第19話

天に舞う蝶

その日は結局、全員で離れに泊まらせてもらうことになった。
泊まるといっても、あと数刻ほどしか寝る時間はなかったけれど、徹夜よりは遥かにましだった。
蝶子は客間に通されながらも、なんだか眠れずにいた。
先程の事がやはり気掛かりというか、はっきりしないのはモヤモヤしてしまう。
いつもならそんなに気にする方ではないのに……たぶん。
ゴロゴロとベッドの上で転がりながら、四角い枕を抱きしめる。

「…………。あー、ダメだ! やっぱり聞きに行こう!」

起き上がると、寝間着のまま蝶子は部屋から出たのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


劉輝の泊まってる部屋の前まで行くと、ボソボソと話し声が聞こえた。

(……ありゃ、誰かいる…)

参ったな……とぽりぽりと頬を掻いた。さすがに立ち聞きは悪いな、と思い踵を返そうとしたら、バンっと扉が開き、にゅっと伸びてきた手に中へと引きずり込まれた。

「何者だっ……!って蝶子!?」

「ギブッ! ギブッ!!」

ギリギリと首を腕で絞められ落とされそうになるのを、蝶子は必死でその腕を叩いた。

「あっ、わ、わりぃ」

「ゲホッ、ゲホッ! ちょっ…何するのよ!……っ!?」

蝶子は首を絞めてきた燕青を見て、絶句した。

「蝶子? おーい、どうしたー?」

「……燕青、だよね? えっ? な、なにそれっ!?」

驚くのも無理はなかった。だって燕青といえば熊。熊といえば燕青。そんな方程式が頭の中に組み込まれていたのに(笑)
それが、いきなりスラリとしたカッコイイお兄さんになっているのだ。

「蝶子、余も見た時は驚いた…」

蝶子の気持ちを汲み取ったらしい劉輝は、彼女の肩をポンと叩いた。

「だよね! え、本当に燕青? 別人じゃないの!?」

「ヒデェな〜。髭剃って、前髪切っただけだろぉ」

「ビビるわよ! 何よそれ、眼鏡取ったら超美形みたいなオチはっ!!」

それは眼鏡より仮面だろ。と燕青は心の中でぼやいた。さっきから主上といい、蝶子といい酷い言われような気がする。

「ところで蝶子は何してるんだ? こんな時間に」

「んー…ちょっと劉輝に聞きたいことがあって。って、そうそう燕青にも聞きたいのよね。追われてた理由」

さっき庭院でうやむやにされたままだったし。そう話す蝶子に燕青はガシガシと頭を掻いた。

「あー……っと、話さなきゃダメか?」

「……まあ、無理にとは言わないけど……。話したくないならそれでいいよ」

「んー、まあ、話したっていいんだけどぉ……蝶子さ、俺が茶州州牧って言ったら信じるか?」

「…………は?」

燕青の発言に蝶子は首を傾げた。やっぱりそんな反応かと、燕青は苦笑いをしながら、説明しようとするが

「えーっと、州牧って何?」

「え?」

「だから、州牧ってなによ?」

劉輝と燕青は顔を見合わせた。州牧を知らないって……。

「蝶子、茶州は分かるよな?」

「さしゅう……さしゅう…?」

うむむ、と考え頭の中を「さしゅう」という言葉が廻る。
確か、じい様と府庫で読んだ本の中にそんな言葉があったような……。

「あっ! 茶州ね。甘露茶が美味いっていう」

「……蝶子、そんな認識なのか…」

「……ま、まあ、いいや。それでその茶州の長官っていうのが俺なんだが……」

「ふーん、燕青って偉いんだね」

本当にへぇ、と関心している蝶子に燕青は笑いたくなった。
自分でも茶州府長官だなんて笑いたくなるのに、びっくりされるどころか「へぇ」としか言わない蝶子に可笑しくなる。

