な気がしたし大丈夫だったから大丈夫だろう。
 それからすぐ、土砂降りの雨が降り出した。



「いつもああいうことをしてやってるのか?」
「話聞くだけだし、元を辿ればウチの寺に用があったはずだからな」
「用?」
「檀家のジジババの話聞いてるうちに『あそこの寺は相談に乗ってくれる』って広まったんだよ。そんでまぁ、来たものの結局話せずに帰った……みたいな連中の『言い損ねた事』の集合体がさっきのってこった」
 静かにゆっくりと地面を濡らしていた雨が、突然大風を伴う雨となって窓を叩いてから数十分後。
 短い局地的な嵐は数分でおさまり、同時に人ならざるものの帰宅も告げられた。今ではすっかり晴れている。
 悲しければ雨を、怒っていれば雷を、寂しければ風を連れて、空却の部屋の窓に立つ——そんなものを部屋へと招き入れたらどうなるかなんて問うまでもなかったのだ。
「じゃあ今度は俺の話を聞いてくれ」
 誰もいなくなった座布団を見つめて動かない恋人を背後から抱きしめて囁けば、ふふ、と笑って上目遣いで見つめられる。
「元からそのつもりだぜ、ダーリン? でぇとなのに自分以外のヤツとよろしくやってるから悲しくなっちゃった?」
 挑発的にきらめく金の目も、楽しげに上がった口角も、全てがくちづけられそうに近い。
「わかってきたじゃねえかハニー。俺とのデートなのに他のヤツの御機嫌なんてとってんじゃねえ」
「獄くんはホンットしょうがねぇなぁ……」
 呆れた口調とは反対に、頬からくちびるへと降り注がれたくちづけは、御機嫌とりだけでない甘さがあった。

2026/5/1


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