07

今日からマ王

パチンっ、軽い音がして振り返れば有利は唖然としてしまった。

「ユナ……?」

「あ、ごめんなさい」

優奈がコンラッドの左頬を叩いていたのだ。
その行為で自分はとんでもない過ちを犯した事を思い出した有利はサーっと青くなった。
眞魔国の異文化コミュニケーションが染み付いたのだろうか。

「ゆ「ユナ、お前、何をしているっ!」」

「えっ、何って……」

「本気なのかっ? 本気なんだなっ!?」

すごい剣幕で訊ねてくるヴォルフラムに優奈は訳が分からないという風だ。
当たり前だ、彼女はそういう意味で叩いた訳ではないはず。知る訳がない。
それをコンラッドは分かっているはずだから、ない事にしてくれるはずだ。
しかし、それは裏切られた。

「ユナ、嬉しいです」

「へっ?」

右頬を差し出した後、キョトンとする優奈の頬をコンラッドはペチ、と弱く叩き返したのだ。

「──ちょ、なにやってんだよ! コンラッドっ!!」

「えっ? えっ? えっ?」

意味が分からず優奈は頬に指を当て、キョロキョロしていた。無論、親父やお袋、勝利もロドリゲスもだ。
なぜこんな時にトイレに行っているんだ、村田はっ!

「成立だな」

ボソリと呟くグェンダルに有利は「認めない!」と叫んだ。

「何を言っている、ユーリ。二人はきちんと古式ゆかしいやり方で、婚約が成立したんだぞ」

「だーかーらー、それは眞魔国だけだろっ! ここは地球で、そんな儀式なんてないんだっつーの!!」

「なんだと!? だが、ユナはコンラートに求婚をし、ウェラー卿も求婚返しをしたんだ。婚約は成立だ!」

「だからっ「あの〜……さっきからなんの話をしてるの? 成立とか、求婚とかって……」」

ヴォルフラムと言い合っていると、そろぉっと優奈が手を挙げて訊いてきた。

「ゆ、優奈っ! お前、なんでコンラッドの頬を叩いたんだ!?」

「えっ、蚊がいたから、だけど……いけなかった?」

「いえ、俺はかまいませんよ」

チラリ、と何故か隣にいるコンラッドを見上げながら優奈が答えると、コンラッドはにこりと笑って答えていた。

「じゃあ、コンラッドっ! なんで優奈の頬を叩いたんだよ!?」

「つい、嬉しくて」

「なっ!?」「は?」

コンラッドの答えに有利も優奈も声を上げた。

「嬉しくてって……なんで?」

優奈が訊ねたら、答えは前からではなく、背後からした。

「それは優奈ちゃんから求婚されたと思ったから、だよね? ウェラー卿」

「村田」「猊下」

「僕がトイレに行ってる隙に面白い事になっているねぇ」

リビングのドアノブに手をかけながら、たたずむ村田の眼鏡は何故か逆光で目が見えない。
パタンとドアを閉めるとツカツカと近寄ってきた。

「えと、村田くん? さっきの「もしかして、優奈ちゃんと名付け親さんが婚約したの?」」

優奈が聞こうとした時、ぱあっという効果音と共に渋谷 有利の母、渋谷 美子は両手を合わせていた。

──まずい。

直感的にそう思いながら、説明しようとしたら

「はい、母上。僕もユーリにあのように古式ゆかしい方法で求婚されました」

「まああぁぁぁ」

「ヴォヴォヴォ、ヴォルフラムっ!?」

「そうなの? そうなの? ゆーちゃん! いっやーん、ママびっくり〜、見たかったわ〜、その瞬間!」

有利は美子ママにガシッと抱きしめられてしまった。

「それで、今度は優奈ちゃんと名付け親さんが婚約なのね〜、いやーん、プロポーズの瞬間を見れるなんて、ママドキドキしちゃう〜」

「だ、だから、それは眞魔国のやり方で、優奈は関係ないだろっ!」

「そうですよ、ママさん」

「えぇ〜、優奈ちゃんと名付け親さんお似合いなのに〜。あ、でもほら、ゆーちゃんだってそれで婚約したんだから、優奈ちゃんだってかまわないんじゃない?」

「だから、こっちとあっちでルールが違うだろ、ルールが!」

ぎゃあぎゃあと騒ぐよそで、当事者の優奈は呆然としていた。
ただ、蚊がいて、それがコンラッドの左頬にいたから、喰われたらいけないと思ってやった事がこんなことになるなんて思わなかった。まして……。
ちらりと横を見上げると、にこりと爽やかな笑みを送られる。

