第05話
去っていった秀麗と入れ違うかのようにバタバタと走ってくる足音が聞こえた。
「蝶子っ、ここにいたのか……ん?」
「あ、うん。邵可さんにこっちの本がいいだろうって言われて…………なにしてんの?」
入って来た劉輝に答えるも、その彼はキョロキョロと辺りを見渡したり、違う書棚を覗き見したりしている。少し、挙動不審だ。
「いや、秀麗の気配がして……」
そうぼやく劉輝に蝶子は眉を寄せた。「秀麗」というのはさっきの女の子の名前。
もしかして、知り合い?でも秀麗ちゃんは秘密にして。と言ってたし。知らないふりをしよう。
「誰、それ?」
「秀麗は秀麗だ」
「いや、だから、私は知らないから」
友人なのかな?と考えたが、何か違うような気がする。劉輝の様子は……。
「秀麗は余の妻になる娘さんだ」
「…………婚約者なの?」
きっぱりという劉輝に蝶子はへぇと相槌をしながら訊いた。
「……いや、そういう訳じゃ…」
「ん? え、なによく分からないんだけど……嫁になるんだったら……あ、えーっと、片思い、とか?」
少しもそもそ話す劉輝に蝶子は疑問符が浮かぶ。
「しゅ、秀麗は……元、妻だったのだ……」
「…………は? 元妻? なにそれ、三行半? 離婚?」
「みくだり? いや、違う! そういうのではなく、これから妻になる予定……なのだ」
「………………逃げられたの? しつこいのは嫌われるよ?」
離婚してからもまだ妻にだなんてしつこいのもいいとこだ。
しかし、結婚していたというのには些か驚いたが、王様であることを考えれば普通なのかもしれないし。
そんな風に思っていると、劉輝が喚いたのだった。
「酷いのだ、蝶子! 昔はもっと優しいかったのにっ!!」
「いや、昔のこと言われても……それに人は変わるのよ」
もう十三年前の事を言われても、当時自分は七歳。変わるに決まっているではないか。
蝶子はテーブルに肘をつきながら、やれやれと劉輝を見た。だんだんと記憶を掘り起こしていけば行く程、なんて変わらないのだろうか、この幼なじみくんは。
「主上! ここにいたのですか?」
ぶちぶちといじけている劉輝を眺めていると、藍色の服を着た男の人が現れた。
「どうしたんです、しゃがみ込んだりして……おや? この方は?」
劉輝の腕を持ち、こちらを見てくる男性に蝶子は一礼した。
「あ、どうも。こんにちは」
「え、ああ、こんにちは……」
軽く挨拶されて楸瑛は戸惑った。どう見ても女官の類ではない。ここは主上付きであるのだから、警戒しようかと思えば、あっさり頭を下げられた。
藤色の衣を着た女性を見て、楸瑛は小首を傾げる。新しい女官か、何かなのか?
「楸瑛……蝶子が、蝶子が虐めるのだ〜」
「誰も虐めてないから! 人聞きの悪い事言わないでよね」
「…………蝶子…?」
劉輝が呼んだ名に楸瑛は反応したのを、蝶子は不思議そうに目をやった。
「……そういえば、誰?」
「ああ、彼は楸瑛だ。余の側近なのだ」
「こんにちは、私は左羽林軍将軍、藍 楸瑛と言います。蝶子殿」
「私は霄 蝶子と言います。よろしくお願いします」
蝶子という名に楸瑛は目を見張った。昨夜、静蘭と話題にした女性が今、目の前にいるとは。しかし……なんと名乗った?
「蝶子、こう言ってはなんだが、あまり楸瑛には近づいてならぬぞ」
「ん? なんで?」
「楸瑛は、女ったらしというので珠翠が気をつけるべきだと言っていたからな」
「ちょっ、主上! なに失礼な事を言って……」
勝手に話す劉輝に楸瑛は声を上げるが、見れば蝶子は冷たい視線を向けてくる。
「何をいうか、女官に手を出してはすぐに捨てるから辞めていくと聞いておるぞ」
「…………女の敵ね」
「あ、いや……」
想い焦がれていた訳ではないが、せっかく会えた女性にそんな態度を取られるのは、少しばかり辛い。
というか、優しく手巾を差し出してくれた記憶しかないが、でも、もっとこう……。
「あ、の……私の事、覚えるかい?」
「…………は? ナンパ? しかもなんか古い手ね」
「なんぱ? いや、あの、十年以上前に、私に手巾くれたことなかったかい?」
問い掛けてくる楸瑛に蝶子は目を細めた。十年以上前って言われても……ここに来たのは十三年前の事だ。
清苑と劉輝だってさっき思い出したのに、こんな人(しかも女ったらし)見覚えがない。
「……えーっと、勘違いじゃないですか?」
確か、此処で会ったのは清苑と劉輝だけだ。しかし、ただ単に覚えてないだけなら、なんだか申し訳ないと思い、蝶子は苦笑を浮かべた。
「なんだ? 楸瑛は蝶子を知っているのか?」
「いや、だから、分からないんだけど」
