これからも、どうぞよろしく

久遠の空

「気をつけてね」

「おう、行ってくる。お前も気をつけろよ」

「うん…」

その言葉を交わしたのはまだ春も近い頃だった。
琥漣の城門前で雛姫は燕青と、嘆願書を持った香鈴に別れを告げた。
彼らはこれから新州牧を迎えに行ったのだ。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


数カ月後、秋の初めを告げた頃、新州牧を連れてきた燕青たちは彼らと共に、茶家の騒動を納め、茶州を救ったのだった。
やれやれ、後は州牧の着任式だ、と考えていた燕青は茶州に帰って来てから、ずっと気掛かりだった事をようやく悠舜に尋ねた。
今までは、仕事を優先に考えて、彼女の事は考えないようにと思っていた。

「……あー、悠舜。そういえば、雛姫はどこにいんだ?」

悠舜が金華に現れた時、彼女の姿はなかった。悠舜に聞けば「茶家に捕われないよう南老師に頼んで安全な場所にいますよ」と言っていたが。
一体、どこにいるのだろうか?
この問題が終わるまでは考えないようにいたが、思わない日はなかった。
毎日、会いたいと、触れたいと何度も思っていた。

「そうですね、そろそろ会ってもよろしい頃だと思うのですが、動けるでしょうか?」

その最後の一言に燕青は悠舜にしがみついた。

「な、なんだよ、それ!? あいつ怪我でもしたのかっ!?」

傍にいた秀麗と静蘭もギョッとした。聞いていた会話で雛姫の事と見当をつけていたからだ。

「動けないって、雛姫姉様、怪我しちゃったんですがっ!?」

記憶を失ったとしても、秀麗にとっては彼女は一時一緒に暮らしていた雛姫なのだ。
もっとも、雛姫の記憶は既に戻っていることを知っているのは燕青以外では劉輝と邵可のみ。静蘭は気付いているかもしれない。

「いえ、怪我というわけでは」

「じゃ、病気とか!? 雛姫姉様、身体弱かったし…姉様、どこにいるんですかっ!?」

「落ち着いて下さい。秀麗殿、燕青も」

悠舜はコホンと咳をして、二人を宥めた。

「雛姫は大丈夫です、元気ですよ。今頃は州牧邸にいると思われますよ。でも先ずは燕青一人で会った方がいいかと。燕青、心の準備しておいて下さい」

「な、なんだ!? それ、やっぱなんかあったのかっ!?」

「ふふふ、雛姫に会えば分かります」

にこにこ笑う悠舜に燕青はやや不安になりながら「……おう」と呟いた。

「じゃ、俺ちょっと行って連れてくるから」

「はい」

燕青はそう言って、州牧邸へと走っていった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


燕青が州牧だった頃、はっきりいってこの邸は使っていなかった。
たった一人で住むにはあまりにも広すぎるし、しょっちゅう城に泊まっていたのだ。
雛姫が現れてからは彼女が寝泊まりしていたし、燕青もそれで使うようになっていた。
中に入ると、少し片付いていたのにいるというのが分かってホッとした。

「ひなー? 雛姫ー?」

名前を呼びながら邸内に入るも返事がない。
気配は感じるのに、本当にいるのか?無事なのか?と不安になる。

「燕青……?」

懐かしい声に振り向けば、ちょこんと覗くように扉から顔を出していた。
そして、ホッとしたように顔を綻ばせた。

「ひな、無事だったか」

「うん、燕青こそ大丈夫だった?」

「……ひな、どうした?」

「なにが?」

未だに顔だけを見せ、出て来ない雛姫に燕青は疑問をぶつけた。

「いや、何がって……」

燕青が近寄ろうとすると、雛姫は声を上げた。

「ちょっと待って、燕青」

その言葉にピタッと止まり、燕青は訝しげた。見れば雛姫はやや顔を赤くしたりしている。

「なんだよ、具合でも悪いのか?」

「う、ううん! そんなことはないんだけど……えと、その、燕青って、さ…」

そう言ったままなぜか固まった雛姫に燕青は訳が分からないと首を傾げた。
顔を見れたものの、近寄らせてくれず燕青も困ってくる。
ずっとずっと会いたくて、我慢していたのに、目の前にいるのに触れることが出来ないなんて。

「どうした? ケガでもしたのか?」

我慢出来ずに近寄り、グイッと手を引けばボスッと胸に抱き締めた。

「…え、燕青っ!」

「あー、やった会えた」

腕の中に簡単に収まる雛姫を抱きしめながらいると、なにか違和感を感じた。
グイッと雛姫の身体を引き離して、眺めると燕青は口をあんぐりと開けたのだった。

「ひ、ひひひひな!?」

「え、えへへへへ……」

顔を赤めながら笑う雛姫に燕青は悲鳴に似た声を上げたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「悠舜が言ってた意味がやっと分かった……」

驚愕し、脱力めいた風に話す燕青に雛姫は「ごめんね」と謝ると、燕青は慌てた。

「なんで、ひなが謝るんだ!」

「う、だって…連絡しなかったし…」

燕青は今物凄く忙しい時期だから、負担にならないようにと悠舜を始め、柴姉弟、琥漣官吏たちにも内緒にしてもらった。
そして最後の最後に燕青が知ったのだが、やや不貞腐れていた。

「……ごめんね…? その当事者なのに……」

「ああ、怒ってっぞ。でも自分自身になー」

「……燕青…?」

「一人で怖くなかったか? こういう時こそ傍にいてやりたかったのに……」

真摯な眼差しが雛姫を見つめてくる。
悔しそうな、でもどことなく嬉しそうな雰囲気に雛姫は微笑んで、燕青の腕に抱きついた。

「……そう言って貰えるだけでいいよ」

「……ひな…」

大きな手が雛姫の頬を包み、二人の距離が近づいていく。そして──。

「あ、あのね?」

寸でのところで止められた。

「……」

「えと、…………いい、かな?」

「……ひな?」

「産んでも、いい、かな?」

心配そうに訊いてくる雛姫に、燕青はハッとなり、彼女の肩に手を置いた。

「当たり前だろ、お前は俺の傍にいるって言ったんだからな」

「……よかったぁ…」

ほぅ、と安心したのか雛姫はコテンと燕青に寄りかかった。

「すげー心配したんだぞ。悠舜なんか不安がらせるしよー」

呟くと燕青は雛姫を抱き上げた。

「ちょっ、燕青っ!?」

「いいから、抱っこさせろって!」

「だ、だって、私…重くなってるよ…」

「いーんだって! 実感湧くからさ」

赤くなってしがみつく雛姫を抱きしめながら、燕青は呟いた。

「はぁ、俺、幸せだっ!」

「……燕青、これからも、よろしくね」

「おう!」

雛姫を連れて戻れば、燕青と同じように秀麗も静蘭も影月も驚いたのだった。
悠舜たちは笑っていたが、静蘭が落ち込んでいたのを知っていたのは秀麗だけだった。



END


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