「……あの、冗談ですよね?」

恐る恐ると聞いてみた。

「何がです? ああ、求婚返しのことですか? そんなことありませんよ?」

「じゃあ、本気って事なのか?」

「ショーリ」「しょーちゃん」

振り向けば勝利が腕を組んで、憮然と立っていた。

「本気なのか、と聞いているんだ、コンラッド」

「そうなってもいいとは思っているよ」

「その言い方だと、到底優奈は渡せないな。優奈は俺の妹同然だ、どこの馬の骨に渡す訳にはいかない」

ジロッと勝利はコンラッドを睨み付けた。
確かにあの言い方だと、どうでもいいというか、成り行き任せのような言い方だ。

「…………」

「ユナ次第というところかな」

チラッとこちらを見ながらコンラッドが口を開いた。

「……私?」

「えぇ、あなたが望むなら、俺と婚約してもいいと仰るなら俺は喜んで受けます」

にっこりと爽やかに言われ、優奈は顔を赤くした。
なぜ、こうもとんでもないセリフをサラリと言えるのだろう。恥ずかしすぎる。

「ですから、ユナからのは無効で構いませんが、俺からの求婚は受けて下さいますか?」

「へっ?」

つまり、さっき叩いたのは求婚返しではなく、コンラッドからの求婚らしい。

「きゃああぁぁん、優奈ちゃんったら素敵! こんなプロポーズ言ってくれる人なんていないわよ〜! あ〜ん、羨ましい〜」

美子ママはきゃあきゃあと盛り上がっている。
優奈は、有利をチラッと見るが、彼は呆然としているだけだった。

「……あなたのこと、よく知らないし、いきなり言われても困ります」

「……そうですか…」

優奈が断りの常套句を述べると、有利も勝利も村田も、そして何故か勝馬パパも胸を撫でおろした。

「──でも、そう言ってもらえて嬉しかったです。ありがとうございます」

優奈はそう言うと、ニコッと笑った。
その表情を見て、誰もがドキッとした。嬉しそうに笑う顔は誰より可愛いのだ。
見ていた俺でさえ、ドキッとしたのだから、真正面から見たコンラッドはどうなんだろう…。
そう思い見てみたら、見たことがないような照れ臭そうに微笑していた。
そして、真面目な顔で優奈を見つめていた……なんか嫌な予感。

「あっ!」

「な、なんだ? どうかしたのか!?」

急に声を上げた優奈に、有利はドキッとしながら訊ねた。

「うん。美子ママ〜、ソース貸して下さい」

優奈はお袋に向かって、にこにこ笑いながらそんな事をいった。
ついさっきまでの雰囲気が思いきり壊された気がする。つか、なんでソース?

「今日、ソース買うの忘れちゃって〜」

えへへ〜と苦笑する優奈に、お袋も笑いながら冷蔵庫からソースを出していた。

「優奈ちゃんもこっちでご飯食べたらいいのに〜」

「でも、もう作ってあるし……って冷めちゃったかも…」

ソースを借りに出ようとして、元カレが来て公園に行ったんだっけ。
それで水のお化けとゆーちゃんたちが戦ってて、家にお邪魔したら勘違いで求婚騒ぎになって……なんか凄い1日だったかも。

「優奈ちゃん、何作ったの?」

「ん? 普通にハンバーグだよ」

「ふ〜ん」

村田が何か言いたげにしていたが

「ユナの手料理、食べてみたいですね」

爽やかに笑いながら、名付け親が優奈に迫っていた。
待て待て待て、なんだお前ら、急に?
見えない火花がコンラッドと村田の間にあるような気がするのは気のせいか?

「ゆーちゃん、ぼやっとしてると優奈ちゃん取られちゃうわよ〜」

ボソッと背後から呟くお袋に有利はビクッとなった。

「好きなんでしょ、優奈ちゃんのこと。ママは優奈ちゃんがお嫁さんでも、ヴォルちゃんがお嫁さんでも構わないけどね」

にこやか〜に美子に言われ、有利は頭を抱えるしかなかった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「えと、ごめん。ハンバーグは私の分しかないから、また機会があったら作ってあげるね。じゃあ、美子ママ、ソース借りて行きま〜す」

「優奈ちゃん、明日の朝は一緒に食べましょうね。みんなで食べた方が楽しいでしょ」

にこにこと笑う美子ママに優奈はキョトンとした後、はーい。と元気に返事をして出て行こうとした。

「待って、優奈!」

「なに? ゆーちゃん」

思わず掴んだのはいいが、なにを言えばいいのか分からなくなった。

「あー……と、お、送る……」

出た言葉はこんなんで、泣きたくなる気分だ。
優奈はキョトンとしてから、苦笑みたいな笑いをしてから口を開いた。

「じゃあ、お願いしようかな」

「あ、あぁ……」

ぐいっと手首を掴まれて、そのまま玄関へと行った。
いつもならうるさいヴォルフラムは、トイレに行ったらしい……。ラッキー、というべきだろうか。
そのまま玄関から道路に出て、隣の優奈ん家までなんで徒歩十歩以内だ。

「どうかした? ゆーちゃん」

ジッと見つめてくる眼差しにドキッとする。
さっきのコンラッドの事もあるが、ちゃんと聞きたいことがひとつあった。

『……それに、初恋の相手になんかあったら──』

初恋の相手──って、俺が?
聞こうとしてコンラッドが入ってきて、聞けなかった。

「……優奈って、好きなヤツいるの…?」

「え?」

見てくる有利に優奈は首を傾げた。

「その、彼氏と別れたばっかだし……コンラッドがあんなこと言うし、混乱してないかな……って…」

「もしもーし? なんか言ってることが合わないんじゃない?」

「だからっ……好きなヤツがいるから彼氏と別れた、とか……それにコンラッドの事格好良いって言ってたし」

「彼氏と別れたのは浮気をされたのと、何かが違ってたってことかな」

「なにかって……」

「────秘密! じゃあ、おやすみなさい。ゆーちゃん」

そう言うと、優奈はスッと顔を近付けたかと思うと、頬に柔らかい感触を残して家に入っていった。
それは小さな頃、よくしていたおやすみのキス。

「…………っな、なんだよ、ソレッ!!」

有利は顔を赤くして、家の前に佇んでいた。
ヴォルフラムが出てくるまで暫らくの間、色々と考えては否定をしながら。



To be Continued


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