第10話

天に舞う蝶

暑い夏。
いつもなら友人と海だ、キャンプだ、花火にお祭りと楽しむこの季節──私は電気、ガス、水道という物とは無縁の場所にいた。

「……はぁ…いつもなら友達と海とかに行っていたんだけどな〜」

ポツリと呟き、団扇片手にパラ、と本のページを開く。
もうそんなに興味があるような本はあらかた読んでしまい、今はなんとなくて『彩雲国語り』を読んでいる。まあ、国造りの類いの昔話だ。でも真実だというのだから驚きだ。

「ふーん……仙人なんて、本当にいるのかな…」

事実、彼女の曾祖父こそ物語に出てくる彩八仙の一人、紫仙であるが蝶子はそれを知らない。

(まあ、じい様みたいなのがいるんだからいてもおかしくないか、)

椅子に寄り掛かり、ぐらぐらと揺れているとゴーンと時鐘が鳴る。

「……そういや、劉輝は仕事があるから来ないんだっけ」

つい先程、読書をしているとセクハラ将軍……もとい藍将軍がやってきて「主上は忙しいのでお昼は別だと絳攸が言ってましたよ」と伝えて来た。
臣下にスケジュールを組まれるとは、王様も大変だねー、など思い蝶子は椅子から立ち上がると背伸びをした。ずっと本を読んでいたから身体が固くなっている。

「んーっ、と。さて、じい様を探すか」

お昼ご飯を戴かねば。と出入り口へ歩いて行けば、久しぶりに秀麗ちゃんに会いました。

「蝶子さん!」

「こんにちは、秀麗ちゃ……とと、秀くん」

危うく本名を呼びそうになり、口元を押さえれば、秀麗も慌てて口元に人差し指を当てていた。
でも、やっぱり男の子には見えないんだよね。ボーイッシュって訳でもないし。

「ごめんね、秀くん可愛いから、つい。間違えそうになるわ」

「えっ、そんな、に……わかります…?」

「う、うん……私は結構分かるかな……でも、他の人にはばれてないんでしょう?」

なんだか、ショックを受けているのでどうしようかと悩む。

「え、まあ……はい…」

「そっか、なら大丈夫だよ。可愛い男の子ってことでいいじゃない。それに……」

「それに…?」

「ほら、女子禁止なんでしょ? 先入観もあるんだよ、まさか外朝ここに女の子が、しかも男装してまでいるとは考えてもみないんじゃない?」

「……そうかも…」

納得したように秀麗が呟き、蝶子もまた自分で言ったことに納得していた。

「で、どうしたの?」

「え、あ。お昼ですから府庫で食べようと思って……。あ、蝶子さんも一緒にどうですか?」

「へ? いいの?」

「はい、たいした物じゃないですが」

「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」

じい様探すの面倒だし、劉輝がうっとりと話す饅頭に興味があった。そう言うと、秀麗ちゃんはなぜか嬉しそうにてきぱきとお茶の準備をしてくれた。
やがて、邵可さんもやって来て、三人でお弁当を頂いた。

「そういえば、燕青くんはどうしたんだい?」

「工部に行ってから来るって言ってたから、後から来ると思うわ」

二人の話からすると、また誰か来るらしい。そんなことを考えながら、秀麗が淹れてくれたお茶を飲むと大変美味しくて、ホッとする。
邵可は昼食を取ると、仕事があるからと個室へ行ってしまい、二人は向かい合ったままお茶をしていた。
しかし、劉輝や邵可さんたちが自慢するのも分かるくらい、秀麗ちゃんのご飯美味しいな。
思わず、じーっと秀麗を見つめていると、視線に気付いたらしく目が合った。

「……ど、どうかした? 蝶子さん」

「んー、劉輝が嫁にーっ!って言う訳だなぁってね。こんなに料理が上手で賢くて、明るいし、可愛いし、お嫁さんにしたいわね」

「よ、嫁って……あの、りゅ、主上はなんて言ってるんですか? 私のこと……」

「んー? 秀麗ちゃんは自分のお嫁さんになる娘だーって言ってたよ。でも、お嫁さんだったんだよね?」

「……え、あ、はぁ……一時期ですが……」

「ふーん……」

秀麗が少し目を泳がせながら話すのを蝶子はただ相槌をしただけだった。ただ一言だけの返事に、答えた秀麗の方がキョトンとする。

「あ、あの……」

「うん?」

「理由……聞かないんですか?」

「なんで?」

「なんで、って……えと…」

まさか聞き返されるとは思ってなくて、秀麗はどう言えばいいのか分からなくなる。その様子に蝶子は肩を竦めた。

「言いたくないようなことは聞かないよ。それにそれは本人たちの問題であって、私には関係ないじゃない。劉輝は幼なじみだけど、小さい時しか知らないし、二人がなんで別れたとかには多少は気になるけどね」

