第01話
「──もう、かえってしまうのか?」
「また来年会おうね、ばいばい」
淋しげな声で言われた科白に少女は臆面もなく、手を振ってその場を去った。次の夏が来るのを楽しみにして。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
じーわじーわと湿度も気温も高い夏の日、Tシャツにジーパンを身に着けた十九、二十くらいの女性は汗をかきながら山道と歩いていた。
「なんなの、この暑さ。避暑地の意味がない……」
パタパタとTシャツの襟元を引っ張り、風を送りながらブツブツと愚痴を零していた。だが、それを聞いてくれるのは、真上から照らす太陽と周りに生えている草。
そして、鎖骨の辺りに「蝶」のような痣だけだ。
「……車、使えばよかった〜〜」
ここまで遠かったかと小首を傾げてしまう。小さい頃はもっと近かったような気がするのに、これでは反対じゃないか。
遠くに見える林を抜ければ亡くなった曾祖父が所有していた別荘があった。
この度、二十歳になったことで自分がそれを相続することになり、十三年ぶりにやって来たのだ。
長い黒髪を高い位置で纏めて、紫ノ倉蝶子は顎を伝った汗を拭った。
「……あっつぃ…」
折よくあった木陰で休憩だと考え、蝶子はその下へと座った。持っていたペットボトルをコクコクと音を鳴らしながら、一気飲みをして、少しだけ生き返った気がした。
林の奥に隠れてる別荘の方へ視線を向けながら、蝶子は曾祖父のことを考えていた。
曾祖父が亡くなってもう十三年、別荘に来なくなったのも同じくくらい。
何かを考えてから、蝶子はため息を漏らすと腰を上げて、荷物を片手にまた歩き出したのだった。
ほんの少し、幼い頃を思い出しながら。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ひいじい……どこ行くの?」
皺々の手がゆっくりと蝶子の黒髪を撫で、彼は答えた。
「着いてくれば分かるはずじゃ。それに前にも行ったことがあるじゃろうて」
「……そうなの?」
「なんじゃ、忘れとるのか? 昨年の夏も行ったろう。まあ、着けば思い出すじゃろ」
そう話すと、老人は五歳くらいの少女の手を繋ぎ、茂みの奥へと入っていった。
ガサガサと自分と同じくらいの草を掻き分けるのは大変難儀で、引っ張ってくれる曾祖父の手を幼い蝶子はギュッと握ったのだった。
そういえば、そんな風にいつも曾祖父に連れられて毎年、夏になると別荘に来ていたような記憶がある。まあ、曖昧なのだけど。
元々、まだ曾祖父が生きていた頃はまだ親も祖父母も現役バリバリで働いていたし、曾祖父といってもずいぶん若かったような気がする。
祖父や父が言うには百年位平気で生きそうな爺さんだったらしい。
今考えると、確かに曾祖父というよりは普通に祖父という感じだったな〜。
そんな事を考えていると、ようやく別荘に辿り着いたのだった。
中は意外に涼しく、蝶子はふぅ、と一息ついた。長年誰も使っていない割には綺麗に片付いている。
管理人が片付けとかしていたのかもしれない。じゃなければ、もっと荒れていただろう。
リビングに荷物を置いて、掃除でもしようかとも考えたが懐かしさが込み上げてくる。
「やっぱり、どこか懐かしいな〜」
ガラリと、裏庭へと続く窓を開けると自然にそちらに歩いていく。
「そういえば、この茂みの向こうはじいちゃんとしか行ったことないよーな……」
そこまで考えて、ハテ?と思った。なんで一人で行かないんだっけ?
いっつもじいちゃんに手を引かれて……誰かと遊んだよーな…。一人、二人……二人の男の子と遊んでたよね……
名前、名前……り、り……なんだっけ?
考えながら、茂みに入ってみた。
そうだ、確か……劉輝と清……清苑兄ぃだ!
