08

テニスの王子様

「彩香ちゃん、久しぶりね」

そう言って頭を撫でてくれたのは、お父さんの友人で金井総合病院で産科医をしている市原 優里先生。
スラッとしていて素敵な先生だ。

「こんにちは、優里先生」

「あっ、お祖母様もこんにちは。大分、体調の方はいいようですね」

「おかげさまで。入院した時は科が違うのに何度か来て下さって、ありがとうございます」

「いえ、親友の倉橋くんのお義母さんのことですからね。彩音ちゃんからも宜しくと言われてましたから」

「まぁ、彩音ってばそんなことを? 先生もお忙しいのに全く」

彩音というのは私のお母さんで、おばあちゃんの次女。長女は国光のお母さんの彩菜伯母さん。
優里先生はなんと私と国光を取り上げてくれた先生でもあって、そのせいか小さい頃から可愛がってくれている。

「今回は我が儘を言ってすみませんでした」

「いいんですよ。他ならぬ市原先生の頼みですしね」

「本当にありがとうございます。これで少しはリラックスして貰えるといいんだけど」

先生が言っているのは、おばあちゃんが配合したお香のことだ。
市原先生は外来ではなく入院棟の方が今は分担されているらしく、まぁ、産科だから妊婦さんや新しいお母さん、赤ちゃんなどがいる。
その中で、気がかりなのは悪阻が酷かったり、流産、早産の可能性がある入院中の妊婦さん。
安静というのもあり、なかなかリラックス出来ないでいるらしく、だったら気分を少しでも変えられたらというので、おばあちゃんにあまりキツくないお香の調合を頼んで来たのだった。

「あっ、とりあえずこちらへ。お茶もお出ししますから」

「お構い無く、市原先生」

「いえ、このくらいは。それに香のことなど聞きたいので、さぁ、どうぞ」

ニコリと笑いながら、案内してくれた。
ハーブティを頂きながら、先生とおばあちゃんはお香の調節量のことなど話し、しまいには世間話、というか昔話になっていく。
目の前に私がいるからか、もっぱら小さい頃の話で、ちょっと嫌気が差した私は、天気がいいので屋上へと向かった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「(……今頃は試合も終わったかな)」

病院の屋上だというのに、観葉植物が沢山あるのは少しでも気分を紛らわせるつもりなんだろう。
まぁ、真っ白く無機質な病室にいるよりは何倍もこちらの方がいい。
……しかし、やはりテニスがしたい。なぜ、俺が、こんなことになっているのだろうか。

「……っ、ああ、ダメだな…」

前髪をくしゃりと掻き上げて、自嘲する。これでは病室にいるのと同じではないか。
少しでも気分を晴らせようと外へ出て来たのに。
そんなことを思いながら、ベンチに座り空を見上げていた。
真上の蒼からだんだんと遠くに水色になる空。それを眺めていると、キイィ、とドアが開く音が聞こえた。
誰か来たのか、と反対側にあるドアを見れば、焦げ茶の艶やかな髪が目に入った。

(……あれは……倉橋、さん?)

前に病院内で会った気になる女の子。それからはまだ月に一回くらい、まぁまだ二回くらいしか会ってない。
会話もほんの少ししかしていないが、暖かい少女だった。
彼女は反対側へそのまま行ったらしく、辺りを見渡している。
花壇のところでしゃがみ込んだかと思えば、何故か花を撫でていた。

(そういえば、花が好きだって言っていたな……)

そんなことを考えながら、見ているとバックから、多分携帯を取り出して操作している。
メールでも打ったのか、空に向かって「送信!」という声が聞こえて、少し笑ってしまった。
それと同時に彼女が振り向いた。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


電源を切っていた携帯を取り出すと、パワーボタンを押して起動させた。
すると直ぐ様メールセンターから受信があり、メールを開くと国光と、リョーくん、不二くんからメールが届いていたらしい。
国光からは簡素というか一言だけで笑えてしまった。が、少しだけ顔を曇らせてしまった。
思い出すのは先週の国光の姿だからだ。
ぶんぶんと顔を振り、リョーくんと不二くんからのメールを見れば試合に勝ったという知らせ、準決勝進出とのこと。
なんだか嬉しくて、二人には応援に行けなかった謝罪とおめでとう、そして頑張って!とメールを打った。
そして、携帯を掲げて「送信!」とボタンを押した。
その直後、後ろから「フフッ」と笑い声が聞こえて、慌てて振り向けば、綺麗な人が立っていた。──き、木村くん、だったよね?

