最終話

天に舞う蝶

騒動の後に、静蘭さんが清苑兄ぃと知り、驚いたのは言うまでもなかった。
もっと話をしたかったが、追ってきたのか燕青が現れ、なにやらニヤニヤしていた。

「どしたの? 燕青、そんなに笑って」

「いや、別にー」

「……」

そう言いながらも含みのある笑い顔は、気になるものだ。
隣の清苑兄ぃ、基静蘭さんなんかいらついているのが解る。

「……なんか、燕青、勘違いしてない?」

「は?」

「静蘭さんとはちょっと話があっただけだから、気にしなくてもいいよ。それに」

「それに?」

「そのにやけ顔、せっかくいい男なのに気持ち悪いよ」

「きもっ……」

「ぶっ!」

蝶子の言葉に言われた燕青は呆然とし、静蘭は吹き出したのだった。見れば、もう空が明るくなって来ている。

「それじゃあ、私先に戻るね」

「おぉ」「えぇ」

欠伸をしながら蝶子はそう告げると、二人は頷いた。
蝶子がすたすたと歩いていく姿を見送りながら、燕青はポツリと呟いた。

「……静蘭、」

「なんだ……」

「蝶子って面白れーな!」

「……まあ、そうだな」

初めて会った時から不思議な少女だったが、本当に変わらない。
同じようで、どこかが、自分たちとは違う少女だ。

「そういえば、用件は終わったか」

二人は顔を見合わせ、会話をした。
互いが離れてからの数年、そして短い間だが、共に過ごした時のことを思い出しながら。

蝶子は客間に戻ったものの、今から寝たのでは起きれないような気がしてならない。
とりあえず、今日は王宮ではなくじい様の屋敷で寝ていようと決め、今少し起きていようと思ったのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


皆が起き、劉輝は朝議がある為、楸瑛と絳攸とで王宮に戻ることにした。
秀麗の屋敷の前で、挨拶を交わした時、蝶子は昨日買った簪を思い出した。
本当にただの偶然だった。
彼女はこれから、官吏になれるかもしれない。でもそれは果てしなく荊の道である。
前途を祝してとか、そんな大層なものではないが、記念にと小さな花があしらわれた簪を贈った。

「え、蝶子さん?」

「本当はね、昨日私も劉輝と一緒に遊びに来る予定だったの。それでお土産って思って買ったんだけど……乗じたみたいになったわね」

「……」

「夢が叶いそうなんでしょ? 応援してる」

頑張って、なんて、もとより頑張ってる秀麗ちゃんにはなんだか言えなかった。
きっと言わなくても彼女は人知れず頑張っていただろうから。

「……ありがとうございます、蝶子さん」

なんとなく頭を撫でてあげた。
この子は本当にすごいと思ってしまう。
無理をするな、とは言える程簡単なことではない。無理をしなければならない世界に飛び込むのだから。

「気にしないで、……もうすぐ会えなくなるし」

「え?」

「ううん、なんでもない」

最後の呟きは聞こえなかったみたいで、ホッとしたが、周りにいた劉輝、静蘭、燕青、楸瑛には聞こえたようで蝶子は肩を竦めた。
王宮まで一緒に行こうという劉輝に、眠いからじい様の屋敷に帰るというと悲しげな顔をされ、苦笑する。
本当に弱いんだけどな、その顔。
でも眠いし、会話も出来そうにないからと断って帰る事にした。明日は行くからと約束をして。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


屋敷に戻ると、蝶子は湯浴みをし、寝台へと寝転がった。
もうすぐ、夏が終わる。
天井を眺め、瞼を閉じた。
十三年ぶりに再会したじい様、そして幼なじみ……嬉しく思うも、なんでこんな不思議体験を?と思う。
一体、じい様って何者なんだろうか……今更ながらそんなことを思いながら、夢の狭間へと蝶子は落ちていった。


夜、カタンと物音がして蝶子は眼を覚ました。
いつの間にかゆらゆらと揺らぐ行灯に、一日寝ちゃったよ、と笑う。そして──

「いくらじい様でも年頃の娘の部屋に入るのはダメだよ」

「そうなのか?」

「そうだよ、お父さんやお母さんだってもう入らないよ」

「それは淋しいのぅ」

ゆっくりと現れた霄太師に蝶子はクスクスと笑い、問うた。

「どうして教えてくれなかったの?」

「何がじゃ」

ニタニタ笑う姿に蝶子はややムッとなった。

(わざとらしいなぁ……)

「なんでもないわ、それより夏休みがもうすぐ終わりそうなんだけど……後どのくらい?」

こっちにいられる?と問えば、霄太師は白く長い髭を扱きながら答えた。

「そうじゃな、後一週間くらいじゃろうて。そんなに帰りたいのか?」

「まあ、こっちも楽しいっていえば楽しいかもしれないけど……やっぱり無理かな〜ってね」

苦笑混じりに蝶子は言うと、霄太師は仕方ないのう、と頭を撫でた。
現代っ子の蝶子にとっては、こちらの暮らしにはやはり馴染めない部分が多い。

「でも、ま、あと一週間はみんなと楽しく過ごすよ。帰る時……じい様が何者かちゃんと教えてよね」

「どうしようかのぉ〜」

霄太師は滅多にない、慈しむような微笑をすると蝶子の頭を撫で、部屋から出ていったのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数日後、蝶子はいつものように府庫にいた。
劉輝が執務してる間、邵可さんと時折会話をしたり、お昼休憩の秀麗、燕青そして、元の部署に戻った静蘭とご飯を食べたりしていた。