軽くウィンクすれば、秀麗は微苦笑した。とそこで後ろから大きな声が聞こえて来た。

「あー、腹減ったァー。姫さ……秀、飯くれぇ〜」

振り向けばそこに、熊がいました。

「…………熊?」

思わず、零れた言葉に目の前の熊さんはポリポリと頬をかいた。

「ひっでぇな、熊じゃないって!」

「あ、ごめんなさい。思わず」

「思わずって……」

「ほら、だから髭くらい剃りなさいって言ってるのよ」

つい、出した本音にその熊さんは苦笑いしながら話すが、なんともいい人っぽいのが分かる。だが、秀麗が髭を剃れ。というのは分かる気がする、だってただでさえ暑いのにむさ苦しいから。

「あ、蝶子さんは会うの初めてよね? 一緒に戸部で働いているの。燕青、蝶子さんよ」

「あ、どうも。霄 蝶子です」

「俺は浪 燕青。燕青でいいから。んで、なんで蝶子姫さんはここにいるの? 一応、ここ外朝だけど大丈夫なの?」

「あー、燕青、姫とかやめて。そんなもんじゃないから。ちょっと幼なじみにね、会いに来てるというかなんというか……」

「答えになってねーけど、ま、いっか」

にかっと笑う顔に思わず、笑みが零れる。とてもいい人だ。
蝶子の笑う姿に思わず、秀麗も燕青とドキッとする。笑うととても可愛い人だ。

「ん? どしたの?」

「いえ、なんでもないです…」

「? そう?」

その後、燕青がガツガツと食べている横で蝶子と秀麗は他愛のない話をしていた。

「え、蝶子さんは霄太師に会うのは十三年ぶりなんですか?」

「うん、もう会うことないと思ってたからね。だから再会したときびっくりしたよ」

まあ、びっくりなんてものではなくて驚愕したが。まさか、異世界と行き来していたなんて。まぐまぐと評判の饅頭を食べれば、なかなか美味しい。

「だから、劉輝に会うのも久しぶりすぎて……ここだけの話。忘れてたもの」

「……はぁ…」

なんだか苦笑するしかない感じである。と、その時、背後から声をかけられた。

「おや、秀くん。ここにいたのかい」

「藍将軍、こんにちは」

「燕青殿も蝶子殿も一緒とは珍しいね」

いくつか書翰を携えて楸瑛が顔を出した。

「どうなさったんですか、藍将軍」

「ん、絳攸に暇なら返して来いって言われてね」

「そうですか」

近衛の将軍、しかも主上の側近を顎で使えるのはなかなかいない。思わず秀麗は微笑してしまう。

「そうだ、今日は夕食会だったね。鴨を持って来たから楽しみにしているよ」

「い、いつもいつも沢山の食材ありがとうございます」

饅頭も美味しく頂き、二人の会話を横目にしながら、蝶子は椅子から立ち上がると、場所を移動しようとした。が、秀麗によって引き止められる。

「蝶子さん」

「ん?」

「あ、あのよろしかったら今夜家に来ませんか?」

「へ?」

「今夜は夕食会で、藍将軍や絳攸様がいらしてみんなでご飯を食べるんです。蝶子さんも是非」

じっと見てくる秀麗に、頬をかき、傍らの楸瑛に目をやればにこりと笑顔を返された。

「えーっと……行ってもいいの?」

「はい、ご都合がよろしければ」

「まあ、多分大丈夫だけど……」

「蝶子殿、せっかく秀麗殿が誘って下さるのだから。行きも帰りも私がご一緒しますし」

「……はぁ、じゃあ、お呼ばれしちゃおっかな」

「本当ですか? 私、腕を振るいます!」

「うん、楽しみにしてるわ」

そう言うと秀麗ちゃんは嬉しそうに笑った。そんなに喜んでもらうとなんだか楽しみになってしまう。

「んじゃ、今夜また会えるんだな」

「ん?」

「俺、今姫さんとこに居候中だからさ」

「あ、そうなんだ。じゃ、またね燕青」

「おう!」

二人に手を振ると、彼らは午後の仕事に戻っていった。ふと隣をみると、顎に手をやり考え込んでいる楸瑛が目に入り、蝶子は小首を傾げた。

「どうかしたの? 楸瑛さん」

「ん、ちょっとね。それにしても夜も君に会えるなんて嬉しいね」

「……そ、デスカ…」

この人、ホストではないかと扱いに困る蝶子であった。
一方、楸瑛と言えば静蘭⇒清苑であることを話すべきかどうか悩んだのであった。

(……気付いて名前を呼ばれたら、大変だからね……)

もし、その場で静蘭が清苑公子だなんて言ったら、静蘭の怒りは間違いなく自分に来るであろう。二人を知る身としてはどうしたものかと悩むのだった。



To be Continued


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