仄かに残る香り

テニスの王子様

昨日からの雨でコートが使えない為、室内トレーニング室を使った朝練後、部室で着替えていると仁王くんに話し掛けられました。

「やーぎゅ、昨夜は何処にいってたんじゃ」

「……いきなり、なんです。仁王くん」

ニヤニヤと口角を上げて聞いてくる彼に、内心焦りながらも聞き返した。
昨夜――というと、どうしても華月さんの事を思い出してしまう。

「んー、気になることがあってのぅ……」

「昨日は自宅マンションにいましたよ」

嘘、という訳ではない。自宅があるマンションの華月さん宅にいたのだ。

「ほぅ……じゃあ、この甘い香りはシャンプーを変えたのか?」

その言葉にピクッと身体が反応してしまった。
確かに甘い香りがするのは、華月さん宅のお風呂場にあったシャンプーの物だ。

「……母が変えただけですよ」

「ほぅ…。柳生の母親の趣味かのう」

「なにか?」

「まぁ、それならそれでいいぜよ」

ボタンを留めながら、仁王くんはボソリと小さな声で呟いた。

「……華月さんと同じ匂いじゃのう」

その言葉に柳生はピクリと反応したが、クイッと眼鏡を押し上げた。

「……なぜ、仁王くんが彼女のことを?」

「こないだ少し話したんじゃ。あいつ、一発で俺の変装を見破ったぜよ」

「ほぅ、それは興味深いな」

「なんじゃ、参謀。聞いとったんか」

「フッ。聞こえたんだ」

「……」

「なかなか面白いぜよ、華月 瑠歌」

クックッと笑う仁王を一瞥しながら、柳生はため息を吐いて、着替えの続きを始めた。
ふとワイシャツから薫る柔軟剤の香りは自分の家のものとは違うのを感じたのだった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


瑠歌が学校へ着くとポタポタと滴が落ちる傘を少し振ってから傘立てに置いた。
靴を履き替えて、廊下を歩いているとガヤガヤと騒がしい声が聞こえてくる。

「瑠歌ちゃーん!」

ドスンと体当たりしてきたのは、テニス部マネージャー美姫だ。

「おはよう! 瑠歌ちゃん」

「おはよう、美姫」

「雨で鬱陶しいねぇ、髪がまとまらなくてイヤだな〜」

「……そう? 今日も可愛いと思うけど」

髪を頻りに弄りながら話す美姫に瑠歌は小首を少し傾げた。

「……瑠歌ちゃんってサラッとそういう事言うんだね」

「そう、思っただけを言っただけどね」

教室へ向かう途中で、「美姫」と隣の彼女が名前を呼ばれた。

「あ、仁王。柳生に柳もまだ教室行ってなかったの?」

ふわりと間近で嗅いだ匂いを感じ、振り向けば、そこには柳生くんと男子二人が。一人はこの前、柳生くんの格好をしていた銀髪の人だ。

「お前さんがさっさと行っただけナリ。っと、華月さんじゃなか、おはよーさん」

「おはようございます、華月さん」

「おはよう、華月さん」

「……おはようございます、柳生くん、と………………」

「…………」

「…………」

「……仁王 雅治ナリ」

「柳 蓮二だ」

「……仁王くんと柳くん」

名前を思い出せず、止まっていたら自己紹介されてしまった。
仁王と柳、そんな名前だったような気がする。

「あれ? 仁王って瑠歌ちゃんと会ったことあったっけ?」

「この前、会ったんじゃ。のぅ、華月さん」

「はい。親切に職員室まで荷物運んでくれたのよ」

「へぇ〜仁王が?」

「柳生くんの姿をしてたけどね」

「何してんのよ、仁王。なんで柳生に変装したの?」

「に、仁王くん。貴方は一体何を? 華月さん、何かされませんでしたか?」

「荷物を運ぶのを手伝ってもらっただけだから、別に何も」

いつもの様に答える瑠歌の姿に、柳生は少し淋しくなった。
昨日の事があったせいか、少し、ほんの少しだけ何かを期待していたような気がする。

「そ、そうですか……」

「えぇ……」

「…………」

「…………」

沈黙が走る。柳生は何か話さなくてはいけない気がするが、瑠歌は別段気にはしていない。
他の彼らも一瞬、何を言えばいいのか詰まってしまった。

「そろそろ予鈴が鳴る頃だ、教室へ行かないか」

口を開いたのは柳だった。
それにみな頷きながら、廊下を歩き始めた。先に美姫と歩いていく瑠歌の姿を柳生とただ見つめていた。

「…………(華月さん)」

そして、柳と仁王もその2人の様子を眺めていたのだった。

「(なんだか面白いことになっとるのぅ)」

「(あの柳生がな……面白いな)」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


背中に当たる視線を感じながら、瑠歌は美姫と一緒に教室へと向かった。
視線の1つは柳生のモノだというのは分かったが、あとの視線はなぜこちらを見ているのだろう、と疑問が込みあげる。が、瑠歌はあまりそのような事は気にしなくなった。
1年の時からミス立海になる程の美姫の傍にいた為、疑問めいた視線をよく浴びた。

『なんで、あんなのと一緒にいるんだろ、美姫ちゃん』

そんなこと私が知りたかった。だから聞けば、人を魅了する笑顔で『瑠歌ちゃんが気に入ったから』と言われた。
最近になって教えられたのは、私が男子テニス部に興味がなくて、特別視しなかったから、らしい。
美姫は小さい頃から、美少女だったらしく羨望と嫉妬を受けていた上に、人気の高い男子テニス部のマネージャーになった事で色々あったらしい。
美姫に取り入ってレギュラーと仲良くしようとする者、嫌がらせをしてくる者もいたらしい。
そんな中、美姫を助けてくれたのは2学年上の先輩とかで、恋に発展したとか。
彼氏が出来た美姫に今も多少は取り入ろうとしたり、嫌がらせをしたりする輩はいるが減ったとか。
私がたまたま美姫を見たのは、放課後の教室で体操服をゴミ箱に、しかも生ゴミ塗れにされて捨てられていたのを見た時。

「どうかしたの?」

「えっ……あ、…な、なんでも…」

「……これ、あなたの?」

ゴミ箱から袖を持ち上げて、訊くと臭いがムアッと漂った。
それに顔をしかめながら、目の前の彼女は下唇を噛みながら、泣きそうになるのを堪えていた。

「……こういう時は泣いてもいいと思うよ。泣いたら負け、とか考えてたら疲れて、よけい苦しくなるから。心の思うようにさせて、すっきりさせたらいい、我慢してたら身体も、心もずっとずっと堪えるから。……えーと……中嶋、美姫、さん?」

名前が分からなくて、体操服の胸元を見れば刺繍された名があった。
美姫は名前を知らなかったのに驚いたらしく、フフッと笑った後「泣いてもいいかな」と聞いて来たから「どうぞ」と答えた。
ボロボロ涙を零す美姫を見て、こんなのは今まで何度もあったのかもと思うと、小さな子供にするように頭を撫でてあげた。

「頑張ってたんだね」

途端、ギュッと抱きついてわんわん泣く美姫の背中を撫でてあげるしか出来なかった。
以来、美姫が一緒にいるようになったのだ。
あの時はなんで美姫が嫌がらせされてたのか知らなかったけど、男子テニス部のマネージャーだったからなのか……と今さらながら自分の無関心さに苦笑した。
そして、シャワーを浴びたはずなのにカレの香りが漂った気がしたのは、自分が思ったより気にしているから、だろうか……。



それは、香りの記憶……




To be Continued


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