キョロキョロと楸瑛と蝶子を交互に見て、劉輝はボソリと呟いた。
蝶子ははっきり言って記憶がなく、頬を掻きながら答えるしかなかった。
「いえ、会ったことがあるのです。優しく私に手巾を渡して下さって」
「私が?」
思いがけない言葉に蝶子は小首を傾げる。全く覚えてない。だが、楸瑛はにこりと笑って頷いた。
「えぇ」
「なんで?」
「私が清苑公子に剣で負けて、かすり傷を負っていたので」
「兄上だとっ?」
「清苑兄ぃ? しかも負けたんだ」
剣に負けた事まで言った楸瑛は、ゴホンと咳ばらいをして、ごまかした。
「清苑公子は覚えているんだったら静蘭に……」
静蘭の事を言おうとする楸瑛の口を劉輝は慌てて、塞いだ。流石に名前を出したのは迂闊だったと楸瑛も口を閉じたが、ばっちりと蝶子には聞こえたようだった。
「せーらん?」
「あ、蝶子……実は…」
流罪になった"清苑"が静蘭という名を変えている事を話そうとした時
「きーさーまーらー! いつまで油を売っているつもりだーっ!」
新たに人が増えたのだった。怒鳴りながら入って来た、これまた美形に蝶子は(なんだこの国は)とため息を吐きたくなった。
「こ、絳攸っ! いや、まだ休憩では?」
「何を言っている! そんなもん、とっくに終わっているぞ! 楸瑛、お前何をしていた! 見つけたならさっさと主上を連れて来ないかっ!」
「あ、いや……その……」
現れたこれまた綺麗な人は国王──であるはず──の劉輝と、楸瑛に怒鳴っていた。
(……劉輝って王様なのよね?)
ガミガミと叱られている姿を見て、騙されているような気分になった。
一通り説教が終わったのか、蝶子の視線に気付いたのか、絳攸と呼ばれていた美形がこちらを向いた。
「……コイツは誰だ」
「あ゙?」
初対面の人にコイツ呼ばわりはなんだか腹が立ち、ついつい口調が乱暴になった。凄みのある声に絳攸はうっ!と身じろいだ。なんだか妙な圧力がある。
「ちょ、蝶子……どうしたのだ? あ、紹介しよう。余のもうひとりの側近、李 絳攸だ」
少し雰囲気が変わった蝶子に劉輝は恐る恐る絳攸を紹介した。
「……ふーん」
「こ、絳攸! 蝶子だ。余の友人で、小さい頃よく兄上と三人で遊んだのだ」
「李 絳攸だ」
「霄 蝶子よ」
互いに名前だけの挨拶をした。蝶子のいらつきが絳攸に移ったのかも知れなかったからだ。
「霄? 霄と言うのは霄太師の血縁か何かか?」
また、あのじじいが出て来た。とばかりに蝶子はため息を吐く。
「ええ、まあ、血縁というか孫ですからね」
「霄太師、結婚していたのかっ!?」
「霄太師の孫っ!?」
なんで霄太師の孫(正確には曾孫だが)というだけでそんなに驚かれなくてはならないのだ?蝶子はふとそんな風に思い、天を仰いだ。
「……ねぇ、聞いてもいいかしら?」
「どうしたのだ?」
「なんで、じい様…霄太師の孫ってだけでそんなに憐れむような視線を向けられなきゃなんないわけ?」
テーブルをトントンと指で叩きながら訊くと、劉輝たちは微妙な顔をした。
「あ、いや、そんなつもりではないのだが……」
「そ、そうそう、あの霄太師にこんな美しい孫がいるとは思わなくて……つい…」
「……」
答えになってないと思い、蝶子は深くため息を吐いた。なんとなく考えるだけ無駄な気がしてくる。
そういえば、おじいちゃんたちもひいじいは食えない人だと言っていたしな。
「……んー、まぁ、いいわ。さて、劉輝は仕事あるんじゃなかったっけ?」
「うっ!」
「ほらほら、さっさと行ったら?」
「……せっかく蝶子に会えたのに、蝶子は冷たいのだっ!」
ひらひらと手を振れば、劉輝はめそめそしながら言った。しかし、さすが側近というのか絳攸は劉輝の腕を掴んで連れて行こうとしている。
「別に冷たくないから。やることやってからゆっくり話しましょう」
そう言って笑うと劉輝も絳攸も楸瑛すらも、ポカンとした。
「ん? どしたの?」
「……いや、そうだな! うむ、さっさと仕事を終わらせるのだっ!」
劉輝はそう言って走り出してしまい、絳攸は「待てっ!」と叫びながら追い掛けていった。
「なんなの?」
蝶子はまだいる楸瑛に目をやると、彼はにこやかに笑った。
「君の笑顔が素敵だったからだよ」
「…………」
寒くなりそうな科白に蝶子は顔を引き攣らせたのだった。
「…………楸瑛さんも早く行ったら?」
「そうだね、またね」
ぱちん、とウィンクしていく彼に蝶子は力が抜けた気がした。
「…………どうも合わないな…」
ポリポリと頬を掻いて、新たな本を手に取ると、邵可に呼ばれるまで蝶子は本に没頭したのだった。
To be Continued