第09話

天に舞う蝶

彩雲国へ来て、四日目。
蝶子は今日も内朝寄りの府庫に来ていた。

「……暑い…」

だらーっとテーブルに突っ伏し、行儀が悪いが、府庫の奥の一角にいたため誰も見咎める者はいない。

「……はあ〜、クーラー、扇風機、アイスぅ食いたい…」

口々に話す言葉は蝶子にとって暑さを凌ぐスグレモノばかりであるが、言ったところでこの世界にはなかった。
ちなみにかき氷は先日食べ過ぎた為、今は見たくはない。

「あーつーいぃぃ〜……」

だらだらとしていると窓の向こうで、元気に走っている我が祖父と、彼を追い掛ける官吏たちが目に入る。

「…………元気だな、おい…」

そーいえば、こっちに来た時もじい様はなんかかんかと追い掛けられていたが、なんなんだろう?
そんな風に思いながら、団扇を片手に扇いだ。熱風が届き、なんともいえない。

「……くっそ〜、これなら家でTシャツでいる方がマシだった」

劉輝に毎日会いたいのだっ!と言われ、府庫に来ているが、どうにも早まってしまった。せめて水浴びでも出来たら……

「そうよっ! 水浴びすればいいのよっ!!」

勢いよく立ち上がれば、ガタンっ!と椅子が倒れた。ありゃ、と思い椅子をきちんと起こし、水浴びするにはさてどうしようかと考えた。
ここは劉輝かじい様に頼むか、とぽんと手を合わせ、まずはじい様を探しに府庫から出たのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


ぜはぜはと霄太師は追い掛けてくる官吏どもから逃げて、茂みに身を潜めていた。

「全く、劉輝様も妙な噂をばらまきおって……」

ぶつぶつと文句を呟けば、茂みをがさがさと掻き分けてくる音に「もう来おったかっ!」と呟いた。

「じい様、みーっけ!」

「……な、なんじゃ……蝶子か」

現れたのは異世界からやってきた曾孫の蝶子であった。しゃがみ込む霄太師の隣に蝶子は屈むとにこっと笑った。

「なんじゃ、どうかしたのか?」

「今日も暑いのに元気だね、じい様」

「……またなにか頼み事か? かき氷なら主上に頼べばいいじゃろ」

「あー、かき氷は飽きたからいい。あのね、プール……じゃなくて水浴びしたいんだけど、どうすればいいかな?」

「プールじゃと!? そんなもんはないわい」

「でも暑いから……ダメかな?」

覗き込んでくる姿に霄太師はなんともいえない気持ちになる。
孫というだけで甘やかしたくなる気持ちが自分にもあるとは、到底信じられなかった。

(……孫という名の宝物、か)

はっきりいえば曾孫なのだが、まぁ、孫息子より断然蝶子の方ばかり可愛がっていたからな。
なんだかんだいって霄太師もそんな普通の感覚を持ち合わせていたらしい。
彼を知る人(仙、人間問わず)が知ったら天から槍が降ってくるか、世界の終わりだと思うかもしれない。

「……だったら主上に頼んで湯殿で水浴びをしたらどうじゃ?」

王宮の湯殿はプール並に大きいからのぅ、と続ける霄太師に蝶子はキラン!と目を輝かせた。

「ありがとう! じい様、劉輝に頼んでみるわっ!」

そう言うと蝶子は霄太師の手に手巾を握らせ、府庫へと走っていったのだった。
手巾を眺め、やれやれと霄太師は汗を拭う。口は少々悪いがこういう優しさがあるのは昔のままだ。
それがなんとも嬉しい霄太師だった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


府庫に戻れば、「蝶子、蝶子〜」と子犬のような幼なじみは声を上げていた。
これが王であり、十九の男性の姿だろうか、と蝶子は笑いたくなる。
こんな姿、清苑兄ぃが見たらどう思うのだろうかと考えるが、その兄は別段なんとも思っていないことを蝶子は知らない。

「劉輝」

「蝶子っ! どこに行っていたのだっ! よ、私とお茶の約束をしていたではないかっ!」

顔を出せば、劉輝はスタタタと寄ってきた。面白過ぎる。

「あー、ごめん。ちょっとじい様に用事があってねー。それで劉輝に頼みたいことがあるんだけど」

「なんだ?」

両手を合わせて、頼んでくる蝶子に劉輝は訊いた。

「水浴びしたいんだけど、してもいいかな?」

「水浴び?」

「うん、暑いから。えーっとお風呂に水入れて……」

「別に構わないが、今からか?」

「うん、ダメ?」

「ダメってことはないが、余とお茶は?」

「じゃあ、一緒に水浴びする?」

「いいのかっ!?」

身を乗り出して聞き返してくる劉輝に、ビクッとしながらも蝶子は頷きかけた時、いつの間に来たのか後ろから抱きしめられた。

「水浴び、いいねぇ。私も是非ご一緒させてもらいたいな」

「楸瑛っ!」

「……またセクラハ…」

劉輝はぎょっとし、蝶子はため息混じりに呟いた。
背負い投げしようにも気配を消した上に、隙を見せないので投げることが出来ない。
だが、セクラハされるのは嫌だったのか、蝶子は楸瑛の臑を蹴っ飛ばしたのだった。
弁慶の泣きどころであるので痛いはず、やはりうずくまっていた。
その扱いに追い掛けてきた絳攸は感心していた。楸瑛相手にここまでする女人をなかなか見ないからだ。

「蝶子、いいぞ」

「ありがとう! 絳攸さん」

ぐっと親指を上げると絳攸はよくやったとばかりに、口の端を上げた。
なかなか彼とは気が合うようである。

「ちょっ……本当に痛いんだよ! 絳攸っ!」

「知らん。たやすく女人に抱き着いたりするお前が悪い。で、今度は何をする気でいたんだ?」

「え? あぁ、暑いから水浴びしようって劉輝と話してて」

「一緒に入るかと言っていたのだ」

劉輝が答えた数拍した後、絳攸が真っ赤になった。

「どうかした? 絳攸さん」

「……お前ら、一緒に水浴び…?」

「う、うん……絳攸さんも一緒に入る…?」

「バッ……おおおまえっ、女の自覚があるのかっ!? そんな簡単にっ……」

「へっ? なに、なにかまずいの?」

一緒に水浴びするのがそんなにいけないことなんだろうか?そんな風に考えて、ふと頭に過ぎるものがある。
ここは自分が暮らしていた世界とは違う→文化が違う→服装が違う→……水着なんてものがない。

「…………。……あっ」

「どうしたのだ、蝶子」

心配そうに見てくる劉輝に蝶子は真っ赤になった。絳攸が言いたいことがわかったからだ。

「……水着なんてないんだ」

「蝶子?」

「劉輝、水浴びはいいや」

「えぇっ? いいのか?」

「うん、夜のお風呂で十分だよ、あはは」

うっかり一緒に入ろうと言った自分に恥ずかしくなる。

「残念、蝶子殿と水浴び出来なっ……っ!?」

復活した蝶子は懲りずに抱き着いてきたが、鳩尾に肘でドスンとやられたのだった。

「別に楸瑛さんは誘ってないから」

蝶子の中で楸瑛はますます評価を下げていき、氷柱のような視線はどこぞの某元公子に似てるな、と劉輝と絳攸は口に出さずに思ったのだった。

「水浴びは、明日一人でしよーっと」

とりあえず明日は、屋敷に引きこもっていようと思った蝶子であった。



END


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