思い出した瞬間、ぐにゃりと世界が歪んだ。
「えっ!?」
声を上げて、蝶子は視界に映る景色にごしごしと目を擦った。
なんだか、さっきと景色が違う。
ぐにゃりと視界が揺れたような気がしたのだ。
先程まで茂みの向こうは茂みだらけだったのに、なぜか目の前には壁がある。
「ん?」
おかしいと思い、別荘の戻ろうと振り返ると別荘は跡形もなく、視界から消え去り、代わりというのか中華風の建物が目に入った。
「……は? なに、これ……」
そう呟いた時、どこからか声が聞こえなんとなく蝶子は茂みへと身を隠した。
こんなわからない場所で身を晒すのはなんだかいただけない。
すると、バタバタと不思議な恰好をしたおじさん連中が走っていた。
夏だというのに着物のような物を着て……しかも浴衣や仁平などの類ではなく……昔の中国の人が着ていたような服装。
蝶子はますますわからなくなった。
(なに? ここいらの人はああいう恰好なの? いや、まさかっ!)
ぶんぶんと頭を振り、蝶子は彼らの様子を伺っていた。
『霄太師はどこへ行ったのだ!』
『超梅干し、家族の為にも手に入れねば』
霄太師?超梅干し?なんだそれは?と蝶子は首を傾げるしかなかった。
しかし、彼らは一致団結をし『霄太師〜!』と声を張り上げて走っていった。
「しょーたいし?」
本当になんなんだ?と呟けば背後から声をかけられた。
「そこにいるのは誰じゃ……ん?」
「へっ? い、いつの間に!?」
さっきまで誰もいなかったはずなのに、しかも気付かないなんて!と振り向けば白髭豊かなお爺さんがいた。
しかもじーっと見つめられ、顔をしかめるとボソリと呟かれた。
「おぬし、蝶子か?」
「はっ? なんで名前っ……!?」
「おおっ! 元気にしておったか〜!!」
そう言うとお爺さんはギュウッと抱きしめて来て、蝶子は訳が分からず、悲鳴を上げることすら出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
白髭豊かなお爺さん、もとい霄太師によって蝶子はどこかの一室へと入った。
部屋に入ると霄太師は、何気ない仕種で腕を水平にないだ。
これでしばらくはこの部屋は人の視界に入らない。
その訳のわからない様子に、ただただ蝶子は首を傾げるだけだった。
「あ、あのぅ〜…」
「おお、すまなかったな。今、茶でも出そう。梅茶でよいか?」
「いえ、別にお構いなく……じゃなくて! ここどこですか!? そして、なんで私の名前知っているんですっ!?」
テーブルらしきものに手を置き、蝶子は霄太師に食ってかかった。その様子に霄太師淋しげな顔をした。
「ここは『彩雲国』じゃ。名前は知ってるもなにも、わしが付けた名じゃからな」
「……はっ?」
「だから、わしが付けたんじゃ。それに、生れつき胸元に蝶のような痣があるじゃろ」
「な、なんで知って!?」
ちょん、と肌を突かれ蝶子はズサズサと後ずさった。
そして、ぐるぐると一気に頭を動かしていく。
小学生の時に作文かなんかで自分の名前について出された時、由来を聞いてみたことを思い出す。
『ああ、蝶子っていうのは曾お祖父ちゃんが付けたのよ』
『そうそう』
『なんか嬉しそうに笑っていたよな? じいちゃん。この子なら舞って飛んできそうだとか、俺、じいちゃん何言ってんだとか思ったぜ』
『父さんは変わり者だったからな〜』
そう話す両親、祖父母たちに蝶子はふーんとしか言えなかった。
もうあまり覚えていたかったこともあったし……。
しかし、目の前でそう話すお爺さんの目は嘘は言っていない。もしかして、これは曾祖父なのか?
「あ、あのぅ〜私の苗字って分かりますか?」
「なんじゃ? 紫ノ倉じゃろ。紫ノ倉蝶子」
「……もしかして、ひいじい…?」
「懐かしい呼び名じゃのう。そうじゃ、そなたらの世界で言うならわしは昔、紫ノ倉霄一と名乗っておったわい」
ぐらりっ…とまた世界が廻るような気がした。
お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん
蝶子は死んだはずのひいじいちゃんに会ってしまいました。
───見知らぬ世界で。
To be Continued