「それが燕青が狙われてた理由?」

「まあ、そんなこった」

「偉い人は大変ですなー」

ますます可笑しくて笑いそうになる。簡単に言ってくれるものだ。

「で、蝶子は? 主上に何が聞きたかったんだ?」

「んー、まあ、劉輝には明日……ってもう今日か。寝てからの方がいいかも」

なんだか眠そうに見えたので、静蘭さんの事は後で聞き出そうと思ったのだった。

「なんか、ごめんね。話してる時に乱入しちゃってさ。じゃあ、劉輝おやすみ〜」

「うむ、おやすみなのだ」

「では、俺も失礼します」

挨拶をして、部屋から出ると蝶子は背伸びをした。

「……くはぁ…やっぱ眠いわ…」

「まあ、もう朝って感じだからな〜」

「全く、普通だったら枕を抱っこして夢の世界よ」

廊下を歩きながら話していると、燕青が笑いながら「巻き込んで悪かったな」と頭を撫でた。

「本当に何事かと思うわよ」

「でも、帰りに襲われるよりいいだろ」

「……確かに嫌だわね」

くしゃくしゃと頭を撫でられ、片目をつぶると、角から声と共に静蘭が現れた。

「燕青、その汚い手を除けろ。蝶子さんが迷惑しているぞ」

「お、静蘭」

「あ、静蘭さん」

「なんだよ、静蘭。蝶子と仲良いのが羨ましいのか〜?」

何気に静蘭が蝶子を気にしているのに気付いていた燕青は、後ろから蝶子を抱きしめながらニヤニヤ笑った。

「ぐはっ! 燕青、重いって!!」

自分よりも遥かに背が高い燕青にのしかかれ、蝶子は前のめりになる。

「蝶子さんっ!」

ベリッと蝶子から燕青を剥がし、「大丈夫ですか」と問うた。
その姿に蝶子は既視感を覚えた。昔、小さかった頃にこんな風にされた記憶がある。あれは──、清苑兄ぃだった。
パチン、と欠けていたピースがはまりそうになる。
じーっと蝶子は静蘭を見つめた。

「……ちょ、蝶子さん…?」

「……静蘭…せいらん……せい…せい……せいえん…?」

ぶつぶつ呟き、なんとなく最後に発せられた名は「静蘭」ではなく「清苑」だった。
途端、腕をギュッと握られたので顔を上げると、ぐいっと引っ張られた。

「えっ、ちょっ……」

「おいっ、静蘭っ……」

掴まれた腕がキリキリと痛い。思いがけない強い力で引っ張られている。

「あ、あのっ……せ、静蘭さんっ……」

「…………」

先ほどまで騒がしかった庭院は嘘のように閑散としていた。
賊が入り込んだせいで庭木で荒れたらしく、最初に見た時の庭院とはほんの少し違う。

「い、痛い、痛いですって! 静蘭さんっ!!」

掴まれた腕をどうにか振り払うと、足早で歩いていた静蘭がようやく止まってくれた。
すりすりと掴まれた箇所を摩ると、止まったままの静蘭に声をかけた。
ずっと、あった違和感。そしてどこか懐かしさがあった。
先ほど口から零れた名を紡ぐ。

「……せい、えん…にぃ…?」

その名を紡いだ瞬間、目の前にいる「彼」の肩が揺れる。が、そんなの蝶子にはどうでもよかった。
それは確信。とても嬉しくて堪らない瞬間。だって、生きていた。

「清苑兄ぃ!」

ギュッと後ろから抱き着けば、彼は驚きを隠せなかった。

「……蝶子…」

そう「彼」に呼ばれるのになんの違和感はなかった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


目の前でぶつぶつ呟いていた、妹のように可愛がっていた彼女が最後に自分の真名を言った途端、彼は彼女の腕を掴んでいた。
思わず、というか、どうするつもりでいたのかは解らない。強いていえば条件反射のようなものだった。
そう、本当の自分を知る者を始末しようかと。
しかし、彼女は何も知らない。どこか自分たちの世界には関係ないような気がしてならなかった。

「い、痛い、痛いですって! 静蘭さんっ!!」

バッと掴んでいた腕を払われた。気付けば、庭院まで来ていたのだ。さすさすと摩る音が耳につく。そして──

「……せい、えん…にぃ…?」

彼女にそう呼ばれたことに、懐かしさに身体が反応してしまった。
かつて、子供特有の高い声がそう呼んでくれていた。可愛い、妹のような少女。

「清苑兄ぃ!」

次の瞬間、かつて呼ばれていた名前と共にギュッと後ろから抱き着れた。
驚かない訳はなかった。だが、またそう呼ばれることに嬉しさが込み上がる。
回された手を掴みながら、他人行儀ではなく、慈しむように、昔のように呼んだ。

「……蝶子…」

ようやく、もう一人の幼なじみと再会出来たのだった。




To be Continued


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