紺色の天に浮かぶ満月
「夜なのに明るいね〜」
「今夜は満月だからな」
「こんなに明るいんだもん、送らなくたっていいのに」
「いや、そういう訳にはいかねぇだろ」
傍らにいる若葉に向かって、燕青は苦笑した。隣にいる若葉は、「そうお?」と小首を傾げている。
藍州から帰還して、紅 邵可邸に入るのは些か抵抗があった。
なんせ主である邵可も娘である秀麗は藍州へ、そして唯一の家人である静蘭は宮城に篭りきりだったからだ。
物凄く荒れ果てているだろうと、思われた邸は全くそんな事はなかった。
理由は、といえば、目の前を歩く少女が静蘭に捕ま……頼まれて邸を守っていたらしい。
感激した秀麗は御礼にと夕飯に誘ったのだった。
「ご馳走様でした。美味しかったよ、秀麗」
若葉はパンッと手を合わせて頭を下げ、礼を言った。
「ううん! 若葉には感謝してるわ! だって私たちがいない間、屋敷を見ててくれたでしょう! 心配してたから、朽ち果ててるんじゃないかって。本当、ありがとう」
「あー…そんな気にしないでいいよ」
だって、あの、静蘭に笑顔で頼まれたんだよ?
断ったら怖いじゃない……。
ふと静蘭を見れば、超素敵な笑顔で見ている。若葉はヒクッと顔を引き攣らせてしまった。
「あっ! 私そろそろ帰るねっ! うん」
「えっ、もう!?」
「う、うん! 秀麗にも邵可様にも燕青にも会えたし、名残惜しいけど、あは!」
ガタンっと立ち上がって、礼をする若葉に秀麗は名残惜しくなりながら、もう暗いからと燕青に送っていくよう頼んだのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
天穹にある月が光りを放つせいか、今宵は星があまり見えない。
薄蒼い世界は、淡い光りが木々や建物に降り注ぎ、濃い影をつくっていく。
「……ねぇ、燕青は月にウサギがいるって知ってる?」
若葉の突然の問いに燕青は小首を傾げた。──ウサギ?
「……は?」
若葉は肩より少し下くらいの髪を翻しながら、笑った。その笑顔は月明かりを浴び、とても神聖なものに見える。
「だから、月にウサギ」
「ウサギって……」
「私がいたところではね、昔は月にウサギがいるって信じられてたんだよ」
「んで? ウサギは月でなにしてるんだよ」
目の前をくるくると回り、何か歌いながら話す若葉に笑いながら、訊く。
「んー、餅搗きしてるんだって」
「へぇ、食いてーな」
「あはは、そういうと思った」
笑いながら、若葉は天を見上げた。手を翳しながら、ボソッと呟く。
「…………同じ、なのにな」
この世界に来てから、とうとう自分が知ってる原作まで来てしまった。
つい弱気になってしまうのは夜だからなんだろうか。
月に手を伸ばそうてして、つんっと袖を引かれた。
「……燕青?」
「…あ、いや……」
振り向けば、燕青がすぐ近くにいて驚いてしまう。
間近にある燕青の眼に、眼を逸らした。思わず、胸が高鳴る。
元々、こちらに来る以前から小説の中で1番好きだったのは燕青だ。
だからといって「恋」とかそんなのではない。所詮二次元の世界の人に恋をしたって痛いだけだ。
──でも、今、眼の前に……触れる場所にいる。
これ以上、近づいてはダメだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
顔を逸らした若葉に燕青は眉間に皺を寄せる。
いつだって、彼女はそうだ。
誰も、秀麗ですら踏み入れる事を許さない世界を持っている。
そんな彼女を、いつしか知りたいと思ったのはいつだっただろうか?
「あ、で……何?」
「あー…いや、何となく」
「……そ」
夜風にさほど長くもない髪が靡いていく。
月の光りに照らされた髪は、きらきらと光っていて、綺麗だと思う。
白い肌も、月の光りを浴びているのに発光しているように見える。
(……見てる分には、美人なんだよなぁ)
眼の惹く容貌は初対面の人を惹きつけるが、話すとその外見と中身の違いに驚きを隠せない。
それでも、彼女は周りから好かれていた。本人は何かと嫌がっているが。
「…さ、早く帰ろう……っと!」
「……あっ…ぶね…」
クルッと回った拍子に体勢を崩したのか、転びそうになる若葉を燕青は後ろから抱きしめる形で抱き寄せた。
「「………………」」
沈黙が流れ、何も聞こえなかった。互いの鼓動以外は。
パチっと眼が合い、眼が離せなくなる。雰囲気に酔いしれそうになる。
(……まずいっ…)
雰囲気に流れそうになるのを止めるように若葉は顔を逸らす、も顔が赤いのが月明かりで分かる。
燕青はそんな若葉が珍しく、胸が高鳴るのを抑えられずにいた。
「……ごめん、ありがとうっ」
パッと離れようとする若葉の手をギュッと握る。
「……若葉…」
「…………」
「……こっち、向けって」
それでも顔を逸らす若葉に、燕青は腕を掴んだまま、前に回り込んだ。──やはり、顔が赤い。
可愛いと、触れたいなどと思う気持ちが身体を動かしていく。
「ちょっ……なっ…」
顔を近づけてくる燕青に、若葉の動く片手は素早く袷からあるものを取り出した。
口唇と口唇が重なり合おうとした時、柔らかいものが燕青の口を覆った。
「…………」
「…………」
「ちょ、そりゃねーだろっ!」
「なっ、何言ってるのよ! だいたい何する気だったのよっ!!」
パパッと離れた若葉は燕青に向かって怒鳴るも、燕青はその場にへたり込んだ。
はあー、とため息をついたかと思えば、ちらりと見上げてくる。
「……ったく、流されるくらいしろよ」
燕青の顔がやや赤いのが夜目でも分かる。だが──…。
「なっ、何言って! だ、大体、そんなキャラじゃないでしょうっ!」
(……伽羅?)
キョトンとしながら、若葉を見ると照れ隠しなのか、そっぽ向いている。でも、頬がさっきより真っ赤なのが分かる。
──意識してもらえてるということなんだろうか?
「若葉ー」
「な、なによ…」
「満月の夜に出るのって、なーんだ?」
「……は?」
小首を傾げる若葉に近づきながら、燕青はニタリと笑うと、ガシッと肩を掴まえた。
「え、燕青……?」
「正解は───狼さんだ」
そう言うなり、チュッと軽く口吻けをした。
月が照らす、二人の影が重なり合ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ただいまー」
「早かったな、燕青。ちゃんと送って──送り狼になったのか…」
「……土産残して、逃げられたけどな」
「バカめ」
ため息をついて、静蘭は戻っていった。
燕青は回廊から庭院で出て、夜空に浮かぶ満月を見上げた。
手形のついた頬に月光が照らしていた。
END
For.北村紗夜様
あとがき
【北村紗夜様へ御礼小説】
「緑風の迯水」番外編でございます。
連載してるより遥か未来ですが……。
なんというか、燕青別人で申し訳ございませんっ!
だ、誰なんでしょうか!?この人……。
紗夜様、こんなモノでよろしければお受け取り下さいませ。
素敵な琳麗ちゃんのイラストを描いて頂けて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました!
※北村紗夜様のみお持ち帰り頂けます。
2008/09/19