抱きたい背中

 平日、昼。いつものように寺に訪ねて来た獄と、縁側付近で二言三言軽口を叩いて別れる、もはやルーチンワークと化した流れ。
 獄の事務所に空却が訪ねるというマイナーチェンジもあるがやることはほぼ同じで、事情を知らない職員が問うと「元依頼人」と答えているのは知っていた。
 だのに、何を間違ったのか『親が知り合いで、妙に懐いた、元依頼人の、子供』でしかないのに、うっかり告白なんぞしてしまったのだ。

 想いを告げるつもりなんてなかった。
 そんな対象に見られていないのなんて普段のやりとりでわかっていたし、自分自身これが本当に惚れた腫れたに値する感情かもわからなかったから、少しだけ特別な存在ー『空却』を見てくれた大人、とラベリングしていたのだ。
 愛はともかく、恋は身近に溢れていても他人事で、時として身を焦がし気が狂うほどの情念が恐ろしくすらあった。
 愛が怖くないとは言わないが、もっと広範な意味を持つ。翻って、恋は唯一なのだ。
 たった一つ、たった一人への強く激しい想いなんてもの、果たしてあの大人に向けたことがあるのか?
 問うほどに、こんな曖昧な自問自答を繰り返す時点で違うだろう、と蓋をした。

 それなのに、今日はなぜか去っていく背中を抱きしめたくて、けれども引きとめる理由も言葉も出てこなくて、胸も頭も何かが詰まって爆発する、と思った瞬間、好きだ、と言ってしまったのだ。
 振り返った顔はぽかんとした間抜け面で、声音で冗談ではないと察したのか答えあぐねているのが見てとれた。
 本気だと感じたらけして子供だなんだと切り捨てない、『空却』の話を聞いてくれる。恋かはわからないが、そういうところが好きだと思う。

「拙僧もよくわからん」
「わからんですむか」

 あんな声を出しておいて、とつくため息は深く重い。
 嘘みたいな告白劇を一笑に付すことなく、頭を抱えながらも向き合う姿を好きだと思う。依然、恋かはわからないが。
 なんにせよ、蓋をして言わずにいようとした想いをぶちまけてしまったのだ。
 こうなったら真実、恋なのか確認してしまおう。

「なあ『オツキアイ』しようぜ」
「はあ?」
「拙僧がわかるまででいい」
「お前な……違ったらどうすんだよ」
「違ったらどうにかなるようなこと、するつもりなのか?」

 まさかそんなと思って見ると、ぐ、と呻いて言いよどむ。
 この大人がどんな『恋』をして『オツキアイ』をしているかは知らない。けれども今、特定の相手がいるならば空却の申し出を即断っただろう。
 そうでなくともバカ言うなと断ればいいのに、まったく付き合いがいいことだ。
 しかしこの大人、何をするつもりだったのか。もしかしなくともいきなりキスだのセックスだのするつもりだったのか。
 『オツキアイ』どころか『恋』の確信すら持てないのにーいや、逆にありなのか。

「……いっそヤるか……?」
「何をだ!?ヤらんわ!やめろ!」

 かくして『オツキアイ』ははじまった。
 空却はともかく、獄は『恋』も『好き』もないまま。



 とりあえずデートだろ、と一緒に寺を出たら、サボりたかっただけじゃねえか?と疑われた。失敬な話である。
 それなら好きだなんてバカなこと言わず、なんか奢れと勝手について行く。

「弁護士先生は時間あんのかよ」
「貴重な平日オフだよ」
「現役中学生とデートなんて嬉しくて涙出るだろ」
「変なイチャモンつけられたら毟り取れるな」

 ほとんど普段と変わらない。
 メジャーな繁華街を連れ立って歩いてはみたものの、すれ違うホンモノの『オツキアイ』をする人達と自分達は明らかに違う。
 仕方ない、獄は子供のワガママに付き合ってくれているだけなのだから。きっとポーカーフェイスの下でどうにかこの茶番をやめる算段を練っているはずだ。
 とたん、隣にいるはずの男がひどく遠くに感じる。
 違う。たまたま縁が繋がっただけで、はじめから遠くにいて、交わらない大人の男なのだ。名前のない関係がちょうどいいくらいに。
 早ければ今、すぐにでも終わってしまうこの『オツキアイ』をどうにか引き伸ばしたくて、抱きしめることはかなわなくとも、せめてー

「……なんだよ」
「いや、別に」
「さっきから気づくといねえから、拙僧、財布持ってねえし」
「ポケットの中にあんだろ」
「今日は十円くらいしかねえよ」
「托鉢しな生臭坊主」
「お布施しろや銭ゲバ弁護士」