「こんにちは」

「こ、こんにちは…」

なんだか見られた事が恥ずかしくて、照れ笑いをしながら答えてしまった。

「今日はどうしたの? 倉橋さん」

「き、今日は用事があって……市原先生って知ってる?」

「う〜ん……ごめん、分からないかな」

「そうだよね、産科の先生だし。えっと、その市原先生とうちのお父さんが知り合いで頼まれた物をおばあちゃんと届けに来たの」

「そうなんだ」

「うん……えと、木村くんは?」

「(……木村?)フフッ、倉橋さん、惜しいな」

「え?」

「俺の名前は幸村だよ。『ゆ』が抜けてるよ」

そう言われた瞬間、私は真っ赤になるしかなかった。

「ごっ、ごめんなさいごめんなさい!! 私ったら……幸村くんだよね、幸村くん」

ブツブツと唱えるように復唱した。
そうするとまたフフッと笑われてしまった。だけどその笑みは綺麗だけれど元気がないように見えた。
そう──肘を壊していた時に国光がしていたような笑み。

「──幸村くん、なにかあったの?」


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


いきなりそう言った彼女に、びくっと身体が反応した。

「──どうしてだい?」

「…気を悪くさせてしまったら、申し訳ないんだけど……辛そうな、苦しそうな顔をしているから……」

「っ、」

ジッと見つめてくる眼差しに言葉が詰まった。
あまりにも真っ直ぐで、逸らして逃げたい気持ちになるのに、縋ってしまいたくなるのはなぜなのか。

「……ごめんなさい、変なことを言って。ただ、なんていうか、そういう表情(かお)を何回か見たことがあったから、えと、」

「……」

「無理、しないで?」

「……」

「いきなりこんなこと、よく知らない人間に言われたくないだろうけど、私でよかったら愚痴くらい聞くし、言いたいこと言っていいよ?」

「……っ!」

そんな風に言われるとさっきまでの感情が出てきそうになった。
だが、何も知らない誰かに聞いてもらいたくもなる。
テニス部のみんなを信頼していない訳ではない。彼らは近すぎて、分かっているから言えなかった。

「……幸村くん…」

「話を、」

「うん」

「…聞いて、もらえるかな…」

そう訊くと彼女は頷いてくれた。
それから、彼女には去年倒れたことから話し、病気のこと、手術のこと、なによりテニスが出来なくなるかもしれない恐怖に似た気持ちを話した。
俺からテニスを取ったら何も残らないというのに、希望もなにもかも絶望へと堕とした医師の言葉。
見ず知らずなのに、なんでか分からないけれど不安や不満、恐怖を聞いて貰いたかった。

「……」

「……幸村くん…」

「……」

「幸村くんは、強い人だね」

そう彼女は言った。
なにを言っているのだろうか、俺は今さっき恐怖を、弱気を吐露したばかりだというのに。

「……倉橋、さん…?」

「だって、隠さずに話してくれたでしょ。うーん、何て言ったらいいのかな…。テニスが好きで、もしも出来なくなるかもしれなくても、気持ちは前に向いているじゃない。
 もうすぐ手術ってことは受けるんでしょ? だからこそ、今、不安に思うんだよ。簡単なことじゃないよ、そういうことって。誰だって手術を受けるなんて怖いに決まってる。でもね」

「……」

「みんなが幸村くんの帰りを待ってる。信じてる。だから、信じてみようよ。私も幸村くんがまたテニス出来ることを信じてるよ。それに何も残らない訳がないよ。幸村くんはきっと治る、私はそう思う」

そう言って微笑む彼女を見て、泣きそうになった。

「……君、も……信じてくれるかい……俺がまたテニスを出来るって…」

「もちろん!」

「っ、ありがとう」

そう言って彼女の白い手を握った。
ありがとう、誰かにそう言ってもらいたかった。
不安になるのも、怖いと思うのも当たり前、テニスが出来なくなるかもしれないのを、また出来ると言って貰いたかった。


   ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


幸村くんが屋上から去っていき、フェンス越しに街を眺めた。
彼を見ていると国光のことを思い出す。同じテニスをしているからだろうか。
つい、と左肩に触れる。
国光の苦痛に満ちた表情に今でも泣きたくなる。
あの時、本当は泣いて止めたかったけれど……出来なかった。
国光を知っていただけに、止めるすべがなかった。

「『俺からテニスを取ったら何も残らない』か」

そんなはずはないのに。
時間は無慈悲で、何事もなく過ぎていく。何も残らない、というのなら今まで傍にいてくれた人はどうなるのだろうか。
周りを見る余裕もなく追い詰められているんだね、と思うと哀しくなった。

「……国光は、そんなこと思わないよね……」

蒼い空を見上げる。今は遠く離れた空の下にいる、大事な従兄を想って。



To be Continued



あとがき

なんですかね、この話。
つか、ヒロインが手塚に恋してるようだが、違います。(苦笑)
ヒロインにとって手塚は特別な存在な故に、まだ他の人は目に入ってないという

さて、幸村くんですが、なんか本当にすみません!
次回はどうなるのでしょうか(ノープラン)


2009/06/12


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