「蝶子さんは、これからも霄太師と暮らすんですか?」

秀麗の手作り饅頭を食べていると、隣にいた秀麗に訊かれたのだった。

「へ? あー…ううん、もうすぐ帰ることになってるよ」

「えっ? か、帰るって何処に?」

蝶子の言葉に秀麗も静蘭も燕青も驚いた。だが、彼女は平然と答えたのだった。

「何処って、自分の家よ。やっぱり、こっちは落ち着かないっていうか……やっぱり違うのよね〜」

「……主上は知っているのですか?」

静蘭の言葉に、蝶子は微苦笑した。まだ言ってない、タイミングがなかなか取れないのだ。

「んー……でも、今日辺り言おうかなって思ってた」

「また会えますよね?」

秀麗の言葉に、ハッと顔を上げた。そんなこと考えてもいなかったから。

「……蝶子さん?」

秀麗も静蘭も見てくる。蝶子は頷くこともしないで「会えたらいいね」と笑うのだった。
静蘭は、彼女とは年に夏しか会えなかったこと、十三年ぶりに会えたことを考えて分からないのだと悟ったのだった。

「蝶子、また会おうぜ。その方がいいだろ」

燕青は頭をくしゃくしゃしながら、蝶子を撫でたのだった。
きっと、明日には会えないような気がしたから。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


夕方、劉輝と楸瑛、絳攸と一緒に府庫でお茶をした。多分、明日明後日には帰るだろうと思い、蝶子は劉輝に伝えた。

「劉輝」

「どうしたのだ、蝶子?」

いつもとなんだか違うのに楸瑛も絳攸も顔を上げた。

「私、多分明日か明後日に自宅に帰るね」

その一言に楸瑛、絳攸は意味が分からなかった。帰るって、彼女の邸は霄太師の自宅だろうに。
だが、劉輝は静蘭が思っていた事と同じことを考えた。
引き止めることは出来ない、彼女はそういう感じがして劉輝は何も言えなかった。
ただ、言えたのはボソリと明日の夜、三人で、とのことだった。
三人、それは誰を指すのか互いによく分かっていた。

翌日の夜、懐かしい遊び場に、十三年の時を経て一人の女性と二人の男性が顔を逢わせた。あの頃は、少年少女だったのに。

「……この三人で集まれるなんて思わなかったよ」

蝶子は笑いながら話す。静蘭を見て笑うと、彼は訝しがった。

「だって、劉輝はもう清苑兄ぃはいないっていうから、てっきり死んだと思ってたんだよ」

「あ、そ、それは……」

静蘭にジトリと見られ、劉輝はわたわたする。そんな光景が面白くて蝶子が笑い

「でも、生きていたならそれでよかった」

あまり見せない笑顔に、静蘭も劉輝も懐かしい笑顔だと思い笑った。
そう彼女はいつも楽しそうに笑ってくれた、自分たちに対して。
決して気取らず、他意などなく自分たちを見て、真っ直ぐ明るい笑顔を。
そんな彼女を二人は好きだったのだ。
三人は小さな頃のように地面に寝転がり、満天の星を見て過ごした……あの頃のように。
そして、天球が動き、朝になるまで話したのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


別れの朝、その場には霄太師しかいなかった。
帰る姿を見られる訳にはいかないからだ。

「痣はまだあるのか?」

「痣? ああ……この痣、意味があるの?」

Tシャツを少し引っ張り、胸元にある蝶の痣を眺めた。

「……そなたは揚羽の血を継ぐ娘だからな、」

「揚羽って……ひいばあちゃん?……意味が分からないんだけど……?」

「分からなくてもいいんじゃ。その痣がある限り、いつでも飛んでこれるんじゃから、また来なさい」

曾祖父の言葉に蝶子は訝しがりながら、微妙な顔をした。
十三年ぶりに幼なじみ(忘れていたが)にも会えたし、可愛い友達も出来た。ついでな変な人たちとも知り合った。しかし……

「あー……遠慮します」

蝶子はそう言うと、普段、人が入る事が出来ない仙洞宮へと入った。
後ろでは曾祖父である霄太師が「つれないのぉ」とブツブツ言っていたが無視をした。

「ねぇ、じい様? 結局じい様って何者なの?」

「秘密じゃ、知りたければまた来るがよい」

ニヤニヤ笑う曾祖父に蝶子はムッとする。

「まあ、いっか。じゃあね、じい様。元気でね」

「蝶子もじゃぞ」

少し淋しそうな顔をしていたが、蝶子は手を振った。
中央へと進むと、キラキラと輝く光りのような、粉のようなモノが身体を包み、一気に視界が真っ白になった。
それが消えると、馴染みのある緑の木々の色、鬱蒼と茂る草が目の前に広がった。
頭をゴキゴキと馴らし、振り返れば、懐かしい別荘が目に入った。

「…………はぁ…」

とりあえず戻れた事にホッとした。うーん、と身体を伸ばして蝶子は別荘の中へと入った。
ふと、蝶子は胸の痣を見た。「蝶」の形をしているそれはパタパタと羽ばたいていたように見えたのだった。





『──痣がある限り……』

消えた蝶子がいた場所を見ながら、霄太師は笑った。

「やはり、揚羽の血を引くだけあるわい」

我が生涯で唯一の妻、揚羽。
彼女もまた蝶子と同じように胸元に「蝶」のような痣を持っていた。
それ故に、自分と出会い、子を授かった。彼女は渡る力を持っていたが、やはり受け継がれていたらしい。

「……また来るといいんだがのう…」

そう呟いた彼の様子は、とても淋しそうだとは誰も知らなかった。

END


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