 勢い、掴む、というよりただ上に乗せた手のひらは、恥ずかしいくらい熱くて汗まみれだった。
 驚いた様子の獄にそれらしい理由を重ねたが、当然、見失ってもないし、財布だって持っている。
 ただ急に抱きしめるなんて出来ないし、ちらほらいる恋人達は腕を組んだり手を握ったりしているから。だって今、獄とは『オツキアイ』しているのだから。
 それなら、率直に『オツキアイ』を盾にしてしまえばよかった、なんて考えても後の祭り。
 ど、と手汗が増えるのを感じて、気持ち悪いと離されるのが嫌で強く握りしめた。
 どこか落ち着ける場所、とあたりを見渡すと、馴染みの和菓子屋が近くにある。
 そのままずんずんと、握った手の先の男を見ないように引っぱった。

 バカだ。
 相手が自分を恋愛対象として見ていないから言うのをやめる、なんて。
 そんなのとっくに『恋』の『好き』だ。
 ちょうどいい、心地のいい関係のままでいいと言い聞かせても、どうしようもない想いは積もっていて、いつか来る決壊が今日だった。
 もっとずっとそばに、近くに、一緒にいたい。約束も名前もない関係のまま、別れを告げられるのが寂しくて、切なくて、だから抱きしめたかったのに。
 この大バカ者め。

 さして遠くもない和菓子屋までの道すがら、久々に己の未熟さ愚かさを呪った。
 結局、逃げたのだ。ついさっきまでなら意気地が無い、と切り捨てるだろう『今の関係が壊れるくらいなら』というやつを自分もやっていた。
 それでいい人もいるだろう。それがいいという人も。けれども空却はそうではない。
 このあとフラれるとしても、後悔するよりマシだ。



 驚いたままの獄を引きずりこんだ店はほどほどの賑わいで、幸いにも喫茶室は空いていた。
 檀家さんでもある店員さんに案内されて、窓際の二人がけに向かい合って座る。なかなか『オツキアイ』してるっぽい、いい席だ。
 ついでに広げられたメニューの紹介をしていると、獄の手がす、と近くなる。前ぶれのない動きに喜ぶ反面、不安もわく。逃げないと、決めたのに。
 理由も意味もなく触れそうな手に、気づかないフリをしながら話を続ける。見ただけじゃわからない体温は自分のように熱いのか。また手のひらがじわりと汗をかく。
 運良く、なのか。すぐに店員さんがおしぼりとお茶を持ってきた。
 手のひら以外もずっと汗をかいているような気がして、頭の中の父が行儀が悪いと叱るが、たまらず顔まで拭く。少し熱いくらいのおしぼりが気持ちよく、もやもやとした頭の中もすっきりとする。
 『わかってしまった』空却の腹は決まった。獄はどうか知らないが、元より付き合ってくれているだけだ。これから出す答えをすきに選んでもらおう。伸ばされた手の意味もそのときわかるはずだ。
 さて、どう切り出したものか。
 おしぼりをたたみながら考えていると、お連れさんはどなた?と興味津々に聞かれた。
 子供の頃から付き合いのある檀家さんは、空却が父以外とここに来たことがないのを知っている。
 他人と群れない交わらないーそんな子供が初めて連れて来た、どこでどう知り合うのか見当もつかない大人の男。気にならないわけがない。
 この大人と、獄と、自分はどう見えているのだろうか。
 絶対に、逆立ちしたって恋人に見えないのはわかっている。友達だってありえない。知り合いなんて気持ち悪い。二人にだってわかっちゃいない。
 当事者すら空白のままにした繋がりに、空却は名前をつけることにした。
 だって今、獄と空却は『オツキアイ』しているんだから。

「拙僧のカレシ」

 口にしたら、顔中がだらしなくゆるむのを感じた。
 仕方ないだろう、舌に乗せてはじめて気づいたのだから。
 好きな相手を自分のものだと言う傲慢な甘さに。
 たとえごっこあそびの延長線の『オツキアイ』でもこの瞬間、獄は『空却の恋人』なのだ。
 聞いた相手はまあまあだかあらあらだかと言っていたが、いつ来ても父に叱り飛ばされっぱなしの空却のしでかすことを気にする人ではない。
 むしろ決まったころにまた来るね、と去っていく後ろ姿は安心したようですらあった。



 まことに『恋』は恐ろしい。
 自分を見る『カレシ』の視線がそんなに悪い意味ではないのに、バカみたいにときめいてしまう。
 怒って否定して口喧嘩、になると思っていたのに、なかなかどうしてイイ反応だ。
 さて、なんとこたえてくれるだろうか。
 出来れば心ゆくまで抱きしめさせてほしい。

2021/04/22


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